
今まで読んだ「アレクサンドリア図書館」に関する本の中では、一番興味深く、得る物が多かった本でした。
この手の本を読むには、予備知識の少ない私ですが、それでも何点か気付いた点があったのでメモしておこう。
膨大な数の本を集めたアレクサンドリアで行われていたことが『文献学』だったというのは、正直驚きました。当時、人出による写しによる意図せざる誤りの他にも、それぞれの地域で関わった人達の意図的な改竄・追記で本来の原文を特定する事が難しい中で、たくさんの異本の比較・検討で、オリジナルを見極めていくとは・・・・。
確かに数があるからこそ、出来る学問ではあるが、いつの時代でも優れた人物というのは、いるもんですねぇ~。
なお、本書は図書館としてのアレクサンドリアではなく、都市としてのアレクサンドリアをテーマにしていることに注意! それゆえ、本だけではなく、この学術都市を舞台にして行われた学者や学派、古代の哲学などについても書かれており、非常に内容豊かなものになっています。
ついていくのは、相当大変だけどね。
読み進めていくと自分が関心を持っていたキーワードに、あちこちで複数ぶつかるので大変勉強になります。
トラキアのディオニュシオスが書いた文献学のなすべき課題。
第一に句読点もアクセントも付されていないテクストを正しく朗読すること
第二にテクストの解釈
第三にテクストの筆写上の誤りの校訂
第四にテクストの文学上の価値の評価・批評、さらにそれに基づき、本当の作者が誰であるか決定する事。
スコリア:
写本に記された欄外の「註」のこと。
アレクサンドリアの文献学の場合、・・・・
当時の書物はすべて「コピー」であり、しかもこの「コピー」は、現在のように機械による原本の正確な複写ではなく、写字生なり書記がパピュロスに手書きした「写本」であった。そこに、単に誤読によるばかりでなく、筆写の自筆原稿なりマスターコピーを恣意的解釈や趣味の観点から、勝手に改竄する可能性があったのである。
先述のよう著者目録の最後に行数を記入する例がみられたのも、こうした危険性を防止する意味からであった。文献学の目的は、流布しているできるだけ多くの写本を萬集し、筆者の自筆原稿、つまり原著に可能な限り近づこうとすることにあったと言える。
アリストレスの「詩学」第25章での校訂の原則(というべき)
1)現実にはありえないこと
2)公序良俗にそぐわないこと
3)全体の内容からみて矛盾する記述
4)詩の技法にそぐわないこと
この原則に即してテクストの正しい読みを決定すべきだと主張している。
アリストテレスが校訂の原則に反するホメロスの箇所に対し、用いた解決法は「寓意的解釈」であった。つまり、文字通りにホメロスの作品を読むならば、彼の校訂原則のいたるところで抵触し、場合によっては作品全体の価値が否定されかねいないことになる。そこで文字の背後につまり記された表現とは別のところに作者ホメロスの真意を求めようとしたのである。
さまよえるユダヤ人:
16世紀中葉以降ヨーロッパに広まる伝説。十字架を背負いゴルゴダの丘に向かうイエスが、ユダヤ人の靴屋アハスヴェルスに一時休息を求めたのに彼がそれを拒んだため、イエスが「おまえは私が帰ってくるまで歩み続けなければならない」と言ったという伝説に由来する。
【目次】学術都市アレクサンドリア (講談社学術文庫)(amazonリンク)
序章 謎の古代都市アレクサンドリア
第1章 ムーセイオンと大図書館
第2章 メセナとしてのプトレマイオス朝
第3章 大図書館をめぐる学者文人たち
第4章 花開くペリパトス派の学風
第5章 哲学都市アレクサンドリア―ユダヤ人フィロンとその周辺
文献案内をかねたあとがき
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