2008年11月02日

日泰寺 本物のお釈迦様の遺骨(仏舎利)があるお寺

今、読んでいる「世界の古塔」という本の中の文章を見て驚いた!

お釈迦様の本物の遺骨が19世紀に発見され、その一部が日本にも送られてとあるお寺に祀られているというのだ。そりゃ、胡散臭い「イエスの墓」とか「楊貴妃の墓」とかの話は知ってますが、本物なの??

大いなる疑問を持った無知な私は、そんな話を一度も聞いたことがなかったので調べてみると・・・・

な・なんと! 外務省のサイトにその記事が!!

すっげぇ~、国家のお墨付きかよ~。驚愕の余り、柄が悪くなってしまいました。しかし、それっくらいの驚きですね、本当に。

何故か名古屋にあるし、宗派を超えてるし、住職も持ち回りですか?

しかし、正真正銘本物の聖遺物じゃないですか? 時代が違うとはいえ、まさに巡礼者が押し寄せてもいいと思うのですが・・・絶対、ご利益ありそうなのに・・・?

聖遺物により奇蹟とかは起らないんだろうか? 中世とは違い、今の日本では奇蹟が生じないんですね。残念です。でも、今度行ってみたいなあ~。

nititaiji.jpg

日タイ修交120周年~外務省のサイト
【以下、外務省のサイトより転載】
日泰寺

 愛知県名古屋市に日泰寺というお寺があります。日泰寺は、1900年にシャム(現在のタイ)国王から贈られた仏舎利、つまり釈迦の遺骨を奉安するために1904年に創建され、「日本とタイの寺院」という意味で日泰寺と名付けられました。御本尊はこの御真骨と、同じくシャム国王から贈られた釈尊金銅仏であり、御真骨を安置する奉安塔は1918年に、釈尊金銅仏を安置する新しい本堂は1984年に完成しました。この日泰寺は、仏教徒にとって最も価値のある真の仏舎利を奉安していることからもいずれの宗派にも属さない日本で唯一の超宗派寺院であり、19宗派の管長が輪番制によって3年交代で住職を務めている特異な寺院です。その敷地は10万坪と広大で、現在は桜やツツジのお花見や観月の名所として親しまれています。

日泰寺ができるまで

 1898年、イギリス人のウィリアム・ペッペという人がネパール国境に近いインド北部で人骨の納められた古い壷を発見しました。その壷に刻まれていた古代文字を解読したところその人骨は仏舎利であることが判明し、当時インドを治めていたイギリス政府は仏教国であるタイ王国(当時のシャム)のチュラーロンコーン国王陛下に寄贈しました。そこからビルマ(現ミャンマー)やセイロン(現スリランカ)、日本といった国々に分与されました。建立地は仏教各宗派の代表と協議の結果名古屋市となり、山号は釈迦を意味する「覚りの王」の覚王山となりました(所在地は現在の愛知県名古屋市千種区法王町1-1)。当初の名前は日暹寺でしたが、1932年にシャムからタイに国名が変更されたのをうけて、1941年に日泰寺と改称されました。

建立記念行事とタイ要人の参詣

 日泰寺は二国間の良好な関係を表すものであり、タイ国王室の方々も訪れていらっしゃいます。1931年にはラマ7世陛下と王妃陛下、1963年には現国王のプミポン国王陛下(ラマ9世)と王妃陛下がご参詣され、日タイ修好100周年にあたる1987年にはチュラーロンコーン大王像建立祝賀法要にワチラロンコーン皇太子殿下に御臨席を賜りました。また毎年10月23日のチュラーロンコーン大王記念日には、タイ政府関係者や在日タイ人が献花に訪れています。日泰寺は2000年6月15日にチュラーロンコーン大王からの釈尊御真骨及び釈尊金銅仏拝受100年を祝い、2004年11月15日には建立100 周年記念法要を行いました。
 2月15日の涅槃会、4月8日の花祭り、6月15日の奉安記念法要、11月15日の奉還記念法要12月8日の成道会など年に数回は仏舎利を拝観することができます。

