2008年04月22日

トリノの聖布 その秘密はまだベールの中

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トリノの聖布 その秘密はまだベールの中
【swissinfoより、以下転載】
キリストの遺体を包んだとされる「トリノの聖布」は、キリスト教会内でもっとも神聖で神秘的な布だ。中世のものだとされている、出所はそれ以前の可能性があると英BBCテレビが報道した。

番組ではスイスのテキスタイル史の専門家、メヒチルト・フリューリー・レムベルク氏が、これまで信じられてきたCarbon-14による聖布の想定年代は疑わしいと答えた。

 1260年から1390年のものだという結果を出したのは、オックスフォード、アリゾナ、チューリヒにある研究所。1988年の調査結果で、「炭素14」によって算出された。しかし、最近の調査で、紀元1世紀までさかのぼるという証拠がいくつか上がったという。

炭素14

 トリノの聖布は長細く、人の前後の姿が映し出されている。これは、キリストが磔になった後、その遺体を包んだ布であると言い伝えられ、キリスト教徒などの中で信じられてきた。しかし、この聖布について言及したもっとも古い文書はフランスで書かれた14世紀のものだ。

 「もし私が判断したなら、炭素14を使った年代調査はしなかっただろう」
 とフリューリー・レムベルク氏はスイスインフォの取材に対して語った。長い間置かれた環境に聖布が大きく影響され、データが左右される可能性があるというのだ。フリューリー・レムベルク氏が始めて聖布を目近に見たのは、2002年のことだった。聖布の保存の依頼があったためだ。布の保存のため、綿密にその繊維を分析したが、紀元1世紀に由来するであろうという彼女の意見はその後も変わっていないという。

 1532年、聖布は、保存されていたチャペルの火災で大きなダメージを受けた。保存していたケースの銀が溶け落ちたため、布に大きな穴が開いてしまった。修道女たちが開いた穴に新しい布を裏打ちして縫い、修繕した。450年もの間そのままになっていた裏打ちの布が、フリューリー・レムベルク氏とそのアシスタントにより初めて取り除かれることになった。布を取り除くと、そこには灰が固まって残っていた。その灰は、当然のことながら、裏打ちの布や、展示のために拡げたり巻き戻したりした聖布自体の繊維にも飛び散ったはずである。フリューリー・レムベルク氏はこの灰が炭素14テストに影響を与えた可能性があるという。

 さらに、フリューリー・レムベルク氏は、調査に使った水の染みがある部分についても
「布が水でずぶ濡れになれば、汚れなどはすべて洗われてしまう。そのため、布をたたんだ際の角になった部分は汚れが溜まる。よって、1988年の調査に使った部分は、非常に汚れていたはずだ。また、角の部分は人が何度も触る部分でもある。つまり、この部分を炭素14で検査しても意味が無い」
 と指摘した。

コンスタンチノープルの古文書

 以上の指摘は、1988年の調査結果についての単なる疑問に過ぎない。しかし、テキスタイル史の専門家であるフリューリー・レムベルク氏が新しいテーゼへの糸口として興味があるというのが、コンスタンチノープルで1190年代に書かれた「祈りの古文書」だ。それによると、12世紀後半にはトリノの聖布が知られていたことが分かる。
「古文書の画家はトリノの聖布を自ら見たと思われる。それがキリストの遺体を包んだと知られていたことも確かだ」

 現在、ブダペストのセーチェニ国立図書館に所蔵されているこの祈りの古文書に描かれている絵には、キリストが白い布に横たわり、彼の腕は前で交差し、4本の指だけが見える。
「キリストが横たわる布がこのように描かれているのはトリノの聖布以外に、この古文書だけだ。ほかの絵は、手の平に釘の痕が描かれている。磔刑では体重を支えるため、釘は手首に打たれる。そのため、親指が自然と内側になる」
 とフリューリー・レムベルク氏は指摘する。

 トリノの聖布にも釘が手首に打たれた様子があることは、すでに指摘されていることだが、テキスタイルの専門家であるフリューリー・レムベルク氏はそのほかにも、古文書の絵にある布が「矢はず模様 ( ヘリンボーン ) 」の織りで、それがはっきりスタイル化されて描かれていることや、畳まれていた布に油が流れL字の跡として残っている様子がはっきり描かれている。

「この2つの特徴により、古文書に描かれているキリストが横たわる布が、トリノの聖布であることを示している。そのほかにもオックスフォードなどの研究所の結果が疑わしいと思われる点がある」
 矢はず模様の布は、キリスト生誕以前からずっとある。長方形の布の長い方の1辺にだけ縫い目が施されているといったスタイルは、1世紀にイスラエルのマサダ城からも発見されている。

