一番最初に読んだのは、小学生か中学生の頃だったと思う。新潮文庫だっただろうか?
昔の小説だったはずなのに、あの当時でもほとんど違和感無く読んでいたと思う。著者の自伝的作品とかとしばしば書かれているが、そういったことは、読者にとってはどうでもいいことなのかもしれない。
芥川らしい、淡々とした文体で少し距離を置いた視点から、自らの姿を眺め、それを記述している。
芋粥などもそうなのだが、この芥川の自ら(作中の主人公)を眺める視点とその距離感がやはり、余人に真似のできない素晴らしさなのだと改めて感じた。
江戸風情の残るような、しかし、ちっぽけな下町に生きる庶民の生活。別に何かあるわけではないにしろ、そこにはやはり、『人』が生きていくうえでのささやかな喜怒哀楽がある。
同時に、ささやかな『偽善』も。
自分の矮小さを認識しつつも、それから抜け出れず、自己嫌悪と同居しながらの小市民的偽善。嗚呼、なんとも救い難きささやかなる微悪よ!
私が学生時代もっとも嫌悪し、未だに精神的根底にひきずる劣等感の一つとして、この偽善の存在は今も存在し続ける。
今時のこととしてありがちな、認識さえもしていないフリをする、更に醜悪に自らを貶めるようなことはないものの、まあ、近しい部類ではあるんだけれども・・・・。
本作品は、前半から後半の終りの直前までが、壮大な前ふり。伏線であるかのようにも感じます。そして、最後の最後に凝縮したあの部分。
踊らさせられる人が卑しいのか、それとも躍らせる人が卑しいのか?
いわずもがなではありますが、あの閃光の如き切れ味は、いつになっても心の中に残ります。幼少時より、性悪説を採らざるを得なかった私の心境も全ては、これなのかもしれません。
でも、この手の作品は、感じない人には何を読んでも感じませんけどね。私は、河童なんかよりもはるかに心に残る作品です。
たまたま通勤中に、iPhoneで見つけて青空文庫のものを再読しました。やっぱり、記憶に残る作品でした。
2010年03月06日
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