2006年02月12日

「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房

fuefuki.jpgハーメルンの笛吹き男―――この伝説を知らない人はいないのではないでしょうか?鼠を退治した笛吹き男に、約束した報酬を支払わなかった為に子供達が連れさられてしまう神隠しのようなお話ですが、私は漠然とグリム童話かその類いと思っていました。青髭伝説みたいにその由来にはきちんとした歴史的事実があるとは思っていなかったので、よくあるようなおとぎ話にまさかこれほどまでの学問的な関心が寄せられ、多数の論文が書かれ、しかも種々の仮説があってこれがまた面白い!!

マルクト教会のガラス絵の模写による最古の「ハーメルンの笛吹き男」

当時のハーメルシ市の置かれた歴史的・経済的・地理的状況を丹念に分析し、耕地が増えないのに人口増の圧力から東方への植民が多数あったこと。130人もの子供がいきなり消えたというのは、この東方植民ではないかとの説(発展系は植民途上での遭難説もあり)も書かれています。もっとも断片的に残る史的資料から著者はそれを否定し、また、他の多数の説(子供十字軍や戦士としての徴用等々)も紹介しながら、それらに対しても断定はしないながらもあくまでも残された文書資料や当時の社会的歴史的環境における庶民・市当局(富裕な市民層)・教会・周辺諸侯等の置かれた地位を考慮しながら多角的に、それらの説の可能性を論じていく姿勢が実にイイ! 各種の資料の説明自体が楽しいし、そこから作り上げられていく論理の過程も楽しめるのでヘンなミステリーよりもよっぽど魅力的な推理ものになっています。やっぱ、学問はこういうものでないとネ。

遍歴芸人

そもそも庶民の間に口伝で伝わっていた笛吹き男が130人の子供を連れ去る話が、時代を経るに従って市当局がそれをわざわざラテン語の銘文になったのも理由があるそうです。当時の市がカトリック支配から脱し、宗教改革を経て新しい宗教や世俗権力の権威確立の手段として、この笛吹き男の伝説を利用する為にわざわざ伝承されてきたものに改変を加えて、上からの枠組みをはめるべく銘文化に至ったのではないかと解説されています。いやあ~なんか分かりますね。明治政府が勤勉な国民を育成すべく黙々と働き、出世しても幕府の下級小役人になったに過ぎない二宮尊徳を教科書に載せて銅像を学校に建てていたのと同じ論理です。お上のやることは、国や時代を超えても変わりません(ニヤリ)。

最初は、怪しくはあっても普通の人に過ぎなかった笛吹き男もキリスト教の教訓話になるに至っては、いつしか悪魔として位置づけられ、堕落した生活を送る人々へ神に仕打ちとして捉えられるようにもなります。

天幕の前で踊る乞食たち(ブリューゲル)

さらに、鼠捕りの話は元来全く別物であったようですが、笛吹き男や鼠捕りという職業が、土地を持たずに放浪するという中世における秩序から逸脱した存在であり、区別されなかった所からいつしか混同され、話が混ざっていってようです。と、同時に歴史的状況が代わり、うち続く天災に宗教改革による社会的混乱、戦争、物価騰貴の他、貧困層の更なる困窮が庶民の市当局へ対する批判が高まってきます。

怒って子供を悪魔に引き渡す両親(デューラー)

そんな中で、市当局が鼠捕りの代金をきちんと金を払わなかったので子供が連れ去られた、即ち市当局に対する市民の鬱憤がこの伝説に取り込まれていったんだそうです。その辺りの説明が各種資料と相俟って実に理路整然と展開されていてふむふむと唸ってしまうことうけあいです。もっとも市当局が代金を値切ったり、約束通り全額払わなかったのにも当時故の理由があったと説明までしてくれています。社会が中世的な世襲の固定的な社会から、資産による実力主義的な社会への移行期であり、鼠を捕るという仕事に対して払われるべきはその労働量に比例した代金であるべきなのに、笛をふいただけなら、作業量自体が少ないのだから、支払う代金も(結果に応じたものではなく)それに応じたもので十分だろうというのが、当時の社会的な価値観だったからというのです。えっ、ここまで合理的なのと驚きません? まさに時代が変わりつつあった社会なんですね。う~ん。

こういった感じで、非常に多角的且つ論理的に、可能な限り一次的資料をベースにしながら仮説や論理が組み立てられていくので久々に大満足の一冊です。歴史関係や文化人類学的なものがお好きな方だったら、まず外れではないでしょう(自信有り)。

巻末には参照文献もあります。でも、ドイツ語が圧倒的に多く、私には読めません(涙)。これらの資料も読んだら面白そうですよ~。図版が多いのも嬉しいです。

最も古いタイプの一次資料で1430~50年頃のものだそうです。
【以下、引用】
まったく不思議な奇跡を伝えよう。それはミンデン司教区内のハーメルン市で主の年1284年の、まさに「ヨハネトパウロの日」に起こった出来事である。30歳くらいとみられる若い男が橋を渡り、ヴェーゼルフォルテから町に入って来た。この男は極めて上等な服を着、美しかったので皆感嘆したものである。

