2008年06月21日

「京の花街「輪違屋」物語」高橋利樹 PHP研究所

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最近の新書らしく読み易さは合格点だけど、中身がほとんど無い。特に島原の歴史的な記述部分は、他の類書を読むべきだろう。

また、お座敷遊びや粋な振る舞いとかについても、本書が際立って興味深いものはなく、お酒を飲むようなところなら、どこにでも共通する良識があれば、基本的にOKなのは一緒です。

では、本書の特徴かと言うと、島原最後のお茶屋さんの跡取り息子である著者が肌で感じ、実際にその世界で生きてきた人の生活観、というか考え方とかがちょっと面白い。

まさにおぼっちゃまとして蝶よ花よと育てられた特殊な世界が、現代の日本にもあった、そのこと自体が新鮮な驚きに感じられます。

一度もこの手のものを読んだ事の方、お茶屋さんで遊んだことのない方には、良いかも? 

あと、ふむふむと思った記述をメモ。
昔はおばあちゃんがよくお稽古に顔を出して、娘さんたちを振り分けたといいます。

踊りが上手な別嬪さんは「立方[たちかた](舞いを舞う人)さんに、顔はそれほどではないけど、三味線の筋が良かったら「地方[じかた](唄や三味線をする人)さんに、あまりお顔も芸も・・・、という子にはとにかく三味線を徹底的に仕込んで「義太夫」さんに、といった具合に。

義太夫さんは一曲が長いから花代(お座敷代)が高くつく。小唄だったら三分で終わってしまうから美人さんでないと間がもたなくて、お客さんは「お姉さん、もう帰るわ、車呼んで」となってしまいます。義太夫なら、曲が終わるまでお客さんは動けないわけです。
適材適所ですねぇ~。同時にそこまで考えてあげないと人を使うってことは大変なことでもあります。
昔はこんな話もありました。

あるお金持ちの旦那さんが、ある一つの廓を気に入って通うとします。すると、一人だけではなく、三人とか四人とかの芸妓さんに子供を産ませるということがありました。女の子の場合、大きくなると芸妓になりますから、その花街の芸妓さんはみんな似たような顔になっていくのです。父親がいっしょですからね。ですから「宮川町顔」とか、「祇園顔」とかがあったのです。パッと一目みてわかるようなのが。勿論、そんな甲斐性のある人はほとんどいませんけど。
なんか、昔の話にしても凄いお話ですね。事実は小説より奇なり、かもしれません。
【目次】
第一話 輪違屋に生まれて~跡取り息子の日々
第二話 最古の花街 島原 最後の置屋 輪違屋
第三話 極上の妓女・太夫
第四話 京都の花街
第五話 お座敷に遊ぶ
第六話 きゅうの輪違屋十代目~廓の情緒
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477)(amazonリンク)

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posted by alice-room at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 未分類A】 | 更新情報をチェックする
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