先行するお二人のブログで紹介されている内容も黄金伝説で出ていましたが、あまりにも分量が多いので私の独断と偏見で、ここでは抜き書きしています。世界中の人気者サンタクロース。その元々の守護聖人ニコラウスってどんな人? 少しでも参考になると嬉しいです。
サンタクロースが何故、泥棒の守護聖人なのか? 処女の守護聖人なのか? それなりに理由があるのが分かります。子供だけの聖人ではなく、夜中に金の塊を投げ込んでくれるなら、私の守護聖人になって欲しい!! 貧乏な人に金をばらまく所なんて、まるで義賊ねずみ小僧みたいです(笑顔)。おもちゃより、はるかに嬉しいかも?
こんなことばかり言っていて、風邪にやられている私です。とりあえず、健康のプレゼントをお願いしたいですね。
聖ニコラウス 【黄金伝説より抜粋】
ニコラウス(Nicolaus)は<勝利>を意味するnicosと<民衆を意味するlaosに由来し、民衆の、即ち通俗にして低劣な悪徳の、克服者を意味する。あるいは多くの民衆にその訓戒と実例とよって悪徳と罪とをどのように克服すべきかを教えたのであるから、民衆の勝利を意味する。あるいは、nicos<勝利>と<称賛>を意味するlausとから来ていて、勝利に輝く称賛を意味する。
ニコラウスはパトラス市の敬虔で富裕な両親のもとに生まれた。父はエピパニオスといい、母はヨハンナと言った。神は両親の若い盛りにこの子供をお与えになった。以後、両親は情欲を慎み、神を愛して生きた。聖ニコラウスは生まれたその日、産湯をつかわせようとすると、たらいの中にすっくと立った。また水曜日と金曜日には母の乳房を一度しか吸わなかった。幼年時代には他の少年達が喜ぶ楽しみごとや遊びには仲間入りしないで熱心に教会に通った。教会で聖書から覚えたことはいつも真剣に心に留めていた。父と母が死んだ時、莫大な遺産を人間の名誉の為で無く、神をたたえる為に使うにはどうしたら良いかと考え始めた。
生まれは貴族だが貧乏な隣人がいた。その人は娘が三人あって困窮のあげくに三人に春をひさがせ、娘達の恥辱で得た金で暮らそうと考えた。聖ニコラウスはこれを聞いてその罪深さに驚いた。彼は金塊を布に包むと夜密かに貧しい隣人の家に窓から投げ込んでそっとまた帰ってきた。隣人は朝になって金に気付き、神に感謝し、その金で長女の結婚式を挙げた。それからしばらくして聖ニコラウスはもう一度同じことをした。貧しい隣人は再びたくさんの金を見つけると心から神を誉め称え、困っている自分にこんな援助の手を差し伸べてくださる奇特な神のしもべをはだれであろうかと思って、これからは見張りをしていることにした。
その後まもなく、聖ニコラウスは以前の二倍の金塊を隣家に投げ込んだ。隣人は金塊が投げ落とされた音で目を覚まし、後を追いかけて「どうかお顔を見せて下さい」と叫んだ。そして彼に追いついて聖ニコラウスであることを知った。隣人は彼の前にひざまづき、足に接吻をしようとした。ニコラウスはそれを押し留めて自分が生きている間はこのことを誰にも言わないで欲しいと頼んだ。
ミュラの司教が死に後任を選ぶ為に多くの司教が集まってきた。一人の権勢と声望の高い司教がいて後任の選出はこの人の判断一つにかかっていた。彼は一同に断食とお祈りを続けるようにと言った。と、その夜、ある声が届いて「朝課の時刻に教会の入口を見張っていなさい。教会に最初にやってくるニコラウスという名前の者を司教に任じなさい」と告げた。司教はこのことを他の人々に知らせ、心を込めてお祈りを続けるようにと言いつけて、自分は入口のところで待っていた。さて、主がお定めになったとおり、朝課の時刻に聖ニコラウスが誰よりも先に教会にやってきた。くだんの司教はニコラウスを呼び止めて「あなたはなんというお名前ですか」と尋ねた。何も知らないニコラウスはうやうやしく頭を下げて「私はニコラウスと申しまして神父様のしもべでございます」と答えた。そこで、一同はニコラウスを教会の中に案内して、どうしてもいやがる彼を司教の財につけてしまった。
ある時、水夫達が海上で大嵐にあった。彼らは聖ニコラウスの名を呼んで「主のしもべでいらっしゃるニコラウス様、私達が耳にしましたあなたのお噂がほんとうなのでしたら、私達にも助けの手をお差し伸べ下さい」と祈った。すると、ニコラウスらしい人が現われ、「あなた方が呼んだのでやって来ましたよ」と言って、帆や索やその他の船具を操るのを手伝いはじめた。と、たちまち海は静かになった。水夫達は陸地に着くと、その足でニコラウスの教会を訪れた。彼らはそれまで一度もニコラウスを見たことがなかったにもかかわらず、誰にも教えてもらうまでもなく、すぐにこの人だとわかった。彼らは主とニコラウスに助けてもらったことを感謝した。しかし、ニコラウスはこう述べた。「私ではなく、あなた方の信心と天主の聖寵があなた方を助けたのです」
