あまり知られていない話だと思うので、備忘録としてメモしておこう。
埼玉県比企郡嵐山町にかつて「東光書院」という神社があった。個人の住居のように白いプレートに書かれていた文字を見た覚えがある。
現在は、そのプレートもなくなり、そこにあった建物もすっかり取り壊されていてその痕跡は無い。
10年ぐらい前だろうか? そこにあった神社が都内の某所へ移されたらしく、その移転時の様子を紹介した写真があった。当時の県知事を始め、自民党の県幹部、党本部からも政治家が来てものものしくやったらしい。
ずっと気になってはいたのだが、何かの文献でどうやら、そこに祀られていたのは日本が戦争中に海外の植民地などに持っていった神社等の一つだったらしいことを知った。
確か『靖亜神社』だったと思う。
近くには国立女性教育会館があるが、何故、こんなところにあるのか不思議でならない。そのすぐ横には、昭和天皇へのご進講や平成元号の草案者としても有名な陽明学の大家、安岡正篤の郷学研究所(?)があるのも、政界へのパイプと無縁とは考えられないでしょう。
当然、そのすぐ側にあった今は無き「東光書院」が人目を避けて隠されていたのもむべなるかな。この場所も意味がありそうですね。
ネットで探しただけでも、以下のようなことが分かりました。へえ~、愛知大学とも絡むんだ。
実に興味深いです。今度、暇ができたら国会図書館で調べてみよっと。全くお国というのは、いろんなことをしていそうですね。ふむふむ。
大晦日にこんなこと、書いている私も暇な人ですが・・・。
海外神社一覧
【靖亜神社】
祭神:近衛篤麿、荒尾精、根津一
設立許可年月日:昭和10年2月11日
所轄領事館及び鎮座地:上海 法華区貳拾捌保
愛知大学東亜同文書院大学 記念センターニュースレター
【以下、同上より抜粋】
2007年6月30日(土)午後、村上武氏を招いての講演会が愛知大学豊橋校舎研究館で開催されました。村上氏はご尊父・徳太郎氏(同文書院18期卒、元書院中華学生部助教授)が祭主を務めた靖亜神社(同文書院内にあった近衞篤麿、荒尾精、根津一を祭神とするもの)、ならびに1931 年に創立した東光書院を1970年に受け継がれた方です。靖亜神社祭祀は1996年に滬友会に返還し、現在は東光書院院主、東光書院機関紙『回光』(月刊)編集・発行者であります。
講演主旨は福澤諭吉の対アジア認識の問題点を指摘しつつ、東亜同文書院の源流であり上海に設置された日清貿易研究所の所長を務めた、西枇杷島(愛知県)出身の荒尾精(1859~1896年)の思想と比較し、荒尾の先見性を検討することで、現在の対アジア問題を考える一助としようとするものでありました。
今泉潤太郎記念センター客員研究員の司会のもと、ポスト・ドクターの武井義和による講師紹介で始まった講演会は、ご尊父の紹介、靖亜神社と村上氏との関係がまず語られました。そして、西郷隆盛の「征韓論」が実は遣欧使節団による言いがかりであり、西郷としては朝鮮と平和的な国交樹立を望んでいたことや、日清戦争時に荒尾が発表した『対清弁妄』(当時の清国への賠償金や領土割譲を要求すべきではないと主張)は「ビスマルク流」帝国主義者への反論であることなどについて、カラー印刷されたレジュメを用いながら明快な説明をなされました。