2010年09月18日

「高学歴ワーキングプア」水月昭道 光文社

だいぶ前から雑誌などで取り上げられていた話題です。この手のものの最新版なら大量粗製乱造気味の新司法試験合格者とかになるかな? 対象は変わっても基本的に社会(システム)が悪いと言ってるだけで、居酒屋で愚痴を言ってストレス発散している以上の展開はありません。

勿論、その手の批判を考慮に入れてか、専門性を生かしつつ、社会に受け入れられるような仕事の創出(?)的な提案もしていますが、正直、机上の空論以外の何物でもありません。具体的には専門家と一般人の間を埋めるアドバイザー or コーディネーター(?)的な仕事を挙げているのですが、笑止!

そもそも学校で勉強しただけの知識を専門的な使える知識として社会が必要とするのでしょうか?需要があるならば、とっくにビジネスとして成り立っているはずです。需要が、必要がないのです。そもそも。

のっけから否定的なことを書いてしまいましたが、私は博士号も持ってませんし、修士もあえて中退してベンチャー企業に飛び込んだクチなので本書でいう高学歴にはあたりませんが、一応、大学院や研究室のことはある程度分かるつもりです。

当時、友人にも博士課程出てアメリカで講師やってるかと国内の私大で講師やってるとかいっぱいいたしね(今は、教授職になれたのかは不明?)。

博士課程に進学する段階で、将来が予測できないってこと有り得るでしょうか? この情報溢れるご時勢に?

昔の話かもしれませんが、大学院ってのは、先生から素質ありと見込まれて声かけられるか、最悪、就職できずに無職でも暮らしていけるだけの経済力が(実家等に)ある人間がいくところだと思います。ましていわゆる文科系なら、それはいまでも当然でしょう。

予備校で講師をやっている人が、博士号を持っていて3ヶ国語ぐらい普通に話せても教員の職にありつけないってのも私の知っている方でいました。実際、似たような人、何人もいます。

失礼だが、当人の専門的な知識を身に付けて研究をしているというその価値は、果たして社会的に有意義な価値があるものなのでしょうか?

この手のモノをどう評価するかは尺度次第でいくらでも変わるのでその話をすると、話自体が進まなくなるのですが、あえて乱暴に言ってしまうと、独り善がりのお遊びに予算つけろ、科研費出せ、評価しろと言われても???

要らないんじゃないの?っていう気がしないでもない。勿論、論文を出せないすごろくの上がり状態の現職の人達を批判するのは、分かるのですが、そもそもそういうところだもの。分かっていて貴方が希望したんでしょ、としか言う言葉はない。

知らなかったのは、本人の過失であり、修士まで行って気付かなかったはずはないのだから、ドクターコースは、現実逃避で進んで予想通り職が無いっとのは当たり前ではないでしょうか?

うちの学校の場合だと、たいがい修士・博士は東大や一橋の大学院行って、イギリスやアメリカへ留学してあちらで博士号とり、そのまま海外で講師やって箔つけて、先生のご加護のもと、国内の大学で講師とかへて准教授へ、ってパターンだったような気がする。

私は、それが見えていてその世界が嫌だったから、実社会で自分を試したいと思い、ベンチャーへ行ったんだけどね(シンクタンクには、社内の内規で役員面接前に落とされたけど)。

その後も紆余曲折しまくりでそこそこ出世はしたものの、辞めて自分で起業したり、失敗してまた雇われ人になったり、未だに苦労はしているものの、他人のせいにするつもりはないけどなあ〜。

まして自分で好んで大学院へ進学して好きな研究をしたんだから、親の強制で家業を継がされたり、経済的な事情で勉学を諦めたりとは訳が違うでしょう。

博士号を取ったら、まさかみんな教授になれると思っていたわけではないしょう。子供じゃないんだから。

こんなに努力して勉強・研究したんだから・・・という時点で学生さん気分がまだ抜けていないのかと思います。社会で働きながら、努力している人なんて、いっくらでもいますし、本当に頭が下がるくらい頑張っている人がたくさんいます。

でもね、そのうちのどれだけの人がその努力が報われているのでしょうか? 100の努力で50も評価されれば、いい方ではないでしょうか? それでもね、報われてなくても淡々と努力している人はいるんです。いっぱい。

人は所与の条件下で自分にとって最適な行動を選択するしかないわけで、(巡り巡って自らの行動が所与の条件に影響を与え、変えることも有り得なくはないですが)そのルールに従って生きていくしかない中で、一定に保たれている前提での条件を問題にして、一番大切な自己の行動の選択については、うやむやにしているのは、はてさて理解に困ります。

感情的にはすっごく分かりますし、たいした業績無いのに上の先輩がだぶついていて割をくっている人とか、実績的にみてもどう考えてもおかしいことはあるでしょうが、そんなのどこの社会に行っても一緒です。

日本人が幻想を描いてみている国連なんか、人間の欲望の主戦場でしょう。その中で、現実の力に押しつぶされずに、理想を一かけらでも実現しようと文字通り命をかけて頑張っている人もいたりする訳です。

そういやあ〜本書では博士号持っていても国連で働くという話は出ていないですね。国連は修士以上が採用条件で大概は博士号と実務経歴を評価するみたいで、一応オープンに採用してますよね。うちの大学院には募集あったけど。あとIMFとか。

あと日本で評価されず、本当に実力があるなら、海外で評価されるところに行けばいいと思うのですが、その点も本書では触れられていません。

もし、国内でしか評価されないような研究であるならば、なおさら与えられた条件下で不満を言っても笑われてしまうかと思うのですが・・・・?

院生時代の友人も学習塾で講師とかしてますが、少なくとも社会のせいにはしないようなあ〜。自分で選んだ道ですから。文化省のやり方もそりゃ、問題あるでしょうが、批判ばかりしててもあまり納得できませんでした。

逆にそこまで大学で職を得ることに価値あるのでしょうか?一般企業へ就職しても研究する事はできないのでしょうか?(まあ、理系の場合は、設備とかの制約でできないかもしれませんが)

極端な博士号取得しているパチプロの話なども出てますが、いかにもとってつけたようなエピソードで本書自体の評価を下げてしまいますね。

「人は人とし生まれただけで自由である」っていうのは幻想ですから!
勿論、平等ではありません。
でも、自由であろうとし、平等であろうとして努力することはできるはずです。

まずは、そっからではないかなあ〜と思います。さて、私も報われるか分からない仕事絡みのお勉強でもしましょうか(苦笑)。

そうそう、本書を読んで初めて知ったことなどもありました。『特任教授』の『特任』とか。

いわゆる本来のアカデミズム以外の出身者に多いなあ〜とは思っていましたが、そういうことだったんですね。

必要な時に、必要だけ外部から調達する為にわざわざ作った用語なんですね。ふむふむ。勉強になりました!
【目次】
第1章 高学歴ワーキングプアの生産工程
第2章 なぜか帳尻が合った学生数
第3章 なぜ博士はコンビニ店員になったのか
第4章 大学とそこで働くセンセの実態
第5章 どうする?ノラ博士
第6章 行くべきか、行かざるべきか、大学院
第7章 学校法人に期待すること
高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)(amazonリンク)
タグ:書評
posted by alice−room at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 未分類B】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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