


最近は以前にも増して、いろんな家で植物を植えているところが多く、歩いているだけでよその家のお庭の花々を覗かせてもらうのが一番楽だと心得ている辺りは、私の怠け者の故かもしれない。丹精込めて育てたものも美しいとは思うものの、自然の草叢に生えている小さな草花の方がより好ましく思える。都会の花屋で小奇麗に飾られた花々は、資本主義的な匂いが強過ぎてソッポを向くが、道端の花には虚飾もなく、打算も無い。そんな潔さ、天然さが私には気安さをもたらすのかもしれない。もっともデジカメに撮るのさえ、いささかの無粋はあるのだが・・・。
ところで下の赤い実は子供の頃、蛇苺で蛇が食べるとか言われた事を今でもしっかり覚えているが、本当のところはどうなのだろう。蛇が苺を食べるとも思えない。一見すると毒々しい赤で全体に比すると、やや大きめの粒々が妙に説得力を持っていた。私の中では、桑の実がこれに類するものと決まっており、学校帰りに桑の実を食べ、舌が紫になってしまったのも何か訳有りと思っていたものだ。
後年、ケーキ好きの一時期があり、都内のケーキ屋をハシゴしていたことがあったが、ケーキのうえにアクセントとして桑の実が乗っているのを見て、えらく立派になったもんだと、一人で納得していた。逆に道端にある桑の実ならきっと食べないであろう、正面の女性が喜んで食べているのを見て、いささか、戸惑いをも感じた。



普段は川原の土手の上を歩く。片道4~5キロというところだろか。以前のようにスポーツ倶楽部に通い水泳していないので運動不足には散歩が一番と思っている。たまにしか、歩いていないのだが。土手の隣は田んぼであるが、季節柄いまは麦が実っている。梅雨に入ったことだし、そろそろ稲を植えるのだろう。じきまばらだが、鮮やかな緑に変わる。
川原を歩いていくと、途中に神社がある。たまにしかお参りしないが、気分転換に寄ってみた。「鎌形八幡神社」という。由来を示す看板には、平安初期の延暦年間に坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡宮の御霊を迎えて祀ったとある。縁起によると、「源頼朝、尼御前の信仰ことのほか厚く」とも書かれている。そもそもこの辺りには旧鎌倉街道が通っており、近くには木曽義仲が産湯をつかったとされる場所もあって、非常に中世が身近な土地でもある。幸いなことに日本なので異端審問は無かったが、鬼を祀った神社があったり、城址公園があったりしてそれなりに楽しい。直接飛んでいるところを見たことはないが、国蝶オオムラサキを保全する林もこのすぐ近くにある。できればそれもデジカメで撮りたかったのだが…。


