2008年08月20日

「イスタンブールの大聖堂」浅野 和生 中央公論新社

アヤ・ソフィアとか、ハギア・ソフィアとかいろいろな呼ばれ方がされるものの、長らくローマ帝国の伝統と西欧文化の継承を担ってきたコンスタンティノープルにある世界遺産の大聖堂を取り扱った本です。

私も何度か行こうと思い、計画は立てたものの、タイミングが合わず、未だに行けていない場所ですが、たぶんここ3年以内には行けると思う、そんな場所です。

先日も第4回十字軍によるコンスタンティノープルの陥落の本を読み、関心もだいぶ高まっていたりもする。

実際、本書の中でもその部分について一章を割かれているが、聖堂自体とそれを取り巻く環境とをバランス良く採り上げていて、この聖堂が拠って立つ歴史的基盤をよく説明していると思う。

読んでてもそこそこ面白いし、まだ見ぬ大聖堂の建築への期待がムクムクと湧く感じがします。壁に刻まれた(今では読み取れない部分も多いらしい)章句や図像の解説は、エミール・マールには及びもしませんが、悪くない感じです。

旅行に行く人なら、読んでおいて決して損はしないでしょう。つ~か、これだけのものを何も知らずにただ見るだけってもったいない、ような気がします。老婆心ながら・・・。

以下、抜き書きメモ:
正教会では、再婚までは認められたが三度目は許されない。教父性バシリオスによれば、三度目の結婚は「一夫多妻であり、姦淫である」。四回目の結婚は「けだもののような一夫多妻」で「姦淫より悪い罪」であるとされた。
イコン復活を前にして、テオドラは総主教メトディオスに夫の罪を許すよう懇願し、断食をして熱心に祈った。ある夜、彼女は幻影を見た。彼女がコンスタンティヌスの記念柱の横に立っていると、一群の男たちがさまざまな拷問の道具をかつぎ、テオフィロスを裸にして後ろ手に縛り上げて引き立ててきた。テオドラは夫を見つけ、泣きながらついていった。

 彼らが大宮殿のカルケー門まで来ると、門に掲げられたキリストのイコンの前に、威厳のある人物が玉座に座っているのが見えた。彼女がその足元に身を投げだして祈ると、威厳のある人物は言った。

 「女よ、汝の信仰は偉大である。したがって汝の涙と信仰と、そして私の聖職者たちの祈りと懇願のゆえに、私は汝の夫テオフィロスを許そう」。そしてテオフィロスは天使によって解放されてテオドラに渡され、ここで彼女は目が覚めた。
聖像崇拝を巡る争いとナルテックス・モザイクのエピソード
ロシアのスモレンスクから来たイグナティオスという人物の記録で14世紀のもの。
・・・・
われわれはブランケルナエ宮殿へ行って、まったく純粋な神の母の衣と靴下留めの入っている聖遺物箱にくちづけした。そこからわれわれは聖使徒聖堂へ行って、我々が主イエス・キリストが鞭打たれた聖なる柱にくちづけした。ペトロがキリストを否認したときもたれかかって泣いた石もそこにあった。
こ、これですね! 後にシャルトル大聖堂へ奉献され、今もそこに聖遺物として存在している『聖母の御衣(肌着)』とは。
別の同じく14世紀にコンスタンティンポリスを訪れたロシア人巡礼の記録。

・・・・・
聖ミカエル礼拝堂。

伝説によれば、かつてこの大聖堂の工事中、ここに大天使ミカエルが現われた。ミカエルは、労働者の監督をしていた若者に、「この聖堂の建築監督はどこにいるのか。すぐに連れてきて、ただちに聖堂を完成させるように」と命じた。

若者は、「主ミカエルよ、私は建築監督が来るまでここを離れる事ができません。さもなかれば仕事ができなくなります」と答えた。するとミカエルは言った。

 「皇帝のところへ行き、彼に建築監督がこの聖堂を聖なる英知を記念してすぐ完成させるよう命令させなさい。そうすれば私がお前の代わりに、聖ソフィア大聖堂の番をしていよう。そして主なる神キリストの力は私の中にあるから、私はお前が戻ってくるまでここを離れない」。

 ミカエルは若者を送り出し、そして彼は皇帝のところへ行って、ミカエルの出現のことを述べた。皇帝は心の中で考え、若者をローマへ送り出した。それは若者がもう戻っては来ず、聖ミカエルがキリストの再臨までずっと聖ソフィア大聖堂とコンスタンティノポリスの守護者であるようにするためであった。」
なんつ~か、日本昔話にあるような詐欺まがいのネタで天使を騙していいのか・・・という観点は、当時の人々には無かったようですね。とにかく、天使の力(ひいてはキリストの力)をGETできればOK!ということみたいです。

まあ、聖遺物を略奪しても、英雄扱いされる時代ですからね。当時は。眉唾ものらしいが、個人的にはこういうの大好き♪
【目次】
プロローグ ビザンティンの都を歩く
1 栄光のビザンティン帝国
2 ドーム建築の粋
3 禁じられた偶像崇拝
4 封印されたモザイク
5 さまざまな巡礼者たち
6 ビザンティン帝国の滅亡
イスタンブールの大聖堂―モザイク画が語るビザンティン帝国 (中公新書)(amazonリンク)

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「コンスタンティノープルの陥落」塩野 七生 新潮社
「コンスタンチノープル征服記」ジョフロワ・ド ヴィルアルドゥワン 講談社
「凍れる音楽-シャルトル大聖堂」~メモ
posted by alice-room at 23:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 【書評 歴史B】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>たぶんここ3年以内には行けると思う、そんな場所です。

ぜひアヤ・ソフィアを超える「シナン」によるセリミイェモスクもみてきて感想を教えてください。

イスタンブールの戦争博物館の大砲、地下宮殿なども印象に残っています。
Posted by kw at 2008年08月22日 22:09
kwさん、コメント有り難うございます。
実は、以前チュニジアに行く時、イスタンブール経由で帰りに寄ろうと思っていたのですが、シャルトル大聖堂に行きたくて予定を変更したことがあります。
そちらはそちらで良かったのですが、是非イスタンブールも行きたいと思っております。
そして、実物を見た感想や思いも書いてみたいと思います。
地下宮殿とかもあるのですか? 知りませんでした。情報有り難うございます。本当に楽しみです(笑顔)♪
Posted by alice-room at 2008年08月23日 05:56
おはようございます。
天使をだます頓智話っておかしすぎます。

こういう牧歌的なエピソードも残っているというは正直驚きましたが。
Posted by OZ at 2008年08月25日 16:26
こういうエピソードを知って、実物を見るとまた興味が増しますよねぇ~。
あの大天使が人間ごときにいいように扱われるとも思えませんが、今もそこで番をしてるのかなあ~って思いながら見ると、愉快かもしれません(ニヤリ)。
Posted by alice-room at 2008年08月25日 22:58
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