2006年05月20日

ダ・ヴィンチ・コード

ダ・ヴィンチ・コード
【映画瓦版より転載】
ダン・ブラウンの世界的ベストセラー小説を、ロン・ハワード監督が映画化したミステリー・アドベンチャー映画。脚色は『ビューティフル・マインド』や『シンデレラマン』でもハワード監督と組んでいるアキヴァ・ゴールズマン。主人公のロバート・ラングドン教授をトム・ハンクスが演るほか、暗号解読のエキスパートとして彼を助けるソフィーにオドレイ・トトゥ、ふたりを殺人事件の容疑者として追うファーシュ刑事にジャン・レノ、聖杯伝説の研究家で大富豪のティービングにイアン・マッケラン、謎の修道士シラスにポール・ベタニーという豪華なキャスティング。映画は単行本で上下2巻(文庫だと3巻)に分かれる原作を、巧みに2時間半に圧縮している。

 原作は「図像学(イコノグラフィー)」をモチーフにした歴史ミステリーだが、活字では肝心の「図像」をイメージすることが難しく、それを補う写真入りの愛蔵版やガイドブックなしには、物語のトリックもアイデアもあまり理解できないという弱点があった。それでも「まるでハリウッド映画のようだ」と言われたストーリー展開の上手さに最後まで読んでしまうわけだが、これで物語の主人公たちの推理やトリックをすべて理解できたかというと、そうはいかない。なにしろ問題は「図像」にあるからだ。

 その点で映画は、最初から視覚を通してストーリーを語るメディアだ。この映画を観て、僕は小説の中で論じられていた事柄の多くを「図像」のレベルで理解することができた。例えば映画の中で重要なキーワードとして登場する「ローズライン」などは、たぶん写真でも意味はわかりにくい。映画を観てはじめて「なるほど!」と思わされるものだ。こうした描写は映画ならではのもの。これだけでも、この小説を映画化した意味はあったと思う。

 ただしこうした絵解きによって、この小説の主張する説の強引さも明らかになってしまうのは皮肉なことだ。例えばダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で、イエスの隣にいるのは“女性”だとする説。小説では「その証拠に胸がふくらんでいる」と言われてびっくりしたが、映画で同じことを言われて実際にその絵を見せられても、胸がふくらんでいるというのは単なる思い込みに過ぎないような気がしてならない。(ちなみにここで描かれている人物は使徒ヨハネ。)映画を作っている側もこうしたことには気づいているようで、絵の紹介をさっさと終わらせている。

 小説の絵解きとしてはよくできた映画だと思うが、これ単独で楽しむミステリー映画としてはだいぶ迫力不足。例えば小説の中核にあった暗号解読のトリックがあっさり流されてしまい、これではなぜヒロインが暗号解読のエキスパートに設定されているのか意味不明。ラングトンの図像学の知識と、ソフィーの暗号解読術が組み合わさって物語が進んでいかないと、ふたりが一緒にいる意味があまり感じられなくなってしまうように思うのだけれど……。
なんかいくつかの感想をちらちら見る限りでは、原作の本を読んでないと映画がイマイチ分かりにくいみたいですね。実際、どうなんでしょう?

私の場合は、一応予習は十分過ぎるくらい出来てるはずなんで(苦笑)、映画のストーリーは理解できると思うんだけど・・・。

そろそろ寝ないて明日起きれないのに・・・。ニュース多過ぎだって!
posted by alice-room at 01:06| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ダ・ヴィンチ・コードC】 | 更新情報をチェックする
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