2009年12月17日

「博士と狂人」サイモン ウィンチェスター 早川書房

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実は、本書を読むまで「オックスフォード英語大辞典(Oxford English Dictionary)」がそれほどまでに凄い辞典だとは全く夢にも思いませんでした。

確かに名前は聞いたことがあるけど・・・ブリタニカ百科辞典とかとは違うしなあ~。本書を読んで何よりもまず最初に思ったのがこの辞典(辞書)を引いてみたい!ということでした。

だって完成までに70年ですよ、70年!!

そりゃ平気で百年以上もかかったりするゴシック大聖堂を作るのに比べれば、短い期間かもしれませんが、そのほとんどの部分を一人の人物が中心になって完成させたというのは、驚異を通り越して、奇跡の域に限りなく近いと思ってしまいます。

本書は、そのオックスフォード英語大辞典の生みの親とも言える、編纂をした中心人物と延々と何十年にも渡って用例となる資料提供の協力をした精神患者の二人を採り上げています。

私、根気無いので定評ある人なんで、心の底から凄い!と思います。

まずは編纂主幹ですが、この偉大なる人物は、なんと実家が貧しくて14歳で学校を卒業した後は、進学することが出来なかったりする。それでも独学でひたすら勉学を進め、15歳でフランス語、イタリア語、ドイツ語、ギリシア語の実用的な知識を身に付けていただけではなく、ラテン語まで習得している。

ありとあらゆることを学びとろうとする旺盛且つ熱烈な知識欲を持っていたようで、地元の地質と植物について、独学で勉強し、地球儀をみつけてそこから地理学を学んだりしていたそうです。

その手の話は、枚挙にいとまが無いようで、イングランドとの境界に近い地域に散在する多くの考古学的遺跡をがむしゃらに発掘したり、近所で飼っている牛にラテン語を教えて、呼びかけに応えさせようとしたり、小さな灯油ランプの明かりの下でフランスの偉大な詩人テオドール・アグリーパ・ドービニュの作品を朗読し、それを英語に訳して、自分の周りの家族を楽しませたりしたそうです。

17歳になると学校の教師になり、20歳になると地元の学校の校長をつとめるようになっていたというし、どう考えてもタダ人とは思えません。

日本の白川静氏の話も有名ですが、当然、こちらもそれに勝るとも劣らないのは、むべなるかな。それぐらいじゃないと、偉大なモノを残せないんでしょうね。

勉強不足の我が身を振り返ると、もうちょっと勉強せねばなあ~と思わずにはいられません。

とにかくそういう素晴らしい人物が生涯の後半40年以上も心血を注いで勤しむ事業だったわけです。しかも、思ったよりも給料は安かったらしい。伊能忠敬もそうですが、なかなか業績や能力、努力に見合った報酬が支払われないのは、古今東西を問わず、不変らしいです。

他方、大いなる栄誉を得た精神病院で隔離監禁された患者は、イエール大学を出た元軍医のアメリカ人で、戦場で過酷な経験から(or 元来の家系的遺伝から)殺人事件を犯し、保護監督処分の身の上でした。

ただ、元々がしっかりした教育を受けた有能な人物であり、資産も豊富で病院内でも二部屋を占有し、稀覯本に囲まれた書庫を一室にあてて、ある意味、贅沢に過ごしていたそうです。

自由以外は欠けているものがない生活ですが、実は、生き甲斐というか自らの能力を無為に過ごしていることへのはけ口として、まさに絶好の仕事として彼が打ち込んだのが、辞書で採用する用例探しと、その引用だったというのです。

貴重な古書を隅から隅まで目を通し、必要とされる単語の意味の変遷が分かる最古の用例を探し出すというのは、なんとも労多くして果実少なき作業でしょう。

私などは、普通に本を読んで気になったことを抜き書きメモするだけでも膨大な時間と手間がかかるので、面倒だと思っちゃいますが、とてもではないですが、そんなものの比ではないです。

もう絶望的な労力と時間を要すると思います。

資力も必要でしょうし、それにも増して必要なものを選別するだけの能力・教養が要求されるだろうから、大変さは想像を絶しますね。

引用自体は誰にでも出来ても、辞書に採用されるだけの質を兼ね備えていた点も、この精神病院の患者である人物は、非凡だったようです。

閉ざされた環境に、それだけの資力と時間、何よりも遣り甲斐という強い意欲を持った人物がいたというまさに歴史的偶然が、この辞書の完成に大きく影響しているというのは、なんともいえない不思議さです。

英国的ないかにも皮肉に満ちたエピソードとも言えるかもしれません。

本書では、この偉大なるOEDという辞典が生まれた、なかば美談と化したエピソードについて、丹念に関係者や当時の環境に残された資料を踏まえて、本当に事実へ迫っていきます。

『事実は小説よりも奇なり』

非常に興味深い話であり、同時にこの辞典への興味がいやがおうにも増していきます。そして、人間の情熱って本当に凄いなあ~という素朴な感慨を覚えてなりません。

どうしょうもないクズもいっぱいいるとは思いますが、本書みたいなのを読むと、やっぱり頑張ろう!怠けてちゃ駄目だな、って心の底から思います。

自分もまずは努力しなきゃって思わずにいられません。単純に感動しちゃうので是非、ご興味のある方は読みましょう。つ~か、読んでおくべき本です。これはね!!

・・・しかし、コンピュータのデータベース等無しにこれを行うって想像できないな、本当に。逆にいうと、OCRソフトやgoogle booksearch、google scholar とかの社会的意義ってのは、もっと十分に評価されてしかるべきかもしれないです。

そんなことをふと考えた本でした。人の情熱はなによりも尊いです。"There is a will,there is a way."ってのは、真実だと思いました。
【目次】
1 深夜のランベス・マーシュ
2 牛にラテン語を教えた男
3 戦争という狂気
4 大地の娘たちを集める
5 大辞典の計画
6 第二独房棟の学者
7 単語リストに着手する
8 さまざまな言葉をめぐって
9 知性の出会い
10 このうえなく残酷な切り傷
11 そして不朽の名作だけが残った
博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)(amazonリンク)
ラベル:OED 書評 辞書
posted by alice-room at 23:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 【書評 本】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
楽しいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。
Posted by 鳥取と焼き鳥の出会い at 2010年01月08日 20:37
コメントどうも有り難うございました。
今後とも宜しくお願いします。
Posted by alice-room at 2010年01月10日 07:53
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