男は奇妙な形の銀の笛をもっていて町中に吹き鳴らした。するとその笛の音を聞いた子供達はその数およそ130人はすべて男に従って、東門を通ってカルワリオあるいは処刑場のあたりまで行き、そこで姿を消してしまった。子供らがどこへ行ったのか、一人でも残っているのか誰も知るすべがなかった。子供らの親達は町から町へと走って(子供達を捜し求めたが)何も見つからなかった。

そしてひとつの声がラマで聞こえ(マタイ伝2―18)、母親達は皆息子を思って泣いた。主の年から一年、二年、またある記念ののちの一年、二年という風に年月が数えられる、ハーメルンでは子供達が失踪した時から一年、二年というように年月を数えている。私はこのことを一冊の古い書物でみた。院長ヨハンネス・デ・リューデ氏の母は子供達が出ていくのを目撃した。
ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界(amazonリンク)

関連サイト
Wikipediaのハーメルンの笛吹き男
ラベル:中世 書評 歴史
posted by alice-room at 16:36| 埼玉 🌁| Comment(15) | TrackBack(1) | 【書評 歴史A】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
市庁舎図書館の15世紀の本によっても、結局笛吹き男に関しての記事の確かなものって無いみたいですね。この時期人減らしの意味もあって沢山の若者が移動したという説があり、ある姓名学(?)研究者が追求するにハーメルンから500キロ北方面に彼等が到達したのではないか。といっていました。地形的に似たところ、残った姓名、そのた幾つかのポイントが挙げられています。
Posted by seedsbook at 2006年02月12日 22:22
こんばんは。さすがはseedsbookさん、いろいろご存知ですね。おっしゃる説も書かれていました。家系とか紋章の関連性から、仮説の根拠をみつけようとされた方ですよね、確か。でも、凄いですよね。そういうことを一つ一つ調べて研究する人がいたなんて! 
他にも数限りない説が出されているけど、どれも仮説の域をまだ出ていないんだとか。元々は文字に書き残されたいなかった民衆の中の口承だったので文字で残るまで、時代の流れの中でだいぶ変化したらしいですね。逆にそれが謎となってこうもたくさんの人を惹き付けるのかもしれませんね。でも、今までほとんど知らなかったのでこの話は本当に面白かったです(満面の笑み)。
Posted by alice-room at 2006年02月12日 23:15
alice-roomさん、こんばんは
この本、僕も持っています。でも内容は、完璧に忘れていました。(苦笑)
外部記憶が、本当に欲しい今日このごろです。(笑)
ご存じかもしれませんが、山田ミネコのパトロールシリーズ「笛吹伝説(パイドパイパー)」という漫画は、ハーメルンの笛吹き男の伝説を使っています。古い漫画ですが、僕の好きな作品です。
Posted by lapis at 2006年02月14日 00:39
非常に興味深いですね。
この手の本を手にすると時間がたつのがわからなくなってしまうので困りものです。
週間モーニングに月1で連載中の「不思議な少年」にこの話題が関連していました。
alice-roomさんにはお勧めかと思います。
Posted by bonejive at 2006年02月19日 11:24
bonejiveさん>モーニングに月一連載ですか。今度、気を付けてみてみます。どんな話だろう?(ワクワク)
bonejiveさんのおっしゃる通り、結構面白い物に当たってしまうと他の事ができなくなるので困りますねぇ~。ほんとに! 


lapisさん>やっぱりこれもお持ちですか(ニヤニヤ)。いい本をたくさんお持ちですねぇ~。羨ましいです。きっと私が知らないたくさんのお宝本もお持ちですね。笛吹伝説ですか…、ちょっと読んでみたくなりました。覚えておいたら、どっかで探してみたいです。
でも、読みたい本と購入して読んでない本ばかりが増えて、全然読書が追いつかないです(苦笑)。
Posted by alice-room at 2006年02月19日 13:23
先日偶然ハーメルンを訪ね、笛吹き男の資料を街の博物館で観覧しました。この不幸な出来事が、今となってみれば、何も無い人口7万人の地方の小都市に、これだけの観光客を集めているのですから、不思議なことです。
Posted by hwdeutsch at 2006年09月19日 17:45
hwdeutschさん、こんばんは。人口7万人しかいないんですか、ヘーメルンって。でも、そういう小さい都市にこれだけの歴史浪漫があるというのもまた楽しいですね。機会があれば、私も是非その場所を訪れてみたい!って思ってしまいました。

ドイツってまだ行ったことないんです、私。一度は行ってみたいのですが、最近はフランスのゴシック大聖堂にはまっていてたぶん次にヨーロッパ行くのはフランスになりそうだなあ~。

