2006年03月11日

「犬」中 勘助 岩波書店

inu.jpg本棚を整理していた出てきた本です。読んだ覚えはありましたが、今日改めて読んでみてこういう内容だったとは…。まして岩波文庫だったから完全に「ヤラレタ!」って感じですね。あの「銀の匙」の中氏とは思えないぐらい強烈さで、ん!?江戸川乱歩の小説を読んでたっけ?と一瞬思ってしまいました。

でも、そういうカンジも読んだら納得してもらえると思う。それぐらいエグイ。肉欲に対する人の寄せる情念が実に生々しく描写されています。久しぶりにおおっとこのカンジ、これはキテル!と思いました。美しい恋愛も『純愛』でしょうが、純粋な肉欲から生じたある種の愛着として生じる執着心、それもこの域までいくと限りなく『純愛』に近いような感じさえしてしまうのが凄いです。勿論、それは狂気故のまさに狂おしいばかりの所有欲でしかないのかもしれないのですが…。

同時に、異教徒に辱められつつも見た目のカッコ良さと幾分かの優しさに心惹かれる女。心ならずも醜い男との生活を送りつつも、異教徒の男をひたすらに求める浅ましいまでの恋心。これもまた『純愛』なのかもしれません。

女はひたすら被害者の立場に置かれつつも、最後の最後まで偏った獣(けだもの)の愛である加害者の男の愛を拒み続けます。一見すると、可哀相な女性に同情するものの、読み進めていくうちに情欲に踊らされている男の方が哀れに思えてしまうかもしれません。

これ読んでいて、私は「オペラ座の怪人」に関してのロッテの行動を思い出さずにはいられません。もう20回ぐらいは見ましたが、ファントム好きの人達と話すと必ず意見が分かれるのが、ロッテが最後にファントムではなく、ラウルを選ぶところ。男性はまず、ロッテの無情さを口にします。手段はどうあれ、あれだけ尽くしてロッテを愛したファントムを捨て、ぽっと出の金持ちイケメンのラウルかよ~ってな感じですね。それに対して、女性はやぱりラウルをとるロッテの行動を評価するのですが・・・個人差なら分かるのですが、性別によりこれだけ評価が分かれるのも珍しいです。

勿論、ファントムとこの小説に出てくる加害者であり、情欲の塊である男とは同一視できないのですが、それでも根本的なところで非常に似通ったものを感じます。また、この小説に出てくる男も女もどちらもが『純愛』なのでしょう。『純愛』という言葉が、独り善がりで自分の感情の赴くままに心が欲する相手を求めようとすること、を意味しているならばですが・・・。

プラトニックとかどうとか、そんな瑣末な問題ではなく、本質的に『純愛』が野蛮な動物的な衝動に他ならないと思うのですが・・・。それゆえに人は非合理的な行動を平気で採る訳で、と同時に体が熱いと感じるのも当然なわけです。まさに常軌を逸していることこそが、『純愛』であるならば。

とまあ、いささか恥ずかしげもなく恋愛論めいたことを語ってしまいましたが、ある種の禁じられたゾクゾク感が味わえます。あるいは人によっては、遣り切れない憤りでしょうか。屈折しているが故に、先鋭化した人間心理の描写は秀逸でしょう。甘っちょろくて、砂糖をまぶしたような愛情に飽きた方にはお薦めです。相当刺激的ですし。でも、普通に幸せに暮らしたい方は、単なる犯罪者の心理?としか思えずに不快感だけが残るかも。でも、個人的にはこういうのは大変好きな部類です。怜悧な刃物で余分な飾りを落とした分、ギラギラと光る剥き身の人間の本性がかいまみえてくるようなんで(ああっ、病んでるかも私?)。

そうそう、小説自体のことも少し書いておくと。
舞台は回教徒が蹂躙し、略奪の限りを尽くすインド。登場人物は厳格な身分制度(カースト等)があり、登場人物はその最高位で敬虔なバラモンの苦行僧とまだ幼さの残る百姓娘(16歳!)。汚らわしき異教徒に陵辱されたうら若き娘が、それでもその美しい回教徒に心惹かれていることをバラモン僧に告白する。聖者として崇敬されていたバラモン僧だが、娘の祈祷する裸身を見る事によって情欲の獣と化す。バラモン僧としての秘術を使って自らと女を犬に化身させてまで、女を独占しようとするだが・・・。いつの時代も恋する者は狂気の沙汰だなあ~と思う一冊です。

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posted by alice-room at 23:47| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 小説A】 | 更新情報をチェックする
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