在京タイ王国大使館のサイト
【在京タイ王国大使館のサイトより転載】
覚王山日泰寺の歴史

1898年、英国人考古学者が、ネパールに程近いインド北部の古墳での発掘作業中に、人骨が納められた西暦紀元前3世紀頃の古代文字が刻み込まれた壷を発見しました。
その壷を採取、文字を解読したところ、中に納められた人骨は仏舎利であることが判明、つまりは釈尊なる人物はこの地上に実在しなかったとする見方を覆し、その実在が立証されたわけであり、この発見はアジアにおける一大発見となりました。
当時インドを治めていた英国政府は、こうした真の仏舎利は仏教徒にとって最も価値あるものと考えました。タイ王国(当時のシャム)が唯一の独立国家としての仏教国であったため、タイ国王が当時世界で唯一仏教を守る人物であると理解したインド政府は、この仏舎利をチュラーロンコーン国王陛下に寄贈、国王陛下はバンコクのワットサケート寺のプーカオ・トーン(黄金の丘)の仏塔に安置されました。
その後日本を始め仏教を信仰する各国の僧侶、外交団等からこの仏舎利を分与して欲しい旨依頼があり、国王陛下は仏舎利をこれらの国々に分与、日本に関しては宗派を特定しない日本のすべての仏教徒に対する贈り物としてお分けになられたのです。
日本仏教各宗管長は御真骨を自国に持ち帰るためにバンコクに使節団を派遣、1900年6月15日にチュラーロンコーン国王陛下より御真骨を拝受、御真骨奉安のための寺院を超宗派で建立することをお約束申し上げたところ、御本尊にと釈尊金銅仏及び建立費の一部を下賜されました。この釈尊金銅仏は大変美しくまた伝統あるもので、当時のタイ国にとって重要な芸術品のひとつでした。
使節団がタイ国から帰国後、仏教各宗派の代表と協議した結果、名古屋市民の要望が強かったことから名古屋に新寺院及び奉安塔を建立することになりました。そして、タイと日本の友好を象徴する日泰寺が1904年11月15日に名古屋(現在の愛知県名古屋市千種区法王町1-1)に誕生しました。
釈尊御真骨を安置する奉安塔は、東京大学伊東忠太教授の設計により1918年に完成しました。この奉安塔は伊東教授の代表作となり、後々日本国内で壮麗な仏教建築と賛辞を受けることになります。
タイ国から拝受した釈尊金銅仏を安置する新しい本堂は1984年に完成しました。プミポン・アドゥンヤデート国王陛下にこの新本堂の完成を御報告申し上げたところ、金銅釈迦如来像と直筆の勅額一面を下賜されました。勅額にはタイ文字で「釈迦牟尼仏」と記され、両脇にはそれぞれプミポン国王陛下とチュラーロンコーン大王の御紋章が刻まれており、現在は本堂外陣正面に掲げられています。
その名が「日本とタイの寺院」という意味を持つ日泰寺は、二国間の良好な関係を表す寺院であり、いずれの宗派にも属していない単立寺院であって、その運営に当たっては現在19宗派の管長が輪番制により3年交代で住職を務めるという、日本でも特異な仏教寺院です。
日泰寺は、チュラーロンコーン大王が日本人仏教徒のためにと釈尊の御真骨と釈尊金銅仏を下賜されたことから建立された寺院で、タイ国にとても近い存在です。特にタイ国王室との関係は特別なものがあり、王族の方々が幾度となく訪れていらっしゃいます。1931年、訪日中でいらっしゃったプラチャティポック国王陛下(ラマ7世)とラムパイパンニー王妃陛下が日泰寺を御参詣され、1963年にはプミポン・アドゥンヤデート国王陛下、シリキット王妃陛下も御参詣されました。また、日・タイ修好百周年に当たる1987年、日泰寺は本堂前にチュラーロンコーン大王像を建立、同年9月27日の祝賀法要にはワチラロンコーン皇太子殿下に御臨席を賜り、銅像の除幕式を執り行いました。
毎年10月23日のチュラーロンコーン大王記念日には、タイ政府関係者及び在日タイ人が、大王の慈悲深い御心を今一度思い起こすために献花に伺っております。
日泰寺は、2000年6月15日にチュラーロンコーン大王からの釈尊御真骨及び釈尊金銅仏拝受百周年を祝い、また2004年11月15日には建立百年記念法要を執り行いました。
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posted by alice-room at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 【備忘録B】 | 更新情報をチェックする
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