でもって、本書の何章分かは普通に、残りは流し読みしたのですが、う~んよく分からない。哲学史なので、歴史的なものからその哲学自体の内容に入っていくのですが、歴史時代に割かれている部分は私的には既知で紙面がもったいないのと、肝心の哲学の内容については、どうも簡潔過ぎて全然意味が分からない。
ある程度は知っている偽ディオニシオスの部分(13章+前後の章)は何度も読み返してみたが、私的には全然使えないんですけど・・・(涙)。
私的には全くお薦めしませんが、一応、読書メモ。
キリスト教文化の復興期であり、人文主義が興隆する季節でもあったカロリング朝期には、ギリシア語諸文献があらためてヨーロッパ世界に知られるようになった。わけても重要なのは、それまでラテン世界にとって疎遠な存在でもあった、ギリシア教父たちのテクストである。
その最大のものが、いわゆる偽ディオニシオス文書であったいってよい。ディオニシオス・アレオパギテースを自称する著書のテクストは以後、中世期をつうじて繰り返し註解の対象となり、決定的な権威を帯びることになる。
著者が新約聖書に登場する、パウロの弟子のひとりと考えられ、しかも、パリの初代司教として殉教した、ディオニシオスと同一人物とも黙されたからである。新プラトン主義とりわけプロクロスの強い影響もみとめられ、パウロ時代のものではありえないテクストについて、いわゆるルネサンス(と宗教改革)期に強い疑念が提出されたけれでも、著者がまったくの偽名を使用していたことが決定的にあきらかになったののは、ようやく十九世紀もすえのことであった。
偽ディオニシオス文書は「神名論」「神秘哲学」「天上位階論」「教会位階論ん」と十通の書簡からなる。「神秘神学」は神に対するつぐのような呼びかけからはじまる(第一章一節)。
存在を越え、
神を越え、
善を越えている、
三一なるもの
偽ディオニシオスは神へといたるふたつの道として、肯定の道(カタファティケー)と否定の道(アポファティケー)とを区別し、一般に「神名論」はのちに肯定神学と呼ばれるようになる道を。「神秘神学」はおなじく否定神学を展開したものであるといわれる。「越えて」の語は、けれども「神名論」でも、繰りかえし用いられる。三一(トリアース)なる神、三位一体(trinitas)の神は、存在を超えて存在自体であり、善を越えて善自身である。
注目されなければならないのは、偽ディオニシオスがその神を「光を越えた/闇に隠れる」もの、感覚と知性とのいっさいを越えたものととらえ、ことにモーゼの名とむすびつけて、「神という闇の光」にいたるためにには、「無知」こそが必要であると主張していることである。
神の「現在」(バルーシア)は達しうる限りでの知性の頂点を遥かに越えている(同)。「言葉を越えた善」(ヒューベル・ロゴン・アガトン)(「神名論」第一章)である神、いっさいのものの原因である神はまた、すべてのものがぞくする「全体」(ホロン)の、さらにその「かなた」にこそ、在るのである(「神秘神学」第五章)。
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第1章 哲学の始原へ
いっさいのものは神々に充ちている
―タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス
第2章 ハルモニアへ
世界には音階があり、対立するものの調和が支配している
―ピタゴラスとその学派、ヘラクレイトス、クセノファネス
第3章 存在の思考へ
あるならば、生まれず、滅びない
―パルメニデス、エレアのゼノン、メリッソス
第4章 四大と原子論
世界は愛憎に満ち、無は有におとらず存在する
―エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス
第5章 知者と愛知者
私がしたがうのは神に対してであって、諸君にではない
―ソフィストたち、ソクラテス、ディオゲネス
第6章 イデアと世界
かれらはさまざまなものの影だけを真の存在とみとめている
―プラトン
第7章 自然のロゴス
すべての人間は、生まれつき知ることを欲する
―アリストテレス
第8章 生と死の技法
今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように
―ストア派の哲学者群像
第9章 古代の懐疑論
懐疑主義とは、現象と思考を対置する能力である
―メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義
第10章 一者の思考へ
一を分有するものはすべて一であるとともに、一ではない
―フィロン、プロティノス、プロクロス
第11章 神という真理
きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る
―アウグスティヌス
第12章 一、善、永遠
存在することと存在するものとはことなる
―ボエティウス
第13章 神性への道程
神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる
―偽ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス
第14章 哲学と神学と
神が存在することは、五つの道によって証明される
―トマス・アクィナス
第15章 神の絶対性へ
存在は神にも一義的に語られ、神にはすべてが現前する
―スコトゥス、オッカム、デカルト
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