2009年09月26日

高僧伝(1)~抜き書きメモ

「高僧伝(1)」慧皎 岩波書店より抜き書きメモ。

康僧会の仏舎利について P67~
呉の国に初めて沙門が訪れた際、不審者ということで捕まり、詰問される。僧は疑いを晴らす為に仏法の霊験を示すよう求められ、仏舎利を得られれば塔を造営し、得られなければ、刑罰を与えられることになった。
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みんなして静室で潔斎し、同の瓶を机の上に置き、焼香し祈願した。七日の期日は終了したが、さっぱり反応もない。十四日まで延長することを求めたが、やはり同様である。孫権は「これはいんちき間違いなし」と言い、罪を加えようとしたが、僧会はさらに二十一日までの猶予を求め、孫権はまた特別のはからいとして許した。

 「孔子は言っているではないか、周の文王がすでに亡くなったからには、文明の担い手はこの私に託されているのではないかと。仏法の霊験は降るはずであるのに、しかしわれわれには何の感応もない。王法のお世話になぞなってたまるものか。決死の覚悟で臨むべきだ。」

二十一日目の日、暮れ方になっても相変わらず何の兆候もなく、震え恐れない者はいなかった。五更の刻となった頃、突然、瓶の中にからからと音がし、僧会らが自ら見に出かけてみると、果たして舎利が得られたのであった。翌朝、孫権に奉呈し、朝臣たちがこぞって見物に集まってくると、五色のまぶゆい光炎が瓶の上に明るく輝いた。孫権が自ら瓶を手に持って銅の皿にぶちまけたところ、舎利がぶつかって皿は即座にこっぱ微塵となった。孫権はすっかり身が引き締まり、驚いて立ち上がって「稀有の瑞祥だ」と言った。

僧会は進み出て言った。「舎利の威光不思議は何もこの光の相だけにはとどまらぬ。劫火とてやくことはできぬし、金剛の杵とて打ち砕く事はできぬのだ。」

孫権が試すように命じると、僧会はあらためて「仏法の雲は今や広く覆わんとし、衆生はその恵を仰がんとす。」願わくはあらためて不思議の迹(あと)を垂れたまい、かくて広く霊威を示されんことを」と誓願し、そこで舎利を鉄の平台の上に置き、力士にそれを撃たせた。すると平台はすっかりへこみ、舎利には何の損傷もなかった。孫権は驚嘆感服し、さっそく仏塔を建立した。
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鳩摩羅什 P141~
鳩摩羅什(くまらじゅう)、中国名は童寿は天竺の人である。家は代々宰相であった。羅什の祖父は達多は才気抜群、名声は国中に鳴り響いた。父の鳩摩炎は聡明で気高い節義の持ち主であったが、宰相の位を継ごうとするときになって、なんとそれをことわって出家し、東のかた葱嶺を越えた。

亀茲王は彼が世俗的な栄誉を捨てたと聞いてとても敬慕し、わざわざ郊外まで赴いて出迎え、国師となってくれるように要請した。王には妹がおり、年は二十になったばかり、頭が良くて聡明明敏。一度目にしたことは必ずやりこなし、一度耳にしたことは暗唱する有様。そのうえ体に赤いほくろがあって、智慧のある子を産む相だとされ、諸国は嫁に迎えようとしたけれども、どこにも出かけようとはしなかった。

ところが、摩炎を見るに及んで、自分の相手はこの人だと心に決めた。王はそこで無理に逼って妻とさせ、やがて羅什を懐妊した。羅什がお腹に宿った時、母親は普段にも数倍して不思議な理解力が備わった事に気づいた。雀梨大寺に高徳の僧がたくさんおり、また得道の僧がいると聞くと、さっそく王族の貴婦人や徳行すぐれた尼僧たちと何日間にもわたって供養を設け、斎会をお願いし仏法を聴聞した。