休みが長ければ、二カ国ぐらい梯子するというのもいいんですけどねぇ~。さて、どうでしょうか??? コメントありがとうございました。
Posted by alice-room at 2006年09月19日 23:52
こんばんは。
先日購入して子供の寝物語に読んでいる本に「365日のベッドタイムストーリー」
という日本を含めた世界のお話を編纂したものがあります。
7月30日の「笛吹き男・イギリスの話」がこのネズミ捕りの話でした。
子供には落ちが理解できないようでした。
この本には桃太郎なども入っていますが
外国の話は子供には落ちがわからないものが多く、
子供に読み聞かせてくださいという帯の宣伝文句にははなはだ疑問です。
日本のものは残酷さが薄いかと感じますが
ヨーロッパものは残酷なものも多いですね。
幼いときから生きることの厳しさを教えたいのでしょうか?
私には狙いが????なものが多いです。
Posted by bonejive at 2007年07月31日 22:46
bonejiveさん、こんばんは。へえ~、そう言われてみると確かに外国のお話って怖い結末のものが多いかもしれませんね。グリム童話なんかも、めでたし&めでたしで終わるものってあまり無かったような気がします。

ヨーロッパの森の暗黒の脅威とかを暗示しているのでしょうか? 私もよく分かりませんが、それこそ零落した神々とか忘れ去られたケルト等の異教の神々の痕跡なのかもしれませんね。

この笛吹き男の場合などは、中世社会が分裂していく社会的不安を顕在化させて出来事であったので、より一層強烈な印象で伝えられた話のようです。もっともそれが、後世にはどういった意味で伝わったのか、それはそれで謎ですね。
Posted by alice-room at 2007年07月31日 23:25
はじめまして、「ハーメルンの笛吹き男」検索で漂着しました(笛吹き男に獅子舞がついていくデザインの年賀状を作ったもので…)。面白そうな本ですね。alice-roomさんの文章を読んでとても買いたくなってきました!

これからも書評楽しみにしています。
Posted by ヤンツー at 2008年01月08日 09:25
ヤンツーさん、初めましてコメント有り難うございます。『笛吹き男』という名称は知っていても、全然知らないことばかりで本当にこの本を読んで驚きました。是非、機会があったらお手にとってご覧下さい。面白かったです(笑顔)。
これからも宜しくお願いします。
Posted by alice-room at 2008年01月08日 20:12
歴史系をさまよってここにたどり着きました。
東方植民説だと、もっと景気が良い・勇ましい伝承になっても良さそうなのに
この伝承には何か暗いものがつきまとっていますよね。
また若者=子供というのも少々無理がありそうです。
さっそくこの本を読んでみます。
Posted by pulin at 2008年08月27日 12:34
pulinさん、こんばんは。当ブログをご覧頂き&コメントまで頂き、有り難うございます。

従来無かった都市が誕生し、農村的な共同体から遊離した都市市民が生まれて、人々の思考も変革にさらされた結果、様々な動きへと繋がっていったようです。
ある種の暗さというのも、そういった先行きの読めない不安さなどに通じるのかもしれません。

これは、読んで面白い歴史絡みの本ですので、ご興味を抱かれる点がありましたら、是非、読んでみて下さい♪ きっと、笑顔になれるかと思います(ニコニコ)。
Posted by alice-room at 2008年08月27日 23:38
昨日一日かかってこの本を読破しました。
中世ヨーロッパの庶民生活の厳しさがよく分かりました。

ただ、この伝承については著者は仮説すらも述べてないので少し物足りなかったかな。
それはこの本の本質的テーマではないのでしょう。
あるいは著者はこの事件そのものの実在性を疑っているようでもありますね(何らかのモデルはあっても、子供130人が笛吹男に連れられて・・・というのは虚構、みたいな)。

興味深い本の照会ありがとうございました。
Posted by pulin at 2008年08月28日 09:11
pulinさん、読後の感想有り難うございます。
ヨーロッパ中世の生活というのは、おっしゃられるように生きていくことだけで精一杯だったのが本当に分かりますね。

>あるいは著者はこの事件そのものの実在性を疑っているようでもありますね
阿部氏はそうお考えのようです。確かに歴史の流れの中で、きっかけやそれを生み出す状況がありさえすれば、人々が望む方向へ思わぬ進展を見せることはありがちなことなのかもしれません。

まずは、お楽しみ頂けたようで何よりです(笑顔)。私はこの本を契機に阿部氏の本を何冊か読んでみましたが興味深いものが比較的多かったです。このブログ内にも幾つか紹介していますので宜しかったら、そちらもどうぞ!
Posted by alice-room at 2008年08月28日 22:51
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鬱屈した中世庶民感情が生んだ「ハーメルンの笛吹き男」伝説
Excerpt: 歴史学者の阿部謹也先生がこの9月4日に71歳で亡くなり、30年ほど前に書かれた「
Weblog: 目黒川の畔にて
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