2009年03月24日

「誰か故郷を想はざる」寺山修司 角川書店

名前としては大変有名な著者ではあるが、著者の映画などを観てもどこが良いのか分からなかった。それでも・・・と思い、初めて著者の本を読んだのだが、本書もやっぱりどこが良いのか分からなかった。

というか、個人的にはかなり最低な内容だと思っており、相当な怒りと嫌悪感をおぼえてならない。

とにかく貧乏臭い。土着性を通り越して、みすぼらしいほどの粘着性を感じてならない。貧しくても良い。日本的なドロドロも結構。ただね、それをこういった形で文章としてあざとく曝け出す売文家的な根性が嫌い!

無意味に外からのものを引用する、権威を否定しつつ、それでいて自分だけでは確固とした自立的存在として成り立たず、常に借り物の装いを引っ張り出す(ようにみえる)その性根が堪らなくイヤ!

何故、最初から最後まで自己完結しないだろう。当時の世相の経験者を、大衆を自らの思いと姑息なまでに重ねあわさせ、共感という事後的従犯のような共犯関係を読者に強いる、その姿勢に拒否感を感じてならなかった。

でもなあ~、90年代だったかな?たまたま友人の車で東北道をひたすら北の終点まで走り、恐山に行くぞ~と思いつつ、ちょうどその前日で冬季閉鎖の為、結局行けなかったあの時。

ぶらりと寄った青森市で、全くの偶然に観た市街劇の衝撃は忘れられない。後ほど「天上桟敷」による最後の公演だったことを知るものの、寺山修司の写真をつけた不思議な人々による都市ジャックは、未だに強烈なインパクトとして残っている。

また藤原竜也が主演し、蜷川氏による「身毒丸」も良かったんだよねぇ~。大いに好きだったりする。他にも寺山修司の系統を色濃くひくアングラ系の舞台とかよく観に行ってた手前、個人的には複雑なものが大いにあるのだが・・・。

やっぱり、大元は駄目みたい。

基本、私もサブカル系の人ではあるものの、どうにも肯定できないんだよなあ~。著者本人ではなく、その影響下で生成された虚像の寺山修司の方がおそらく私のイメージにぴったり来るに違いないような気がしてなりません。

本書を読んでいても、どこをどうとっても私には誌的な言葉として感じられ箇所がありません。悲しさを通り越した、不快という感覚に訴えかける憤りしかないなあ~。

巻末の解説に至っては、火に油を注いで不快感がいや増すばかり。蝉なんて、むしろ貴重なタンパク質として食べりゃいいじゃん。それがなに?ってカンジです。

勝手に幻想を抱いて、深読みしてろよ、エセ信者めってな想いしか抱けず、かえって落胆の度を増すばかりでした。もっとパッションを感じられるかと思ったんですけどねぇ~。なんか勝手に期待していた私はバカだったんだと思います。
【目次】
第1章 誰か故郷を想はざる
汽笛
嘔吐
羊水
誰でせう
排泄

へっぺ
聖女

空襲玉音放送

第2章 東京エレジー
友人
賭博
政治
反読書
戦後
旅路
大学闘争
誰か故郷を想はざる (角川文庫)(amazonリンク)

ラベル:書評 小説
posted by alice-room at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 小説B】 | 更新情報をチェックする
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