立証は不可能

 テキスタイル史の専門家としてフリューリー・レムベルク氏は、聖布の作られた年代を確定することは難しいという。
「布の検査の結果、紀元後1世紀のものであることを否定するデータは無いということは少なくとも言える。歴史家にとって、必ずこうであると証明できることは無い。しかし、布は1世紀のものである可能性があるというだけでは世間は納得しない。科学者は認められるが、測定し数字で示す結果を得ることはできないため、歴史家の言うことは信用されない」
 と言う。

 フリューリー・レムベルク氏はその仕事を、ばらばらの断片をモザイクのように組み合わせることだと表現するが、その仕事の結果は、証明できないものだという。
「キリストについても科学的証明が無いのと同じ」
 布にキリストの影が写っているメカニズムが説明できないことも、14世紀に作られた贋作の聖布ではないことを証明する、とフリューリー・レムベルク氏は言う。
現在の技術でもこうした贋作が不可能なことを、7世紀前にできたとは考えられないからだ。

 カトリック教会の本山であるバチカンにとって聖布は、信仰への証を示す道具だ。だからといって、フリューリー・レムベルク氏の論理はバチカンの圧力を受けているわけではない。
「バチカンは『もしあなたが証明できるのなら、証明してみなさい。それまではカトリック教会の象徴であり、本物であろうが贋作であろうが、重要さには変わりない』と言ってくれている」
相変わらずBBCは面白そうな番組やってますねぇ〜。こんな時こそ、受信料をぼったくってるNHKさんにやって欲しいものです。

でもさあ、この手のものって結局はっきりしないんですね。検査の度に測定結果が異なっていません? 勿論、分析技術が当然時代が進むにつれ、進歩しているわけだけど、それにしてもなあ・・・。

夢が夢のまま、続く事が良いのかもしれませんね。でも、知りたいなあ〜真実のこと。

そのうち、また新しい本とか出てきそうですね。

ブログ内関連記事
「トリノの聖骸布―最後の奇蹟」イアン・ウィルソン 文芸春秋
『トリノの聖骸布』の印影は復活の時のものか
トマスによる福音書〜メモ
聖骸布血盟」フリア・ナバロ ランダムハウス講談社
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2008年04月21日

「香具師の旅」田中小実昌 河出書房新社

実は、以前から気になっていた作家さんなのですが、なかなか本を手にとって読む気になれないでいた存在だったりする。期待通りであっても、期待が裏切られても、どちらも嫌なカンジがして読めなかったんです。

読んでみた感想も、予想通りでした。

うん、なんというか場末の忘れ去られた地方の町で、流れ流れて行くところの無くなった人が一時、留まる・・・そんな場面が目に浮かびます。

男も女も生きるのに倦み、疲れ果て、死ぬのも面倒で覚悟もないのでその日、その日をなんとなく生きている。そんな切ないけど、その程度で生きている人間のありもままの姿が、そこはかとなく実在感があって物悲しくて、心に引っかかります。

同情や憐れみとは違うし、憤りでもない。ただ、生き物としての性(さが)のようなものが、なんとも形容し難い感情を呼び起こします。

本当に、ただなんとなく生きている。目標があったり、努力したり、幸せを求めたり、そういった価値観とはおよそ無縁な存在なのですが、頭では分かるのではなく、感覚でどっか共感できてしまうそれが、どうしても気にかかります。

男女の交わりなどもその好例で、ちょっとした成り行きの挨拶のようなものでしかないのですが、せいぜい軽いコミュニケーション(それ以前)の一端とかでしかなく、愛とか恋とかとは別次元であることを痛感します。私には、ちょっと分かるような、分からない感覚ですね。

でも、嫌いでない自分がいて、自分の中の相反する感覚に戸惑うこともしばしばです。こういうのも人間なんだなあ〜って心から思います。

効率良く生きよう、とか目的志向的に生きていくとかいうビジネス書とかの対極にあるのですが、どちらも肯定できてします自分がいます。
私的には、宿も決めずにふらっと放浪するしちゃう感覚に近いものがあるかも・・・。

私はこういう話もそれなりに好きです♪

以下、独り言。
昔、パリに行き、深夜2時過ぎにおきてTVを見てたら、女性が裸というかエロティックな肢体で、横になっている映像が流れてきた。画面の上や下には、電話番号がずっと表示されていて、ダイヤルQ2の宣伝か、コールガールの斡旋かな?と思ったのですが、急に怪しげな日本語がBGMとして流れてきた。

おじさんの鼻にかかったフランス語っぽい歌なのですが、歌詞がよく分からない。何故か分からないが、それを聞いていて田中小実昌氏のことをイメージした。その理由が釈然としないのだが、漠然と思い浮かべ、深夜のホテルでそれをぼお〜っと眺め、曲を聞き流していたことが何故か記憶に残っている。

あれはなんだったんだろう? 未だに何がなんだか分からないのだけれど、ふと気になったりする???

