散策の続き。

曹洞宗の開祖道元禅師。まさか京都で亡くなっていたとは知りませんでした。というか、さりげなく町の中にこういうのがあるんですねぇ~。

こちらは石碑。

こちらは、また別の街中の風景。
普通の民家の一部にそのまま埋め込むようにして祀られているんですね。
日本のあちこちを旅行すると、田舎の場合、庭先に勧請して祀られた神社とかしばしばみかけますが、こういうふうに一体化しているのはあまりみませんね。歴史のある都市故でしょうか?

こちらはふと見かけた銭湯。

時間があれば、入ってみたかったんですが・・・。こちらも時間が合わず、断念。洗い場の壁の絵とか見たかったんですけどねぇ~。
結構、地方色があって面白いらしいです。最近、銭湯なんて行ったことないしなあ。

高いマンションに四方を囲まれて、ひっそりと佇む神社を発見!

こんなところに参道が。

ざっと1200年前からこの地にあり、遷座を一度もしてないというのは、なかなか稀な存在ですよね。戦乱に何度も巻き込まれた大都市ですから。
確か隣のマンションに、社務所があったようなので、マンション経営もされているんでしょうね。したたかにお金も確保せねば、なかなか維持していけるものではないでしょう。
何事も経済的裏付けあっての話ですからね!
勿論、義経・弁慶絡みの地というのも、なかなか惹かれるものがあります。別名の「天使の宮」というのも素敵♪
ここでいう『天使』って何を指すのだろう???
弘法大師(空海)の開基といわれる古社。
少彦名命、天照大神、大己貴命、などを祭る。古くから農耕、医薬の神として信仰された。「義経記」は源義経が弁慶と出会った場所としている。
例祭の5月10日は厄除け祈願の参詣者が多い。毎年の節分日には宝船が授与される。この宝船の古図は日本最古のもので、船に稲穂を一束乗せただけの簡素なもので、厄除け、病除けのご利益がある。
建立:800(延喜)年頃


御神体は、鏡のようです。
確か上野公園にあるのも五条天神だったなあ~。ここの末社になるのかな?

更に&更に歩いていると・・・。
なんと、親鸞聖人(浄土真宗の開祖)入滅の地の石碑を発見!

で、石碑の立っていたところの建物はこちら。松原通西洞院にある光円寺らしい(今、知ったもので・・・)。

門の外から、見える範囲ではこんな感じでした。
今回のブログを書くにあたり、親鸞聖人の臨終について調べてみると、京都で亡くなった(善法院)とされるものの、具体的な場所は、所説あるようです。こちらもその一つということみたいです。
光円寺の方では、こちらの門前で亡くなった後で善法院へ運ばれたと伝えられてるんだそうです。へえ~。

何にも予備知識無しでぶらりと早朝の散歩しているだけなのだが、いろいろなものがあるもんだと、ビックリします。
こちらは窓枠がちょっと変わっていたのでパチリ。

そこだけ改めてズームでパチリ。

新玉津島神社。

ここで千載和歌集を編んだんだねぇ~。

単なる街歩きでも、歴史の教科書の単語がリアルな存在として目の前に現われるのは、京都の街歩きの楽しさだとつくづく思う。
まあ、毎年何度も来るだけの価値はあるか・・・。今年も年末また来ようかな?
>ここでいう『天使』って何を指すのだろう???
多分、天子の使い、つまり勅使と言う意味だと思います。
>光円寺の方では、こちらの門前で亡くなった後で善法院へ運ばれた
そうなのですか。面白いですね!どの説が正しいのかはわかりませんが、諸説が生まれるほど後の世に大きな影響を与えた人物であったと言うことなのだと思います。
新玉津島神社のいわれも興味深いですね。教科書に載っていると無味乾燥な名詞でしかありませんが、実際にその場所に行くと、仰るようにリアルな存在として感じられるので、興味が増します。
何だか、久しぶりに京都に行きたくなりました。
>諸説が生まれるほど後の世に大きな影響を与えた人物であったと言うことなのだと思います。
その後の影響を考えると、非常に大きいものがあると思います。それ故、なかば伝説化されていく点はあるのでしょうね。聖徳太子や空海しかり。
lapisさんの絵伝の記事も大変興味深かったです(笑顔)。また機会がございましたら、続編も楽しみにしております♪
新玉津島神社をはじめ、やはり京都は楽しいですね。歴史が日常生活の中で生きていることを実感するのは、心弾みます。
私も何度行っても、またすぐに行きたくなります(笑)。