その後、聖ニコラウスが司教をしている地方に大飢饉が生じ、あたり一帯どこにも食料がなくなってしまった。その時、ニコラウスは小麦を満載した数隻の船がここの港に立ち寄ったという話を耳に挟んだ。そこで出掛けて行って船員達に飢えている人々を救う為にどの船からも十斗ずつでもよいから小麦を分けて欲しいと頼んだ。船員達は「神父さん、そいつはできない相談ですな。アレクサンドリアでちゃんと量目を計って受け取ってきた小麦でしてね、皇帝様の倉庫に引き渡さなくちゃならんのですよ」と答えた。聖ニコラウスは「私の言うとおりにしなさい。天主のおん力にかけて誓います。皇帝の役人達が小麦の計量をする時、量目は少しも減っていないでしょう」と言った。船員達はニコラウスに言われたとおりにした。そして、小麦を皇帝の計量官に引き渡した時、その量目はアレクサンドリアで積み込んだ時と少しも違わなかった。船員達はこの奇跡を人々に語り、主とそのしもべとを誉め称えた。そしてその少量の小麦は、その地方の全ての人々に二年間にわたって分け与えたにもかかわらず、底をつくこともなく、種まきにする分もたっぷり残った。
我らが主が聖人をこの世から永遠の喜びの国にお召しになろうとされた時、ニコラウスは御使いをお送り下さいと主に願った。頭をたれていると、主の御使いがたちがこちらへ降りてくるのが見えた。彼は賛美歌『主よ、私はみもとに帰ることを望みました』を「私の霊をあなたのおん手に委ねます」ということまでうたった。そして、ここで昇天した。主の紀元343年のことである。すると、甘美な天上の歌声が聞こえた。遺体は大理石の墓に埋葬された。すると、その頭部から油の泉が湧き出し、脚部から水の泉が湧き出た。彼の聖骨から湧くその聖なる油は今日でも流れ出ていて万病に効験あらたかである。
聖ニコラウスの死後、ある敬虔な神父がミュラの司教になったが、嫉妬した人達にその地位を追われた。すると、油の泉が涸れてしまった。その神父がミュラに呼び戻されると泉は元通りに湧きあふれた。それから長い年月が経って、ミュラの町はトルコ人達に破壊された。しかし、バーリ市から四十七人の騎士達が訪れてきた。四人の司祭達は彼らに聖人の墓を見せた。墓を開けて見るとニコラウスの聖骨は油の中に浮かんでいた。騎士達は丁重に聖骨をバーリ市に持ち帰った。主の御誕生後、1087年のことである。
あるキリスト教徒がユダヤ人から多額の金を借りた。保証人がなかったので聖ニコラウスの祭壇にかけてできるだけ早く返済することを誓約した。長い間借りっぱなしにしたあと、ユダヤ人から金の返済を迫られた。すると、キリスト教徒はその金は既に返したと言った。そこでユダヤ人は法廷に持ち出した。法廷はキリスト教徒に返済したのならそう誓言することを命じた。彼はなかが空洞の杖に金貨をいっぱい詰めて杖がなくては歩けないと言わんばかりの格好で法廷に出頭した。そして、誓言をを求められると杖をユダヤ人に預けて借りた以上の額を返済したと誓言した。誓言が済むと、ユダヤ人に杖を返してもらいたいと言った。悪巧みをされているとはつゆ気付かないユダヤ人は正直に杖を返した。
まんまとだまいおおせたキリスト教徒は帰り道で急に疲労をおべえ、十字路の所で眠り込んでしまった。その時、一台の馬車が猛スピードで走ってきて彼をひき殺した。金貨を詰めた杖も割れて中から金貨が転がり出てきた。ユダヤ人はこれを聞くと、急いで現場へ駆けつけ、悪だくみに気付いた。人々はその金貨をもらっておくようにすすめた。しかし、ユダヤ人は言った。「いや、そんなことはできません。もっともこのキリスト教徒が聖ニコラウスのお慈悲とやらで生き返りでもすれば、話は別ですが。しかし、そんなことが本当におこった日にや、私も洗礼を受けてキリスト信者になってごらんに入れますよ」と、そのとき、死者がいきなり立ち上がって生き返った。ユダヤ人は洗礼を受け、キリスト信者になった。
あるとき、一人のユダヤ人がいて聖ニコラウスが偉大な奇跡を行うのをその目で見た。そこで彼は聖ニコラウスの像を作らせて家に置き、遠方に出掛ける時にはいつもその像に全財産を預けてこう言うのがくせであった。「ニコラウス様、私の全財産をあなたの御加護に委ねます。ちゃんと留守番をして下さらなければ、仕返しに鞭をたっぷりお見舞いしますよ」
ある日、ユダヤ人は外出し、聖ニコラウスに留守番をさせた。すると、泥棒達が押し入って家にあったものを根こそぎかっぱらい、聖人の像だけ残しておいた。ユダヤ人は帰宅してなにもかも盗み去られたことを知ると、像に向かってこう言った。「ニコラウス様、私は家の見張りをして頂く為にあなたを我が家に置いたのではありませんか。なぜちゃんと留守をまもり、泥棒どもを撃退して下さらなかったのですか。よろしいですか、泥棒に入られた罰と痛い目をしのんでいただかなくちゃなりません。私がこうむった損害の仕返しをあなたにし、あなたを鞭でたたきのめして鬱憤晴らしをしようとう訳です」こう言って聖人の像に手をかけ、激しく鞭で打って折檻した。
その時、大きな奇跡が起こった。泥棒達が盗品の山分けをしているところへ、聖ニコラウスがユダヤ人の折檻を生身に受けたかのような凄まじい形相であらわれ、こう言ったのである。「見なさい。私はあなた達のおかげでこんなに殴られたり打たれてありしてひどい仕打ちにあいました。全身血まみれでみみずばれになっています。だから急いで行って盗んだものをみんな返してきなさい。そうでないと、天主があなたがたに復讐をし、あなたがたの犯罪をばらしておしまいになるでしょう。そうなったら、天主があなたがたに復讐し、あなたがたの犯罪をばらしておしまいになるでしょう。そうなったら、みんな間違いなくつるし首です」彼らは言った。「俺達にそんなとんでもないことを言うあんたは、いったいだれかね」聖人は答えた。「私は主のしもべニコラウスという者で、あなた達に家財を盗まれたユダヤ人にめった打ちにあわされたのです」泥棒達は大いに驚き、ユダヤ人のところに行ってその奇跡を話し、盗み出した家財を返した。すると、ユダヤ人も自分が聖人の像にどのような仕打ちをしたか話して聞かせた。こうして泥棒達は真人間にかえり、ユダヤ人はキリスト教徒に改宗した。
【補足1】
バーリはイタリア南部、アドリア海に臨む都市。サン・ニコーラ(聖ニコラウス)聖堂には今もその墓があり、聖遺骨の移居記念日(5月8日)には海陸にわたる盛大な行事が催される。ミュラには、このときトルコ人によって破壊されたままの石棺が現存する。聖ニコラウス崇拝はミュラ及びコンスタンティノポリスを中心としていたが、9世紀にギリシアからイタリアに広まり、特に聖遺骨がバーリに移居してからは船乗りたちの熱心さもあいまってヨーロッパ全般に及び彼の名を冠した教会のない町がないくらいになった。
【補足2】
四世紀前半のミュラ(現トルコのデムレ)の司教。あらゆる聖人の中で古来民衆的人気と言う点で抜群の聖人。船乗り、パン職人、仕立て屋、織り工、肉屋、公証人、弁護士、学生、処女、子供などの守護聖人とされているのも人気の高さがうかがわれる。人気者だけに逸話も多く、ほとんどの場面が絵画に描かれる。単独で描かれる場合は司教の服装をし、本の上に金の珠(金塊)を三つのせている。パンを三個持っていることもある。
彼にちなむ<サンタ・クローズ>(語尾が濁るのが正しい発音)はオランダ語のシント・クラウスを訛ったものと言われ、彼の祝日12月6日の前夜に訪問と贈り物をかわす習慣に北欧の伝説が加わり、八頭のトナカイが引くソリに子供のおもちゃを積んで北極から訪れてくることになり、これがニュー・アムステルダム(後のニューヨーク)のオランダ系移民からアメリカ中に広まり、クリスマス・プレゼントの風習と結びついて赤服赤帽に長靴を履いたサンタさんが贈り物をいっぱいつめた大きな袋をかついでくるようになった。
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関連ブログ
黄金伝説 Golden Legend コロンビア百科事典による
The Golden Legend: Readings on the Saints 「黄金伝説」 獲得までの経緯
「黄金伝説抄」ヤコブス・ア・ウォラギネ 新泉社
「守護聖者」植田重雄 中央公論社
体調が優れないなか、リクエストに答えていただき感謝しております。また記事内でも拙ブログを紹介していただき、ありがとうございます。
やはり『黄金伝説』は、面白いですね。でも英語版では読む気がしないので、是非とも日本語版を復刊して欲しいものです。
特に聖ニコラウスが死んでから起きた奇跡の話が面白かったです。
一段と寒くなってきましたので、お体には、十分気をつけてください。
また、よろしくお願いいたします。
黄金伝説面白いですね。
暖かいもの沢山食べて、汗をいっぱいかいて、ぐっすり眠ることをおすすめします。
お大事に!
今日は御忠告通り、暖かい鍋を食べたのでこれからぐっすり眠ります。seedsbookさんもお大事に。