
ご存知パリの守護聖人・聖ドニの首持って歩く像。
メトロのサン・ドニ駅のフォームに降りてまず目につきましたヨ!
結構、郊外にあってパリ中心部から外れた地区にある。
歴代の国王の墓所であり、ゴシック建築のまさに創始者であり、重要人物であったスリゲール(シェジェール)が活躍したサン・ドニ修道院を求めていきました。
ゴシック発祥の地と言っても過言でないここに来なくては、ゴシック建築好きとは言えないからね。何はなくとも行っとかないと。

最初、教会を探してメトロの出口をウロウロしていたんですが、いきなり広場には、たくさんのお店が出ていて、まさに市場状態。

しかも郊外の為か元移民の方でしょうか? アフリカ系の黒人の人が非常に多い。つ~か9割以上の大多数だし、ちょっと圧倒される。
なんか別の国に紛れ込んだ気分です。ちょっとフランスのパリとは思えなかったなあ~。

今回はどこに行ってもあまり日本人の姿を見かけることはなかったけど、ここは極め付けかな? 日本人の影も形もない。
まあ、ゴシック建築に関心を持つ人以外、日本人だとほとんど知らないのかもしれません。パリの守護聖人のサン・ドニゆかりの地であることも、国王の留守を委ねられるだけのあの大物スリゲールが修道院長として采配をふるったこともすべては歴史の彼方のことなんでしょう・・・。

とか思いつつ、市場を眺めながら歩いていたら、サン・ドニ大聖堂発見!!
これっきゃないでしょう♪


タンパンの図像もシャルトルとかとは全然違うなあ~。ステンドグラスは、むしろここの意匠が伝えられたんだけどね。「エッサイの樹」とか(後述)。


門の柱には、月暦(だったかな?)で人々の生活が描かれています。

扉の文様もものものしいですね。

ここには、あの「救国の少女」ジャンヌ・ダルクが描かれた石板があります。名前入ってるの読める?
今じゃ聖人ですが、イギリス軍に捕まった当時は、マンドラゴラを持っていた魔女として焚刑になったんだよね、確か。


ステンドグラス。
綺麗なんだけど・・・綺麗過ぎるんだよね。新し過ぎるぅ~。
それもそのはず。
宗教改革やフランス革命で、煽動されて踊らされた大衆が壊しまくった場所だからね。まさに王の墓所だもん、目の敵(かたき)ですから。
意匠等は、忠実な時代考証に基づいてオリジナルに似せているんだろうけれど、輝き形は、そりゃ本来物には及びません。

でも、建築自体は残っています。
この柱やリブ・ボールトといった建築空間こそ、ゴシック建築の精髄と言っても良いでしょう♪

綺麗なステンドグラスは、意匠のお勉強の教材と思えばOK。

トレーサリーやトリフォリウムとかも美しい♪

この何本も束ねる表現も独特ですよね。
同じ垂直性志向といっても、シャルトルのより際立ったものと比べると、装飾性が強い分、穏やかな感じがしないでもない。
でも、こういうのもスキ(笑顔)。

暴徒が墓暴いて、グチャグチャに混ぜてしまったらしいですが、生前の姿を伝える埋葬者の彫刻はしっかり残っていたらしい。


この柱がもたれす空間感覚、たまらないんだよねぇ~。
人に与える心理的影響を、高度に計算し尽されて生み出された技術。
それを支える『光の形而上学』の具現化に他なりません。

まさに『光』有れ。
なんだよねぇ~。

サン・ドニは何度も書いてますが、みんな壊されたんで未だにあちこち修復中。こちらは、ステンドガラスのはめ込まれていない薔薇窓です。

こちらは別の薔薇窓。

サン・ドニは明るいんだよね。全般的に。他のゴシック建築も結構、明るいところ多いけど。


この辺りになると、美しくて素敵なんでもういちゃもんさえ、出せません。
本当に、お勉強向きだと思う。
ステンドグラスや建築物は、美女よりもはるかに美しいと断言できますね。
神の聖なる被造物って感じがする。
今、ナショナル・ジオグラフィックのようなパチモンではない、正統派の「ユダの福音書」の本を読んでるのですが、そこで背景的知識としてグノーシス主義についても丁寧な説明があったりする。
そこで出てくる『叡智』や現実世界の定義付けが異様なほど、新プラトン主義の『光の形而上学』にはまるような気がしてならない。つ~ことは、純粋なカトリック精神の発露と見られるゴシック建築が、異端思想に基づいて生み出されているという、なんとも皮肉な様相を呈する観がしてならないのですが・・・?
私の考え過ぎ? うがち過ぎかなあ~?
その辺についても、もっと情報集めたいですね。興味津々です、私。
サン・ドニ大聖堂2~フランス(20100625)へ続く。