2010年09月23日

「聖徳太子の陰謀」佐治芳彦 日本文芸社

聖徳太子を巡る論争は、その実在そのものも含めて有名ですが、この本はあの竹内文書の本を書いてたと同一著者の手になるもの。その時点で、歴史謎解きふう小説ってのは自明&確定です。

最初は、著者名をよく見ずに読み進めていたんですけど、読んでいくとどうにも適当な論理展開で胡散臭いと思って、改めて著者名で調べたら、分かりました。まあ、そういう本です。

単行本にそういうのを期待する人もいないでしょうが、どこまでいっても歴史もどきの域を出ませんので、小説と思って読む分には良いでしょう。

聖徳太子は、後世の人々が自らの利権の為に架空の存在(or 実在するものとは別種の虚像)として作り上げられたものであり、時代は変わっても常に、一部の人の利益の為に利用され続けた存在だと著者は主張されています。

まあ、そんなのどんな歴史上の人物でも有名人だったら、そんなものだと思いますけどね(実際、歴史上の人物の評価は浮き沈みが激しいので)。

本書ではかなり明確に嫌悪感を持って主張されているのですが、その論理は、自らの文献等客観的根拠の提出のないまま、こういう人がこういうこと言ってるとか、従来の文献に対する独自解釈でしかもその解釈の仕方がどうみても論理的には整合性がとれているようには思えません。

つ~か、よくある素人の歴史好きが適当に思い付きで話していて、その都度、その都度、自説に都合の良い説を唱えている人のものを部分的に流用して、もっともらしく(?)している、そんな感じのものです。

確かに四天王寺の「未来記」とか、まあ、著者の言いたい気持ちも分からんでもありませんが、それはそれで著者自身の主張が正しいことには直接結び付かない事は気付くでしょう、普通。

著者の基本的な説明は3段論法なんですが、あくまでも可能性があるかも?レベルの話とそれが実際にあったと立証することの間には、どれほど大きな隔たりがあるのかご存知ないようです。この手の人にありがちな論理の飛躍、つ~か欠如がそこかしこで見られます。

それを踏まえて、読む分には、楽しいフィクションってことでいいかもしれません。 最後の方では、竹内文書のことまで触れられてますしね。ご自分で。

個人的には嫌いじゃないですよ~。こういうのも。

でも、無理して低俗っぽい「聖徳太子=ノストラダムス」とかその手のことまで言ってしまうのは、興醒めだなあ~。痛々しさが出過ぎです。

どうせなら、もっとうまくそれらしさを演出してもらえると楽しめるのですが・・・・。

まともな聖徳太子の本を読んでから、読むと苦笑しながら、楽しめますけどね。トンデモ本としてもあまりお薦めしません。面白さが足りないんだもん。
【目次】
まえがき 今も続く「聖徳太子の陰謀」への挑戦
序章 生き続ける聖徳太子神話―太子ロマン創作の謎を解く
第1章 日出ずる処の天子とは誰か―『隋書倭国伝』が明かす九州王朝の存在
第2章 偶像化された聖徳太子の登場―『日本書記』編纂プロジェクトの「あだ花」
第3章 聖徳太子神話はかく創られた―「十七条の憲法」と「万機総摂」の真相
第4章 奈良仏教の聖徳太子「発見」―『三経義疏』と法隆寺の陰謀
第5章 浄土祈願が甦らせた太子信仰―平安=末法の世に転生する聖徳太子
第6章 鎌倉~室町=動乱の聖徳太子像―時代がメシアとしての太子を求めた
第7章 ノストラダムス化する聖徳太子―「未来記」をめぐる四天王寺の陰謀
第8章 地に墜ちた聖徳太子像―近世儒学・国学による太子批判
終章 聖徳太子は不死鳥か―明治維新によって再びかつぎ出された聖徳太子
あとがき 神話・陰謀の終焉と疑似アイデンティティの清算
聖徳太子の陰謀―日本史を支配する巨大勢力の影 飛鳥時代~明治維新まで (ラクダブックス)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「謎の竹内文書」佐治芳彦 徳間書店
「聖徳太子鑚仰」四天王寺編 中外日報社
「聖徳太子はいなかった」谷沢永一 新潮社
「聖徳太子信仰への旅」日本放送出版協会
「幻の法隆寺」邦光史郎 徳間書店
TNM&TOPPANミュージアムシアター「国宝 聖徳太子絵伝」in 東京国立博物館
ラベル:書評
posted by alice-room at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 歴史B】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック