
まだ荒々しい豚が人を襲って、人を圧死させるだけではなく、人の顔などを食い散らかすとは正直この本を読むまでイメージできませんでした。まだまだ家畜も凶暴だったんですね!あな、おそろしや・・・。
著者はなかなかキャッチーなこのテーマを偶然に知り、法学的側面からよりも社会的・歴史的側面から、理性の無い動物をあえて人と同じ裁判にかけて判決を下していた時代特有の現象を説明しようとされています。このアイデアは、悪くないし、むしろとっても興味深いものの私が読んだ範囲では、内容的に失敗していると思いました。
端的に言うと、中世の西欧において自然を人間の支配領域に組み入れようとする馴致・訓化する過程の一環として、動物を擬似的に人間の制度に服さしめたものとして動物裁判を捉える一方、異教崇拝から民衆をキリスト教へと改宗させていく過程で動物の破門という形式をとることでそれらをもキリスト教的論理に採り込んでいくものが動物裁判という形をとったという解釈をされています。
まあ、それらは著者に限らず、中世理解の一般的な捉え方であり、その枠組みに動物裁判という個性的な事例を解釈していくのは悪くはないと思うですが、率直に言って「だから何?」としか言えないぐらい内容が薄っぺらいです。
著者も若干は触れていますが、少なくとも裁判という形から捉える以上、まずは法体系の位置付けから捉えるべきでしょう。中世の法制度上、ビザンティン帝国で集大成を見たローマ法とゲルマン独自の慣習法とが、混交していたであろうことは想像に難くないですし、そこにおける動物裁判の法源がしっかり説明されていないのは、そもそも間違っていませんか???
法律は空虚な存在ではなく、あくまでもその時代・その地域において社会的正当性と妥当性を合わせ持ち、社会の安定に寄与するものであり、社会(民衆)から支持されないものではありえないのですから。その観点から、逆に当時の社会が何を妥当なものとして捉えていたのか?社会規範を理解していく手法の方が適切だと思うのですけどね。
著者は逆に、法的な側面を最初からできるだけ触れずに社会的側面・歴史的側面から捉えると言っている時点で、私的には大いに不満を覚えました。方法論からして著者の個人的な嗜好の産物であり、その結果、本書自体があれこれ触れてはいるのですが、結局、動物裁判が何故に中世に行われたのか?その説明に収束せず、関連することを書き散らかすだけで発散してしまっているように思われます。かなり期待外れで残念でした。
目のつけどころは、非常に面白いのになあ~。具体的な資料もたくさん調べられているようなので、なんかもったいないです。作物を食い荒らすバッタなどの昆虫を司祭が破門したりするのは面白いのにね。いっそのこと変な説明をせず、判例だけを省略せずに日本語で紹介してくれた方が、ずっと意義ある本になったと思うんですが・・・。著者の解説部分については価値を見出せません。なんだかあ~、読んでいて悲しかったです。個人的には、裁判事例以外のところはお薦めしません。
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