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2008年04月20日

かのこん

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現在、3話まで放映中のアニメ。ネット上で無料放映中。
詳しくはかのこん公式サイト上で。

基本路線は、妖怪と人間の学園ラブコメディーで良いのでしょうか。原作はラノベらしい。

映像的には、かなりきわどいH系。狐娘に誘惑される純朴な少年という図式らしい。まあ、狐が若い男をたぶらかすのは、中国古典以来の伝統ですからねぇ〜。私の大好きな「聊斎志異」なんかその手の話が嫌ってほどありますし・・・。

ストーリーはさほど関係ないかも? 今日も3話を見たけど、あまりにもベタベタなお約束事を踏襲していて、何も言う事ありません。狼少女の望がどうしても綾波に見えてしまうのは、私の目の錯覚でしょう、きっと!

日々の生活に疲れた時には、こういう頭の中を空っぽにするのを見るのも悪くないかと。基本的に、このノリ好きです(笑顔)。

かのこん 1巻 (1) (MFコミックス アライブシリーズ)(amazonリンク)
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レオナルド・ダ・ビンチの母は奴隷だったのか?

Was Da Vinci's Mother a Slave?
【Discovery Channelより、以下転載】
April 9, 2008 -- Leonardo Da Vinci, regarded by many as the greatest genius of the Renaissance, was the son of a humble slave girl and had at least 21 half-siblings, according to compelling new evidence unveiled in Florence, Italy, on Wednesday.

Newly discovered documents published in two books ("Was Leonardo's Mother a Slave?" and "Leonardo's Family Tree," both edited by da Vinci scholars Agnese Sabato and Alessandro Vezzosi) have made it possible to reconstruct da Vinci's little-known family tree.

"Da Vinci's family was indeed a large one. His father Piero married not his mother, but four other women. His mother Caterina was married off to another man and had five children of her own. That's what you would call an enlarged family," Alessandro Vezzosi, director of the Museo Ideale in the Tuscan town of Vinci, told Discovery News.

Very little has been known about da Vinci's mother and the circumstances of his birth. The only account dates to a 1457 tax record in which the artist's grandfather listed the members of his family and briefly described his grandson:

"Lionardo, aged 5, the illegitimate child of Ser Piero and Caterina, who at present is married to Acchattabriga di Piero del Vaccha da Vinci."

Beyond this, scholars had very little to go on. While Ser Piero was easily identified as a Florentine notary, nothing was known about Caterina. As legend has it, she was a peasant girl from Vinci.

Now, 30-year-old research conducted by the late director of the Leonardo Library, published by his son Francesco, suggests a completely different scenario.

"Archival research has shown that there isn't any Caterina in Vinci or nearby villages that can be linked to Ser Piero. The only Caterina in Piero's life seems to be a slave girl who lived in the house of his wealthy friend Vanni di Niccolo di Ser Vanni," Cianchi wrote.

Evidence for "the slave Caterina" comes from Vanni's newly discovered will. The wealthy banker named his friend Ser Piero the executor of his will, and left most of his estate to a religious order. He left the slave girl to his wife Agnola and his Florentine house in via Ghibellina to Ser Piero.

"No official document for the liberation of Caterina exists, but something important must have happened at Vanni's death in 1451," Vezzosi said.

The man who would father Leonardo da Vinci did not move into his inherited home right away because Agnola, Vanni's widow, still lived there. It's likely, scholars now believe, that Ser Piero agreed to allow Agnola to remain in the house until she died in exchange for the slave girl Caterina's freedom.

Indeed, records show that Agnola hired a new servant after Vanni's death.

Meanwhile, no trace exists of the slave girl after 1451; she simply disappeared from documents. According to Cianchi's research, Ser Piero did not move into his inherited house until Agnola's death, but there are no records of other inhabitants in the home.

A few months later, on April 15, 1452, Leonardo was born in Vinci. It is known that his mother Caterina married Acchattabriga di Piero del Vaccha da Vinci only a few months after she gave birth.

"The hypothesis that it is the same Caterina that lived in Vanni's house is very strong," Vezzosi said.

The claim is supported by recent research suggesting the Italian genius was of Arabic descent, following analysis of his fingerprint.

"It was common in Renaissance Florence to own slaves from the Middle East and the Balkans. At the time of Leonardo's birth there were more than 550 slaves in Florence, meaning that all the wealthy families had slaves in their houses. The girls were baptized and renamed. The most popular names were Maria, Marta and Caterina," Agnese Sabato said.

If little is known about Caterina's life -- except that her husband might have had a temper (the name Acchattabriga means "ready to pick a quarrel" ) -- researchers have been able to draw a much clearer picture about the private life of Ser Piero.

