2006年01月12日

「修道院」今野 國雄  岩波書店

非常に正統派的な修道院に関する歴史の本。薄いながらも、まさに岩波と確信できる感じと言えば分かってもらえるでしょうか?

エジプト以来の本当に何もない中で修道制から、聖ベネディクト会則が作られ、それに則った形での修道生活の実践。典礼で有名なクリュニー修道院の繁栄とその奢侈堕落ぶり。それに対する改革派によるシトー会の誕生とその改革性と隆盛。やがて異端との論争をすることになるドミニコ会やフランチェスコ会。

さらにはルターの宗教改革を経て近代に至るまで、非常にバランス良く正統派的に概観することができます。おまけに「労働」を巡る評価の論争や聖者と学者の島アイルランドにまで触れ、本当に幅広い。視野が広くなる一方で、個々のテーマについては、説明不足で駆け足になっている点も否めない。そこが惜しい!! でも、これを読んでおおまかな趨勢をつかむことで次の本に向かう良い入門書や準備体操的な役割を十分に果たしていると思う。

もし、修道院というものに対する知識がない人には、この手の本が最初は手頃かもしれない。私の場合は、既に何冊かこの手の本を読んでいるので余計分かり易かったかもしれないが、知識の整理には良いと思う。映画「薔薇の名前」でも出てくる修道院(教会)における富と清貧の問題は、ここでも取り上げられています。

クリュニー修道院が圧倒的な中央集権体制下、ほとんど荘園経営者として自らの労働をやめ、ひたすら華美・壮麗の建築や美食、豪華な服装にうつつを抜かしていく一方で、シトー会が使徒的生活をまさに実践し、あくまでも修道士自身が荒地を開墾して直接土地経営に当るのとでは全く対称的であり、面白い。

それ以前からも修道制における「労働」というものはずっと問題とされてきており、使徒的生活を求める余り、自らの生活を支える労働さえも行わず、ひたすら喜捨に頼り、乞食の生活に甘んじるのは間違った労働の捉え方としているのも興味深い。

アイルランドが当時は、宗教・学問の中心地で皆がそこに憧れ、集っていたというのも初耳でした。もっとも先日読んだケルトの本に少しは出ていたような気もするけど・・・?

修道院というキーワードから、いろんな興味深い歴史・事実を知ることができます。絶版のようですが、もし見かけたら買っておいて悪くない一冊です。

読んでいてさすがは贅沢三昧のクリュニーと思った部分を引用。
次々に皿が運ばれてくる、あなた方に禁じられているただ一つのことである肉食の禁戒を埋め合わせる為に、たくさんの魚が二度にわたって出される。最初の食事で満腹しても、次の御馳走が出るので先に味わったものを忘れてしまう。新しく工夫された調味料で刺激された味覚は、ちょうどそれまで断食していたかのようにいつも敏感に働き、再び食欲をそそる。胃はいっぱいになるが、料理の多様さが食欲不振になることを妨げる。また、卵を料理するさまざまな方法を誰が教えるのだろうか。卵は裏返しにし、また裏返し、湯がき、ゆで、細かく切り、フライにし、焼き、詰物をする。それは時には単独で、時には他の食物と混ぜて出される。もしこれが食欲不振を避けるという目的の為だけでないとすれば、一体どんな理由があるというのであろう。この食事の後、食卓を立つが、浴びるほどのぶどう酒で頭は重苦しくなっている。もし眠る為でないとすれば、なぜこんなことをするのか。もしこんな状態で聖務日課に行かなければならないとすれば、果たして聖歌を歌うことができるのだろうか。

ねっ、すごいでしょう。私は今すぐにでもクリュニー修道院だったら、入りたいな。たらふく食べてワイン飲んで、美しい写本読んでればいいんでしょう。この世の楽園ですね。ずっと本を読んでいればいいんだし。たまには形だけのお祈りをすればOKみたいだし(笑)。

そうそう、ケルトの話で有名な「聖ブレンダンの航海」。修道院の院長が旅に出るんですが、実際に当時の風習としてそういうのがあったんだそうです。突然、清貧の旅に出ちゃうんだって。ローマ教会側では、こうした動きを止めようと禁令まで出したとか。まさにへえ~って思っちゃいますね。なんか楽しいです♪

修道院―祈り・禁欲・労働の源流(amazonリンク)

関連ブログ
「修道院」朝倉文市 講談社
薔薇の名前(映画)
「図説 ケルトの歴史」鶴岡 真弓,村松 一男 河出書房新社
「イグナチオとイエズス会」フランシス トムソン 講談社
ブラザー・サン シスター・ムーン(1972年)フランコ・ゼフィレッリ監督
posted by alice-room at 22:51| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 宗教A】 | 更新情報をチェックする
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