2010年03月22日

大聖堂~読書メモ

「大聖堂」パトリック ドゥムイ 白水社

先日読んだ上記の本の抜き書きメモ。
元大司教であったカリストゥス二世が1119年に教皇に選ばれてからは刷新された司教団が、ふたたびローマ教会の屋台骨を支えることになった。司教自ら、司牧訪問、説教、司祭を召集する教区会議などを積極的に行い、学問を積んだ聖職者たちの協力を得ながら、異端に陥りがちな教区民をしっかり教え導くことがすべての基本であるとされたのである。

 大聖堂は、教区民が集う場であり、言葉、図像、さらにはそれぞれの教区の長い歴史を物語る聖遺物の聖なる力による教育の場であり、また聖体の秘蹟を通してキリストが臨在する超越の場である。

 こうした意味で、大聖堂再建の大事業は、聖堂神学校を舞台として繰り広げられた信仰と理性を結び付けようとする試み、あの十二世紀の知的ルネサンスなしにはありえなかったのである。

 アーウィング・パノフスキーによれば、ゴシック建築とスコラ学の間には明らかな並行関係がある。スコラ学とは、聖書をはじめとする古典的文献を厳密な問題設定の方法にしたがって批判注釈する学問であるが、その問題設定の方法とは、時間的照応のみならず、明確な分類や序列化に基づくものであり、それによって、言説の構造と論理が浮き彫りにされる。明確な分類と序列化、それは大聖堂の構造と論理でもあった。(P60)
以前に私も書いたことがありますが、12世紀ルネサンスがあって、初めてあのシャルトル大聖堂などのゴシック建築が可能になったものだと心底共感します。

建築は物質的なモノではありますが、優れた建築物には自ずから体現された思想・論理が内在し、顕在化しているものだと思わずにはいられません。
擬ディオニュシオスによれば、人間の精神は、物質的なるものの導きにより、非物質的なるものへと、みずからを高める事ができる。というのも、すべての目に見えるものは、神ご自身であるところの真の光を反映する物質的な光にほからないからだ。

「目に見えるものも、見えないものも、あらゆる被造物は、万物の光の父によって存在せしめられたひとつの光なのである。

・・・・この石も、この木切れも、私にとってはひとつの光にほからない。

・・・じっさい、その光が美しく善きものであり、またその光がそれ自身の均整の法則に基づいて、存在し、その数によって規定されていることが、私には感じられるのだ。

・・・ここにあるこの石のなかに、これらの属性、またそれに類したものを私が認めるやいなや、それは私にとって光となり、私を明るく、照らし出す。そこで私は自問することになる―――石の中に含まれるこうしたさまざまな属性を、石はどこから得ているのか、と。

・・・・やがて私は、理性に導かれつつ、これらすべてのものを越えて、これらのものに場所、順序、数、種、類、健康、善性、美や本質など、ありとあらゆる恵みや性質を付与している究極原因である神ご自身へと至るのだ。」(P61)
まさに光の形而上学ですね。新プラトン主義がうかがわれます。
シャルトルでは、1205年に聖女アンナの頭蓋骨がもたらされたことによって、北門扉口の彫刻人物配置が変わってしまった。すなわち、玄関柱の彫像が、聖堂守護聖人である聖母マリアから、その母に取り替えられてしまったのである。(P88)
おお~、聖アンナの聖遺物があったことは知っていましたが、それが具体的な建築にまで影響を及ぼしていたことは、本書で初めて知りました! よし!6月に行ったら、確認してみよっと。
「ステンドグラスの窓は、真の太陽の光を教会に降り注ぐ神聖なる書物である。真の太陽とは神ご自身のことであり、教会とは信者たちの心である。かくして、この神聖なる書物は信者たちを明るく照らすのである。」

13世紀の終りにマンド司教ギョウーム・デュランは、こう書いている。(P88)
神学者たちは、聖書をくまなく調べ、そこから四つの意味を引き出そうとする。まずはイスラエルの歴史についての字義通りの意味。つぎに寓意的意味。すなわち、聖書のテクストから人間が生きるうえでの倫理や教訓を引き出すこと。第四に彼岸的意味。すなわち、義人たちがやがてそこに挙げられる事になる永遠の栄光に関わる意味。

ニコラ=ド=リール(1340年没)が要約して述べているように、「文字は事実を教え、寓意論は信ずべきことを、比喩論はなすべきことを、彼岸論は向かうべき方向をそれぞれ教える。」

かくして、神学者や倫理学者や説教師などが熱心に説いたこうした教えを彫刻師たちが、参事会員の監督のもとで、あれこれ工夫しながら形にしていゆくわけである。

・・・・
シンボルは秘儀へと至る道である。扉口に描かれている数多くの像があれほど複雑に入り組んでいるのも、その背後にある教え自体がそうだからであって、それらをすべて読み解くことは、すでに当時から、誰にでもできるというわけではなかった。

・・・・
このように、ファサードを前にして二種類の解読がありえたのである。聖書を熟知し、また祈りの言葉や聖務日課の読書のすべてのレパートリーに通じている聖職者には、その図像プログラムは多様な意味層にわたってさまざまに語りかけてくるが、一方、自分の守護聖人を見つけたり、祭りの装いで生き生きとしている天使たちを眺めたりするだけで満足している俗信徒たちにとっては、それはこの世に現出した天国の映像に他ならない。(P96)
俗信徒でさえなく、聖書もろくに読んだ事のない非キリスト教徒の私が最初見た時でさえ、まさに『聖域
』の空間を感じて恍惚としたものですが、今度は是非、もう一種の解読を試みてみたいものです。予習がんばろうっと!
今では想像しがたいことだが、聖堂内部も彩色が施される。シャルトルでは、壁全体を黄土色の顔料で塗りつぶし、そこに白い筋で切れ目を入れる。しかし、この切れ目は、実際の石と石との接合部に合わせてひかれているわけではない。この白の切れ目は上に行けば行くほど狭まっている。そうすることで。だまし絵のように、高さの効果を出しているのだ。こうした壁面が、色鮮やかなステンドグラスを縁取っていたのである。(P112)
法隆寺も創建当初は内部が極彩色に彩られ、まさに視覚的に天上世界のイメージを喚起させる様子だったらしいですが、どこの世界も一緒ですね。うんうん。

そういえば、サン・マルコ寺院の金色に輝く天井や壁もまさに至上のエルサレムを彷彿とさせてましたっけ?

そういった効果も再現されたら、更に凄いんだろうなあ~シャルトル大聖堂・・・。見てみたい!!
エミール・マールの根本主張は、大聖堂とは彫刻され、また描かれた、さまざまな主題からなる世界であり、その内容や組織を理解するには、それらの主題の典拠である聖書をはじめとするさまざまな書物に当たらなければならない、言い換えるなら、大聖堂のスポンサーたる高位聖職者たちの学識や教養の中身を調べねばならない、ということである。

・・・・

キリスト教の典礼と神学が目に見える形となったもの、それが大聖堂である。

・・・・

「中世では、芸術とはひとつの教育手段であると考えられていた。形とは思想の衣装にほかならない。思想が素材の内部で働き、その素材を造形すると言ってもよかろう。このように、形はそれを作り出し、生かしている思想から切り離すことはできない。」(P137
エミール・マール信者の私と致しましては、もうおっしゃられるがままに、その直接的背景たる思想をお勉強していたりする。

その割に、知らない事ばかりで情けない話ではあるものの。まあ、少しづつ学ぶしかないですねぇ~(苦笑)。

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posted by alice-room at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 【備忘録B】 | 更新情報をチェックする
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