"Documents tell us that just after Leonardo's birth, Ser Piero, who was about 26 years old, married a young girl named Albiera Amadori. He then married other three times," Elisabetta Ulivi, author of the book on da Vinci's family tree, said.

Ser Piero had at least 16 children -- eight of whom were born in the last 20 years of his life.

Da Vinci seemed to have had a difficult relationship with his half-sisters and brothers.

"Many of Leonardo's travels to Florence were indeed associated with family issues. He had several fights related to money and inheritance," Vezzosi said.
2冊の本(「ダ・ヴィンチの母は奴隷だったか」「レオナルドの家系図」)で発表された新しく発見された文書によって、ダ・ヴィンチのほとんど知られていない家系図が再構築することが可能になったそうです。

具体的に言うと、ダ・ヴィンチの母カテリーナのことは文献には出てこないらしいのですが、ダ・ヴィンチの父が友人の遺産執行人となっていて、その友人から譲られた家と家に附属した奴隷女を譲り受けているんだって。

そして、その奴隷女がダ・ヴィンチの母らしい。当時のフィレンツェには中東からたくさんのそういった奴隷が来ていたうえに、そういった人々が洗礼を受けて改宗し、新しい洗礼名をつけたのものとしてよくあったのが「マリア」「マルタ」「カテリーナ」で、まさにダ・ヴィンチの母とおぼしき女性の名前と一致するんだそうです。

ほお〜。この辺の話は初耳ですね。

あと以前にうちのブログでも既に紹介したが、ダ・ヴィンチの指紋がアラビア系の子孫としての特徴を示していることなども挙げているそうです。

英語で出ているなら、これらの本を読んでみたいけど、イタリア語だろうな、きっと。この記事読んで、以前読んだクレチェマー「天才人」とかに書かれていたことを思い出しました。特定の地域に長く住んでいる名士とか名門の血筋に、外部の血が入った時に、俗に言う「天才」とおぼしき存在が発生する、って書いてありました。

まさにイレギュラーの存在なのですが、社会適応力において欠如する点が多く、その子孫は残さない場合が多い。などなど、まさにレオナルド・ダ・ヴィンチにも当てはまりそう。今後は、そういった観点からも捉えると面白そう。

未だに話題に事欠かない存在なんですね、ダ・ヴィンチって!

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ダ・ビンチ実はアラブ人だった?…指紋発見で仰天仮説
レオナルド・ダ・ヴィンチはアラブ人だったかもしれない
posted by alice−room at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事B】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「Excel 計算表で帳票の作成・集計に便利な [関数] 技2」川口 輝久 技術評論社

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通勤電車に乗っている空き時間に読んで、仕事で使えるエクセルの関数をマスターしようというコンセプトの実用本。

狙いは成功していると思います。コンパクトなサイズに、シンプルな構成。豊富なカラーで見易く、分かり易い内容です。基礎から一歩進んで、実際の業務で使える水準で関数の使い方を説明しています。

うまく生かせば、業務作業の効率化に資すると思います。

あえて一言だけ言うと、関数の複数組み合わせで実践的な使い方を説明しているので個々の関数の処理を追って理解する必要があります。車中でそれをやっていると非常に疲れるということ。

実際にやっていると、せいぜい20分まで。30分以上は疲れてしまい、これからの仕事本番に差し支えます。個人的には電車内よりも早く会社に行って30分集中して読んだ方が効果的だと思います。本書のコンセプトに若干反しますけどね。

ただ、使える本だと思いました。見易いです。勿論、全部を読むような本ではなく、自分が使う部分だけは完璧に。それ以外は必要になった時に参照できるようにどんな関数があるのか軽く目を通しておけば良いと思います。
<個人的メモ>
INDIRECT(範囲を示す文字列):範囲として認識できる文字列をセル範囲にする。
ISREF(名前):名前がセル範囲として使えるときはTRUEを返す。
【目次】
第1章 覚えて損なし!数値や金額を扱うコツ
第2章 入力作業を楽にする!文字列を扱うコツ
第3章 これで完璧!日付を扱うコツ
第4章 こんなこともできるのか!リストや一覧表を扱うコツ
第5章 ここまでできれば文句なし!集計を行うコツ
Excel 計算表で帳票の作成・集計に便利な [関数] 技2 (かんたん通勤快読)(amazonリンク)

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「仕事に使える Excel マクロ&VBA の基本がマスターできる本」小館由典 インプレス
「超図解 Access2003 総合編」エクスメディア
「一歩先ゆくAccess2000裏ワザテクニック」大園博美 秀和システム
「かんたん図解 PowerPoint2003」牧村 あきこ 技術評論社
「エクセル関数できた!」アスキー
posted by alice−room at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 実用・ビジネス】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする