2009年07月22日

「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん2」入間人間 メディアワークス

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もうね、前巻読んでから、続きが気になってしかたがないのです。各巻毎にきちんと完結していて、次巻へと引っ張るような姑息なことではなく、どうしてもみーくんとまーちゃんが気になるのですよ・・・。

二冊目に入ると、読者側にも慣れというかある種の心構えができてしまうようです。驚愕ではなく、そのまま現実の世界と区切りがつかないまま作中の世界(価値観)へ、普通に入っていけてしまうのです。

でもね、大人は・・・というか社会が何が正しくて何が間違っているのか? どいつもこいつも嘘ばっかり言って、その薄っぺらさがすすけて見えてしまっている、価値観の揺らぐ現実世界においては、人は砂を噛むようにしか生きている実感を感じられないのも事実。

学校とか、友達とか、親とかそういった周囲の関係やら、種々の規範が揺らぎ、崩壊し、変質しつつある今だからこそ、人は本書のような価値観を距離を置きつつも、(肯定はしないまでも)許容してしまうのかもしれない。

一時話題になった県内統一テストをする県に住んでいて、200満点のテストで197点を取った時、さも自分たちの教育方法が良かったと自慢していた中学教師達、マジ死ねとか思ったもの。私は学校の授業は一切聞かずに(つ~か無視して)塾通って、自分で参考書で勉強しただけだし、お前らには、何一つ教わってないと、よっぽど面前で罵倒しようかと思ったけど、勇気が無くてできなかった。

荒れた学校で、問題起こした連中を学級委員の私の班に押し付けようとして、修学旅行なんか行くのやめますと言ったら、手のひら返して、彼らに自由に選択させようと言った担任教師、人間として最低だと思ってます。未だにね。

うん、表面的に優等生ながら、人類なんてみんな悪い奴ばっかジャン(元来、性悪説の信奉者)、皆殺しにした方が世界の為ジャンとマジ、思っていましたから。

そうだね、みーくんだけじゃないですね、自分を偽って生きているのは。別にペルソナとかなんとか言わなくっても、自然にその場、その場に応じて幾つかの『自分』を使い分けているのは当然でしょう。

決して、無理して繕うってほどではなくて、自分の中にある面を時に誇張し、時に矮小化して演じる、そ~んな感覚です。特に違和感無い範囲でやるのがコツ。無理した演技は、崩壊するし、自分が演じ切れないものは、駄目な舞台になってしまいます。

目立つ必要は無いのですよ、周りが求める姿というのが、たいてい存在し、それに適合するもので自分の演じれるものを演じると、面白いように周囲の人は、それをそれとして受け入れます。

稀に、本質的なものまで見抜く人もいますが、それはその人にだけ、時折、ちらりと本性を見せれば、分かってくれます。たいていの場合は、人は自らの見たいものしか見ませんから(乾いた笑い)。

まーちゃんは、演じる意思なくして、特徴のあるキャラを演じていますが、みーくんの基本、消極的ながらも、必要があれば、あえてキャラを演じ切るのもアリですね。なんか、勝手に痛いほど同感しちゃいます。

昔だったら、「エヴァ」でその後、西尾維新を経るまでは、特殊な『物語世界』という道具立てが必要だったんだけど、本書においては、一切の非日常さがないまま、普通の日常でそれらが繰り広げられる怖さがある。

勿論、「事件」をどのレベルの日常に位置付けるかにもよるかだけれど、ごく普通の延長線上にあるのですよ。この事件って。

そして、その状況下でも、まーちゃんは自分的認識世界しか認めず、関わらず、逆にみーくんでさえあれば、それは誰でもいいという形式主義に陥ってさえいる。

まさに自分中心主義の世界観・幸福感なのです。そして、自分が自分であることのアイデンディティーさえも放棄して、単純に自分の側にいて欲しい人を惹き付ける手段として、自らの存在をも手段と化す、救いようのないほどの利己主義者のみーくんがいたりする訳です。

そんな危うい世界でも、自分(達)が幸せに感じられるなら、それでいいじゃん!というまさに正しい幸福追求者だし、同時に最低な利己主義者に他ならないのです。

合理的経済人、な~んて仮定は、効用の尺度を「個々人固有の幸せ」と置き換えれば、まーちゃんやみーくんになるのですよ(ハハハ)。

だからこそ、自分の幸せに無関係なら、例えブランド物のバックを購入するお金で、たくさんの難民の人の命が救われても、無価値なマークが入っているだけのバックを買う人がいる訳で、同様に、誘拐されたきた子供たちが極悪な労働環境で酷使されて作られる製品を、安くていいと100円ショップなどで買う訳です。

私も寄付なんかしませんし、100円ショップでよく買い物してます。でもね、私と同じレベルの人がエコとか世界平和とか言うと、虫唾が走りますね。

国連の決議には従わなければ・・・などとほざく方々は前アナン事務総長の馬鹿息子がイラクの石油管理会社からくすねた数兆円相当の資金とか、どう思っているのか小一時間問い詰めたいですね(時間の無駄だからしませんが)。

とまあ、世をすねてひぬくれてる私ですが、どんな国でも、どんなとこにいても困っている人を救ってくれる本当に良い人がごく少数でも確実にいること知っているのでね。なんとか絶望の淵に留まって落ちずにいる感じです。

本書の中にも、理解し難い形での優しさの形が、ちらりと出たりするのですが、それがまた心に来るものがあるのですよ~。

決してお薦めはしませんが、自殺するくらいなら、こういう本もいいかも? 自分自身の為に、自分の幸せの為に生きればいいじゃん、と思えたりする本です。まっ、その前に死ぬほど悩めって!!

さて、少しだけ本書のストーリーを。

前作続きで、ケガをして入院したみーくん。お見舞い、つ~か、側にいたいというだけで側にいるまーちゃん。
そんなまーちゃんが、何気なく死体を見つけます。まあ、なんでもないどこにでもある死体だし、まーちゃん的には何でもないありふれたことなんだけど・・・。

みーくんは、心配性でまーちゃんの幸せという反射的利益の自分の幸せの為に、勝手に探偵さんをやってしまうといういつものパターンになります。

そこに出てくるのは、何故か言葉の使い方がいろいろな意味でおかしい方達。でも、なんとなく憎めないし、いそうなのです。以前の職場には、これに近しい方いたしなあ~。

そんでもって、いろいろあって、みーくんとまーちゃんは、幸せなバカップルなままなのでした。チャンチャン(終り)。

ついでに、過去のお話と言うか、黒歴史が・・・・。

まあ、最近アニメの「化物語」にはまっているせいか、あやうく八九寺と脳内変換しちゃうキャラとかも出てるが・・・まあ、それには触れずにおく。

う~ん、アニメ化したら、迷わずDVD買います、私。


嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 善意の指針は悪意 2(電撃文庫 い 9-2)(amazonリンク)

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posted by alice-room at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 小説B】 | 更新情報をチェックする
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