要はパワポなどのプレゼンツールを使うとこれは私も従来から、常々思っていたことで会議などで提示する資料は、数値だけの表で事足りるのではないか? つ~か、グラフや図はむしろ、作成者の思惑で恣意的に歪められた印象を与えられる恐れがあり、極力排除すべきではと思っていました。
・スクリーンに目がいき、話者を見ない
・聴衆が自分で考えない
それ(図・グラフ等)に対して、
テキスト資料―――話し手の思考過程が分かる
現在は見栄えのするプレゼン資料の作成が目的になってしまい、何を伝えたいのかが失われている。
もっともこれは、私が勤めていたベンチャー企業のオーナー社長から習ったことなんですけどね。とにかく数字の時系列からトレンドや基礎的な数字を頭に入れておきさえすれば、何か経営環境や社内で異変があればいち早く気付き、対処できるとそりゃ嫌ってほど叩き込まれたもんです。
私が年間の事業計画やら、数年後の経営計画の資料を社長室に持っていくと、しょうもない凡ミスをすぐ指摘されたもんなあ~。君は数字が(頭に)入ってないと言われたもんです(赤面)。
作業をしていると視野が狭くなり、大局観が失われる。人手と能力のある人材に限りのあるベンチャーでは、プレイング・マネージャーである以上、現場作業をしないわけにはいかないけど、常に責任者クラスは、現場から離れた視点を意識しないと、とも言われたもんです。
まあ、いろいろあったけど、確かに生きた教育は受けさせて頂いたと思う。感謝&感謝。
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でもって、今回の記事で連想したこと。
・トヨタではA4一枚に資料をまとめる話
・知り合いの会社の多国籍企業の幹部が日本に来た時、日本法人のトップに質問したら、いちいち部下に聞いていたので日本のトップとしてそれぐらいの数字は全て頭に入っていなくては困ると、厳しく叱責したという話。
その幹部は、世界に何十万人も従業員がいるのに、わざわざ日本に来た際、現地の一従業員のキャリアまで頭に入っていて、前職のことを踏まえた話をしてきたらしい。どこの世界も、できる人は違うなあ~と思った。
・『コンピューター付きブルドーザー』と呼ばれた田中角栄。
国会審議の際に、数千億から円単位まで数値をソラで言える官僚など、仕事を一生懸命やっていれば、当然、数値は頭に残るでしょう。納得!
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1)図や表の作成方法は、意図せずとも、あるいは恣意的な意図のもとで本来の数字の持つ情報とは、異なる誤ったイメージを伝えることがある。
2)視認性や一覧性は増すので、一面的な意味で把握は早いが、数値の持つ多様な情報を限定し、削ってしまっている側面もある。
1)2)より、情報の受け手は自ら数字を読み取る作業を怠り、楽な反面、大切な知る機会を失っている。
【補足】
友人と同じテーマで話しことがあるが、(私的には)意外なことを聞いた。ある実験結果の解析を図で表すと、膨大な情報量の中で瞬時に判断できるらしい。
というのは・・・。
物理的特性などから、必ず右肩上がりになるはずのグラフが、左肩上がりなど、有り得ない傾向を示せば、その時点でその実験は間違っていると判るそうです。なるほどねぇ~。納得です。
ケース・バイ・ケースであるが、一面的な情報に特に有用性があれば、処理速度の迅速化には、大変有用だということです。そのうえで、問題があったものだけ個別に数字に当たるというのも、アリですね。
うん、ちょっと勉強になった気がする。独り善がりに微笑む私なのでした。
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