2009年11月09日

「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん『i』」入間人間 アスキーメディアワークス

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もうね、はるか昔で忘れていたガッコでの生活のことを思い出してしまうのですよ・・・。

ホント、無意味に何の為に生きているのか分からず、教師は馬鹿で、実際、学校で学ぶ事など何にも無くて、元気に生きている同級生が愚かな生き物に見えてしまって、こいつら生きていても死んでも変わらないんだろうなあ~と醒めてみている自分がまた、無価値に見えて日々を送るのが永遠の牢獄に思えてならなかったりする。

卒業式の時、泣いている周囲を見て、こいつら頭おかしいんだろうなあ~と心底冷めている自分と、でもきっと幸せに死ぬまで何にも気づかずに幸せに生きていけるんだろうなあ~と少し羨ましく思える自分と、やっと牢獄から出れて、少しは自分で自分の生き方を決める『自由』が得られるのでは?な~んて、絶叫して、時計仕掛けのオレンジみたいに、周囲のモノや人を蹴りたいような気分の自分がいたことを思い出した。

う~ん、ヤバイ!

虚無主義とか卒業文集に書いて平然としていた過去の自分が歴史の中から顔だしそう。

まあ、真面目な話、体弱くてプール掃除なんて小学生の時、一度もやったことないもんね。いつも保健室にいたし。

今もそうだけど、冬場は体温が上がらず、学校行ってもだるくて保健室で毛布にくるまって天井を見て過ごしてたんもんなあ~。そりゃ、学校行くのってダルイ。

入院ってほとんどしたことないけど、病院通いは子供の頃からのお馴染みさんだしね。う~ん、軟弱なうえに、過保護だったし、それでいて生意気で強情で、無理してよく体調を崩したっけ?

大人の顔色や周囲の様子を読んで、周りにうまく(?)合わせて上っ面だけ仲間のフリするのは、その頃身に付けた処世術か。社会に出ても、派閥争いというか部署間の揉め事などの調整役が多かったのも、そのスキルが評価されてかしらんが、確かに誰よりもうまく仕事を回せたかもしれんが、そのストレスで益々屈折せずにはいられませんでしたねぇ~。

放浪の旅が習い性になったのも、その時期ですね。一人で本とノートを持って、目的地も定めず、ふらふらあちこちに行ってたのは学生時代から変わりませんが、外国でもふらっと行くようになったのは、確かの仕事のせいでしょう。うむ。

自分の独白で感想や書評でなくなってしまうので、本論に戻る。

でも、基本、そんな感じのみーくんになる前、監禁から解放され、病院でリハビリ?に勤しんでいた頃のみーくんから始まります。

いつも人死にが出るのは、デフォルト。私の周りは、幸い死んだ奴いなかったな。壊れた奴とか、リスカの人はいたけど・・・ね。

まあ、類友なのか、周囲に分布する確率はかなりのものだったかもしんない。まあ、病んでる人の方が、人間味があるってのも困惑ものではあるんですけどね。

それはいっか。

本書は、いつものみーくん・まーちゃんとは時間軸の異なる世界で、その前後やパラレル・ワールドのあったかもしれない世界が描かれます。

みーくんがこうして出来上がったのね、ふんふん、納得! 千里の道も一歩から、ローマは一日にして成らず、嘘つきにも不断の努力が欠かせないようです。勿論、嘘だけど・・・。

環境と遺伝の掛け算で人の性格は形成されるなどと、知ったようなことを言う人がおりますが、その意味ではみーくんは、まさにその通りで遺伝的にも&環境的にも、最高の状態で、最高の嘘つきにおなり遊ばしたことが分かります。新派刑法の方なんでしょう。

予防的措置として、社会に害を為す前に、病院へ突っ込んで置けばいいと愚かなる大衆が騒いじゃったりするわけです。群集暴徒化論?アレレ?ちゃうけどね。まあ、大差ないっス!

伏見、昔からの知り合いだっけ? ようやく分かったス。これ、別なみーくんの元彼女の口癖らしいけど・・・・。

まあ、みーくんは過去の遺産というかしがらみの中に囲まれて、前向きに過去を生きていく男の中の男であることを感じさせられます。

そういやあ~、僕もいじめられたことあったなあ~。でもって、あまり絡むので一度ぼっこぼこにして差し上げたら、二度と絡んでこなくなったっけ?

基本は、やる時は徹底的にやる事! 中途半端なことしては、かえって危ないですからね。抵抗できないように後ろから、頭を中心にモノでやると嘘のようにおとなしくなります。

まあ、成績いいし、周囲を軽蔑して冷めた目して眺めてたから浮いてたもんなあ~。気に入らない教師は、消極的非暴力無抵抗運動をガンジーよろしく実践していて、授業ボイコットしてたもんな。学級委員だった気もするが・・・よ~しらんです、ハイ!

そうそう、まーちゃんとの蜜月時代のお話かと思ったら、まーちゃん、怖過ぎ。正直、恋心が瞬間冷凍されたね。やっぱり本物のキ印に手を出しちゃあかんって。

戸川純のコレクターじゃないんですが、一方的な『純愛』は、狂気そのものですから。もっとも初めから狂っている人の愛だけに、既に『純粋』過ぎて、表現のしようもありませんが・・・。

愛ゆえに死ぬのもまたヨシか、自分以外ならね。三島の「花ざかりの森」の純粋さとニアリーイコール? 他人事なら、実に美しいってね。
本当にいたし、この予備軍。まあ、過去の話だ。

話はとぶとぶ。
次はSF。パラレル・ワールドの世界。

まーちゃんが普通だったらという、ある意味、これ以上無いってくらいクトゥルー神話のホラーかよってね? う~ん、かえって訳分からんか?

それっくらい身近にありえそうで、常人なら耐え難いほどの違和感を覚える世界ってカンジ? そう、眼鏡をかけていない時東あみの写真をみて、こいつ誰?って 速攻、削除したようなモンかな?

いやあ~他のご学友達との歓談にも、苦痛以上の寒気を覚えるシーンが続き、昨日は読了まで寝られず夜1時を過ぎてしまった。朝5時に起きてるんだけど、私。

どうでもいいんだけど、この本は古い記憶を呼び起こすんだよね。なんだかなあ~。心の底に沈めておいた、ワインのおりのような沈殿物が撹拌されて表面に浮かぶのには、少々参りました。

どうやら、まだ私の心も死んでいないらしい。

私はスキとかキライとかという次元でなく、知っちゃたら知らないままでおくわけにはいかないという状況ですが、幸せな人なら、読んでもしょうがないし、読んでも変わらないだろうし、読まない方がいいと思います。

人によっては、古傷を新しく化膿させるぐらいの力があるかもしれません。気をつけましょう。

しかし、著者が新宿歩いてるんだ。毎日、新宿で仕事してますけど、それを知っただけで怖いなあ~。会ったら、ミーハーにサインをねだりたいところですね(笑顔)。

いやいや、本書の感覚、感じられてもなかなか文章にするのは難しいです。素直に凄いなあ~と思いますね。でも、書けないもんですよ。昔の自分の日記を見ると、精神揺るぐモン! たぶん?

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん『i』―記憶の形成は作為 (電撃文庫)(amazonリンク)


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posted by alice-room at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 小説B】 | 更新情報をチェックする
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