2006年03月22日

マグダラのマリア、映画で関心高まる

思いっきり、だいぶ前から私ははまっていますけど・・・。もっともダ・ヴィンチ・コード読むまでマグダラのマリアは娼婦だと思いこんでいて、何も知らなかったりするのですが・・・(苦笑)。

マグダラのマリアがマルセイユに流れ着き、サント・ポームの洞窟でひたすら悔悟の日々を送り、最後に天に召された話は有名です。うちのブログでもいくつか採り上げてますし、ご興味のある方は、黄金伝説(聖人伝)の該当箇所を訳したのもありますのでそちらをどうぞ!

でも、ここに挙げられているマグダラのマリアの福音書もずっと前から興味があって読みたいと思っていたりする。英語で売っているんだけど、なかなか買う気にまでならなくて・・・。日本語訳を誰か出版してくれればいいのにね。きっと売れますよ~。出版社の方、宜しくお願いしますね(笑)。

マグダラのマリア、映画で関心高まる
【以下、クリスチャン・トゥデェイより転載】
【AP通信】マグダラのマリアの人物像は何世紀にも亘って多様な解釈がされてきた。 そしてこのレントの期間、公開迫る映画「ダ・ヴィンチ・コード」の影響もあって再び注目を集めている。

 宗教学者らは信仰深い使徒の道から逸れたマリアの性格描写はでっちあげであると見なしており、罪深いマリアのイメージは間違いであるという。このような誤認を与えてしまった主たる原因はローマ教皇グレゴリウス一世にあるという説がある。この説によると、彼が紀元591年に「マリアは悪名高い売春婦でイエスキリストに直面した後で悔い改めた」と説教したことが誤認を生じさせた始まりであるという。

 「ダ・ヴィンチ・コード」の物語では、「キリスト教徒はイエスとマリアの結婚とその結果生じたイエスの血統を隠匿するために共謀している」と語っている。しかしイエスがマリアや他の女性と結婚したという証拠は実際どこにもない。

 マグダラのマリアは推定ではイエスの死後フランスに渡ったとされるが、この主張もまた疑わしいという。発見された彼女の遺物は年代測定の結果、紀元745年のものであったという。

 マグダラのマリアに関するもっとも重要な文献は1世紀に記された新約聖書自体である。新約聖書でマリアは、最も重要な女性使徒であり、聖金曜日とイースターにおける信仰の中心人物となっている。

 マリアはイエスの十字架上の死、埋葬、そして空っぽの墓の最初の目撃者として記されている。勇敢さに欠けた当時の男性使徒たちはイエスが十字架刑に処せられた後、イエスから去ろうとしたり、最初はこのマリアたちの空っぽの墓に関する「ばかげた話」を信じることができなかった。

 何世紀にも亘り、キリスト教徒にとってマグダラのマリアは「信仰深い使徒であり、常にそのように描写されてきました」とハーバード教会の歴史学者ケアラン・キング女史は述べた。

 そのマリアに対して「ダ・ヴィンチ・コード」で語られるようなさまざまな説が作り上げられるようになった。それらを扱った著書は様々あり、またインターネット上では宗教的ホームページ上でマリアに関する最近の見解について議論がなされているという。

 マグダラのマリアの人物像について福音書では、ルカの福音書8章にしか記されていない。

 ある見解によると、グレゴリウス一世は誤ってルカの福音書8章の前の箇所でマリアをイエスと劇的な出会いをした無名の罪深い女性であると定義づけてしまったのだという。しかしながらここでもその罪が性的なものであるとは決して書かれていない。そうだとすれば、マグダラのマリアはルカ8章ではなく、その前のルカ7章ですでに出現していると考えるのが妥当であるという。


 ルカの福音書では決してマリアを罪深く、悔い改めている人と記していないが、マリアは「七つの悪霊」を追い出していただいた人として記されている。七という数字は聖書的に意味深い数字であり、深刻な問題を暗示しているという。しかし聖書ではマリアの苦悩が肉体的なものだったのか、精神的、霊的、道徳的、あるいはそれらが複合されたものだったのかについてはどこにも記されてはいない。

 今日では、マリアはしばしばキリスト共同体における女性の重要性の象徴とされている。

 サンフランシスコのグレース大聖堂では聖公会初の女性主教バーバラ・ハリス氏を選出した際、彼女の選出を祝うためにマリアの人物像を当てはめた。キリスト共同体以外においても、マリアはフェミニストや現代女性の間で人気が高い。

 マリアについては、正統派教会がグノーシス主義や秘められた知識について優越主義や異端の動きであるとして否定して以来、何世紀にも亘って新約聖書における女性の役割に関する議論の的となっている。

 バード大学のブルース・チルトン氏はマグダラのマリアについて、新約聖書では意図的にマリアの果たした役割を覆い隠したかったのだと主張している。チルトン氏によると、マリアは実際イエスの使徒らの中でも主要な教師であり、悪魔祓いの祈祷師でもあったという。

 フェミニストに人気のあるグノーシス主義のテキストとして、ペテロや他の使徒らに対するマリアの優越性を主張する「マリアの福音書」があるという。

 この書物についてキング女史は、これは紀元2世紀初めに由来するもので、福音書が制作されてすぐにできたものであると主張している。しかしチルトン氏、ペンシルバニア州立大学の歴史学者のフィリップ・ジェンキンス氏を含む大部分の他の歴史学者らは、この本はもっと後になってからできたものであると見ているという。

 ジェンキンス氏は「隠された福音書」に関する議論に関して、「このような気まぐれで一時的なグノーシス主義をよみがえらせ、新約聖書の価値を格下げするような努力によってはイエスとマリアに関するなんの新たな信頼できる情報も得る事ができないし、ただ単に教会、特にローマカトリック教会の敵意を促すだけだろう」と見なしているという。
The Gospel of Mary Magdalene(amazonリンク)

関連ブログ(我ながら、ずいぶんとたくさん読んでるなあ~)
マグダラのマリア~「中世の巡礼者たち」より抜粋
「フランスにやって来たキリストの弟子たち」田辺 保 教文館
ダビンチとの共作絵画か イタリアで半世紀ぶり公開
「ローマ」弓削 達 文芸春秋
マグダラのマリア リンク集(英語)
「マグダラのマリアと聖杯」マーガレット・スターバード 感想1
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「イエスを愛した女―聖書外典・マグダラのマリア」光文社
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「マグダラのマリア―マリア・ワルトルタの著作による」あかし書房
「図説 ロマネスクの教会堂」河出書房新社
「マグダラのマリア」 岡田温司 中公新書
「マグダラとヨハネのミステリー」三交社 感想1
「イエスのミステリー」バーバラ・シィーリング著 感想1
posted by alice-room at 22:47| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ダ・ヴィンチ・コードB】 | 更新情報をチェックする
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