放浪―この場合は遍歴―しながら腕を磨いていく渡りの職人像を生み出すのは、都市毎に食事と宿を無料で提供してもらえる仕組みがあり、賃金水準や職務内容まで含めて職を斡旋する互助的組織が存在していた事が実に大きな理由であったことが分かります。
為政者からたびたび禁止されるものの、歴史上から消えることなく現在に至るまで存続し続けたのは、まさに故なきことではありません。
本書は、そういった事柄を概観するには良いかもしれません。ただ、阿部謹也氏の著作などと比べると、読み物としての魅力には欠けています。面白くないです。
また、内容もかなり表面的であって、つっこみ所が多々あります。私でも分かる誤りとかもあるし・・・。(後で引用するマグダラのマリアの聖遺物のくだり、明らかに間違いです)
個人的には、阿部氏の著作の方がよっぽど面白いし、あるいは、同じ翻訳物なら、処刑していた職人の個別的な話の方が興味深いです。他の本読めば、いらないかなあ~?
あえて本書の価値を挙げるとすれば・・・完全に私だけの視点ですが、マグダラのマリアを巡る巡礼が職人によってなされた定番の巡礼だったことを初めて知りました。正直、これはかなり意外だったです。
また、職人の旅先の宿泊施設がメール(おふくろ)と呼ばれたりするのも本書で知りました。逆にいうとそれ以外は、全部既知の範囲内でしたが・・・。
以下、備忘録として引用。
・・・フランス巡歴の職人たち―同職組合の歴史 (文庫クセジュ 635)(amazonリンク)
サント=ポームへの巡礼であり、今もよき伝統として残っている。伝説によれば前述のごとく、マグダラのマリアはキリスト受難の後、ユダヤを去って、二人のマリアとともにサント=マリ=ド=ラ=メールに向かったらしい。彼女は罪の償いのための厳しい苦行をした後、サント=ポームの洞窟で生命を終えたということである。
この巡礼は中世初期に始まる。このときマドレーヌの聖遺物はヴェズレー大寺院とサン=マクシマム聖堂に分配されたようである。サン=マクシマムはジャック親方も埋葬されているということで、これが同職組合の巡礼のおこりとなった。
1914年までにこの巡礼は下火になった。1804年に始まった記名帳は1929年に閉じられたが、第二次大戦後再開し、1974年に新しい記名帳がつくられた。職人はこの記念サイン帳に署名し、特別のことでリボンに刻印を押してもらう。
以上が有名なフランス巡歴であって現在もなお連綿と続いており・・・
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「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「中世のパン」フランソワーズ・デポルト 白水社