以前は、むしろ企画して自分から人を集めていたクチ。オフ会同様、週末の土日連チャンで予定うめたり、一日で昼と夜で別集まりに顔出していたりするほど、エネルギッシュだったけど、なんかもうだいぶ前からは面倒。
異業種交流会とかもあちこち顔出していたけど、率直なところ、時間が惜しいなあ~。稀に、本当に素晴らしい人に出会ったり、大変勉強になることもあるが、確率的に言うならば3%以下。
本読む時間の方が欲しいかもしれない。
本書でも書かれているが、確かに知らない人と出会うのは、新しい刺激であり、面白いのですが、同時に時間のロスも大きい。ただ、たまにはいつもの知り合い以外と会って自分のキャパ広げたり、刺激を受けることも必要なんだけどね。
本書は、合コンを真面目に採り上げようとしている社会学っぽい体裁をしているが、まあ、読む前から想像がついたとおり、中身は無い。
というか、何かを期待して本書のようなタイトルの本を読む方が間違い。光文社さんの新書だしね。言わずもがな。
一応、私は会社の飲み会の幹事やもろもろの幹事はだいぶやっているので、本書で書かれているような駆引きや、場を適度に維持(盛り上げまではやらない)するのは良く知ってますので、改めて整理してあるのは、ふむふむと読みましたが、別にだからと言って何か得るものがあるわけでもないです。
ただねぇ~。
本当に勘違いしちゃっている人とかが往々にしていて、場を壊していること自体に気づかず、周りを不快にしちゃう人がいるのでそういう人は、読んで欲しいかも。
会社の愚痴や上司の悪口、あまつさえ、職場の異性の悪口なんて聞きたい人は誰もいない。仕事が大変だとか、俺は頑張っているとかいう奴は、ほとんど冷笑よりも失笑されていることさえ、気づかないとかね。
たぶん、この人、職場でも使えない人なんだろなあ~と思えてしまうのは実際によくいたりする。周りが関心の持てる範囲での趣味の話ならいいけど、ディープな話をしても引くしね。
もっとも、私の場合は、ある程度人を選んで、その手のことに興味のありそうな人にだけ、相手の水準に合わせて相当配慮して話したりするけど、そういうのが嫌いな人、あるいはそもそも出来ないし、意識したことのない人も多い。
職場でも、友人間の集まりでも、私はそれぞれの場でたいていキャラを演じているが、結構好きなんですけどね。そういうの。
本書の中では、それが不自然に演じているように書かれているが、私の場合はそれが自然なんですが・・・・。不変の自分なんて、そちらの方が作られて存在みたいで違和感を覚えます。
というか自分の中で持っている多面的なもののうち、相手に合わせて、場に合わせて、その一つを選んで選択的に顕在化させているというのがより正確だったりする。
だから、相手がいろんな意味で水準が高ければ、それ相応に話題のレベルも変わるのは普通だと思うんだけどなあ~。
もっとも、私は誰とも話さなくても苦痛でないし、延々と話しているのも苦痛ではない。時間を無駄にすることだけは嫌いだし、我慢できないだけですけどね。
本書では、合コンが社会的に認知された出会いを提供する社会制度だといってますが、まあ、どうでもいいし、誰もそんなことは興味ないでしょう。
そもそも本書に意味や価値は無いしね。
逆に、この本を買う人がいるってことが、現代社会の置かれた状況を考えさせられます。まあ、読む暇な人がいるってことです。おそらく私のようにもてない人が・・・笑。
まあ、ネタに出来れば御の字といったモノです。ただ、合コンではないけれど、オフ会で知り会って結婚したカップルは、相当数知っています。一応、みんな幸せそうでなにより。
私は苦い思い出しかありませんが・・・・。
【目次】合コンの社会学 (光文社新書)(amazonリンク)
第1章 出逢いはもはや突然ではない―合コンの社会学・序
第2章 運命を演出するために―相互行為儀礼としての合コン
第3章 運命の出逢いは訪れない―合コンの矛盾
第4章 運命の相手を射止めるために―女の戦術、男の戦略
第5章 運命の出逢いを弄ぶ―自己目的化する遊び
第6章 それでも運命は訪れる―合コン時代の恋愛と結婚
第7章 偶然でなくても、突然でなくても―合コンの社会学・結び
補論 合コン世代の仕事と恋愛―自由と安定のはざまで
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「もてない男」小谷野敦 筑摩書房
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