ステンドグラスの図像については、ここに載せてる写真は縮小しているので聖書のどのくだりを説明しているのか、同定しずらいですね。
まあ、あとでシャルトルの本はたくさん持っているので、ゆっくりと見比べてみようっと。
今回、この旅行にあたり、飛行機内でも電車内でも、エミール・マールの「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで」を持参し、読みながら行きましたが、本で例示される一つ一つのものがシャルトルの彫刻であり、ステンドグラスであり、それが目の前で確認できるのが大変嬉しかったです♪




残念ながら、この写真は一枚しか残っていなかったなあ~。あっただけマシかな?
何よりもこの地上で大切な宝である聖遺物です。シャルトル大聖堂をかくあらしめるレゾン・デートルっていう奴です。
『聖母の肌着(チュニック)』。
コンスタンティノープルから、フランス国王経由で持ち込まれ、寄進されたもので当時の金銭的価値たるや想像を絶する存在でした。数々の奇蹟を起こしているしね。
その辺は以下を参照。
「凍れる音楽-シャルトル大聖堂」~メモ
「世界大百科事典」平凡社(1998年)~メモ
日本の秘仏よろしく、当時はイングランド国王が一目聖遺物を見たいといっても見せなかったぐらいの秘密主義で守られていたらしいが、今は平民の私のようなものでも見られるのは、なんとも幸せなことなのでしょう♪
逆に気軽に見れてしまうことが、その存在価値を落としている一面もあるんでしょうけどね。見えないからこそ価値が増すっていうのはよくある話で、真実でもあります。聖骸布の人気が高いのは、なかなか見れないからだしね。
深窓の令嬢が高値の花なのも、困難故で手に入ってしまったら、雑草になってしまうは人の性(さが)です。


下の部分は、明らかに職人達を描いています。石像彫刻を削りだしているところでしょうか?



いかにも、ゴシック建築らしいリブ・ヴォールトですね。ゴシックとは言っても、実にさまざまなタイプがあり、垂直性の表現方法が現実に見た時、与える影響って違うんだよね。
この旅の後日、サン・ドニ修道院へ行きますが、あそこもこことは柱が全然違った感じで実に興味深かったです。行って自分の目で見るまでは、そういうことは気づきませんからね!
(まあ、行っても関心が無ければ気づかないでしょうが・・・)


『柱の聖母』。
前回来た時はこちらしか見れず、地下のクリプトにある『黒い聖母』のことはそもそも知りませんでした! 今回、ガイド付きのクリプト探検して、写真たくさん撮ったんだけどなあ~。あ~あ。
上のリンク参照で当ブログ内の関連記事に触れましたが、あそこにも書いてあるように両者共に焼かれたり、散々な目にあって、再度作り直されたものです。現在は、クリプトのものより、こちらの柱の聖母の方が古いらしい。
ただ、ここも敬虔な信者の人がよくお祈りを捧げていて、いつもは近寄り難い雰囲気があったりもする。今回、誰もいなかったのは工事中のせいででょうか?


上の薔薇窓同様、かなり正面からバランス良く撮れています。どうやって撮ったんだろう?自分で撮ったけど、不思議だ。



これまた、違う感じの意匠ですね。願いを捧げている人達は、王冠を被っているから、国王や王妃でしょうか?

う~ん、これも写真では伝わらないな。
ぶれている訳でもなく、ぼけている訳でもありません。ステンドグラスを通して入ってきた光が暗い外枠に反射して、二重の輪郭を生み出しているのです。
こういった光の干渉作用なども含めて、ステンドグラスの美しさは観る人の心を惹きつけます。この光のキラキラ感こそ、まさに光の形而上学を具現化しているんですが・・・・。
現実の『美』を、『光』を通して、うかがい知る事のできない神の完全なる至高の世界を垣間見る・・・。我知らず、はっと息をのむ瞬間です。
みんなで、わいわいがやがや見るものではありませんし、それで分かろうはずも気づこうはずもありません。(もっとも中世当時は、今回の工事の比ではない、騒がしさ・騒々しさの環境だったはずですけど)
まあ、シャルトル学派のごく一部知識人の理想ですからね。それでも、この美しさは大衆の心を捉えたんじゃないでしょうか?
シャルトル大聖堂3~フランス(20100624)へ続く。
ブログ内関連記事
「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(上)」エミール・マール 岩波書店
「ヨーロッパのキリスト教美術(下)―12世紀から18世紀まで」エミール・マール 岩波書店