羅什の母親は突如として自然に天竺の言語に通じ、質問する言葉はきまって奥深い趣を窮め、皆の者はそろって感嘆した。羅漢の達磨くしゃなる者が「これはきっと智慧のある子を懐妊したのだ」と言い、彼女のために舎利弗お腹に宿った時の証しを説いた。羅什が生まれると、また以前の達磨くしゃの言葉を忘れてしまった。
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羅什も七歳になると(母と)一緒に出家し、師匠から経典を授かり、日ごとに一千偈を暗唱した。一偈は三十二字であるから、合わせて三万二千言である。毘曇を暗唱しおえると、師匠はその意味を伝授し、ただちに通達して奥深いところすべてに理解が行き届いた。
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蘇摩は才能も妓芸も抜群、もっぱら大乗の教えで教化することに心がけ、兄とあらゆる修行者たちがそろって師事し、羅什までもが先生として仕え、友情はますます深まった。蘇摩はその後、羅什のために「あのくだつ教」について説き、羅什は五陰、十二入、十八界がすべて空で実相がないのだと聞くと、不審に思って質問した。

「この経典には一体いかなることわりがあるとて、すべてあらゆる存在を破壊するのだ」。するとこう答えた。「眼根などのあらゆる存在は真実の有ではない」。羅什は眼根が存在するとの立場に固執し、相手は因縁によって成り立つのであって実体はないとの立場に基づき、かくして大乗と小乗について詳しく検討を加え、何時間にわたってやりあった。羅什はやっと理法が落ち着くところがあるのだと気づいて、大乗の教えに専念するようになり、そこでこう嘆息した。「私は昔、小乗を学んでいたが、それはまるで黄金が黄金だとは分からず、銅の鉱石を素晴らしいと考えるようなものだった」。それを機に、教義の中で要となるものを広く求め、「中論」「百論」「十二門論」などを授かって読誦した。
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呂光はかくて亀茲を破って白純を殺し、白純の弟の震を君主に立てた。呂光は羅什を捕虜としたが、相手の智慧のほどの見当がつかない。年かさがまだゆかぬのを見てただの凡人としてからかい、無理矢理亀茲王の娘を娶らせようとした。羅什は拒絶して受け付けず、言葉のかぎりを尽くしたが、「沙門である汝の節操は、先父以上のものではあるまいに、どうして固辞するのだ」、呂光はそのように言い、なんと美酒を飲ませて二人を一緒に密室に閉じ込めた。羅什は執拗に強要され、節操をかく結果となってしまった。

あるいはまた牛に騎乗させられたり駻馬に乗せたりして振り落とさせようとしたが、羅什はいつもぐっとこらえてまったく表情を変えなかったため、呂光は慙愧の念にかられて取り止めた。
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君主がある時、羅什に言った。「大師は聡明にしてけたはずれの理解力の持ち主であって、天下に二人とはおられぬ。もしいったん世を後にした暁に、仏法の種を途絶えさせてしまってよいものであろうか」。

かくて伎女十人を無理矢理押し付けて受け入れさせた。それ以後、僧坊には住まず、別に屋敷を立てて潤沢な供養を受けた。講義を行うたびにいつもまず自らつぎの譬喩(たとえ)を説くのであった。たとえば汚泥の中に蓮華が生じたようなもの、ただ蓮華の華だけを摘み取って、汚泥を掴むではないぞと。
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羅什は亡くなる前、いささか肉体の不調を覚えた。
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そこで病の身をおして衆僧に分かれを告げて言った。「仏法のおかげで知遇となったが、諸君の心を十分に尽くしているわけではない。今やまた世を後にするに当たって、この凄愴たる気持ちは言葉で言い表せぬ。私は、闇昧の身であるにもかかわらず、誤って翻訳の仕事に当てられることとなり、およそ訳出したところの経典、論書は三百余巻。ただ「十誦律」一部だけはまだ筆削を加えるに及ばなかったが、その本来の趣旨をそのままに残すならば、きっと間違いはあるまい。

願わくはほんやくしたものすべてを後世に流伝させ、みんなして弘通させてほしいものだ。今、大衆の面前で誠心誠意誓いを立てる。もし翻訳したものに誤りがなかったならば、きっと荼毘に付した後に舌が焼け爛れる事はないであろう」。

偽政権の秦の弘始十一年八月二十日に長安に卒した。ただちに逍遥園において、外国のやり方に従って屍を荼毘に付した。薪は燃え尽き肉体はばらばらに砕かれたが、ただ舌だけは灰にならなかった。その後、外国の沙門が来て、「羅什が暗誦してたもののうち、十分の一も訳出されなかった」と言った。
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posted by alice-room at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 宗教B】 | 更新情報をチェックする
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