
そうそうパドヴァにあるんだよね、スクロヴェーニ礼拝堂って。以前、ローマからフィレンツェに行き、今度はフィレンツェからヴェネツィアへと行こうとユーロシティに乗った時、確かそんな地名があったのを思いだしました。(上の画像は本書より、「マリアの神殿奉献」)
夏だったから電車は混むし、席の予約も取れずにすっごい苦労したことがありましたよ~。あん時は3時間も電車の連結部で立ち通しでしたもん。高くてもいいと言っても席取れなくちゃ意味ないしね。夏に鉄道での移動は考えものだと思いました。そうそう、スペインでの移動でも寝台車を取れずに結局飛行機で移動する羽目になったしなあ~。まあ、日本の夏と変わりません。
余談はおいといて。だてに有名ではありません。本物を見たことはないのですが、本書の写真を見るだけでもこりゃチェックしておかなきゃなるまいと思ってしまう素晴らしさです。
実に美しく残っているんですね。でも、15分しか見れないの? 15分×10回とかって駄目なのかな~? 気に入った作品は何度も時間をかけてじっくり見たい派の私としては2、3個見てるだけで終わってしまいそう・・・。
つい最近までは、こんな無粋な時間制限なかったらしいのでその時に行きたかった! う~ん、しかし保存の為には仕方ないんだろうけどね。それにしても短い・・・短過ぎる(涙)。
実際に行くのはいろいろな手間を考えると、イタリアを周遊する際のついでぐらいのプライオリティになりそう。世界中にまだまだ見たいものがいっぱい有り過ぎて困ってるし・・・。
私みたいな言い訳はしないにしても、実際にゆっくり見れないなら、こういう本は非常に貴重で有用です。写真も大きいし、この値段にしてはずいぶんと多くの枚数が入っています。何よりも綺麗が嬉しい♪ 説明も私のような初心者でも分かり易くて絵をより良く理解できるような気がします。
今回、本書を見ていて思ったのが、イエスの埋葬に際しての天使の嘆き悲しむ姿が非常に特徴的。こんなふうに天使が描かれているのって少ないような気がします。少なくとも私があちこちで見た作品の中では、際立っている感じがします。
あとね、七美徳と七悪徳像。それぞれがまさに象徴的な表現なのですが、それぞれの意味するものが実に面白くって!
いくつか引用すると、
「移り気」:車輪のうえでバランスをとる若い女としてあらわされる。床は傾いており、彼女はいまにも滑って転がり落ちそうだ。
「不信仰」:右手に持った異教の女性像に首をつながれた若者である。彼は目が不自由で、冑で耳もふさがれているので、預言者が読みあげる聖典を聞くことができない。
大聖堂の柱やティンパムにもこの手の概念を象徴した表現が彫刻されたりするが、大好きだったりします。ジョットのものもなかなか楽しかったりする。本書は、まさにお薦めの一冊でしょう。眺めているだけで楽しい本です。
以下、本書より「ラザロの蘇生」と「ユダの接吻」。他にもこういった綺麗な画像が多数あります。


【目次】ジョットとスクロヴェーニ礼拝堂(amazonリンク)
第1章 スクロヴェーニ礼拝堂とジョットの壁画
壁画「ヨアキム伝・マリア伝」
壁画「キリスト伝」
壁画「最後の審判」
壁画「七美徳・悪徳像」
第2章 ジョットの生涯とその作品
修業時代
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂上院壁画
スクロヴェーニ礼拝堂壁画まで
スクロヴェーニ礼拝堂
スクロヴェーニ礼拝堂以後
フィレンツェでの活動
晩年
関連ブログ
「アッシジの聖堂壁画よ、よみがえれ」石鍋真澄著 小学館 感想1
TBありがとうございました。
時間制限あるんですか…あらら。。。
それにしもて短すぎますね。
本当に数枚しか観られません。
『最後の晩餐』も時間制限あって
落ち着いて観られませんでした。。。
そうなんですか、最後の晩餐も時間制限があるんですね。う~ん、芸術を守る為に必要なんでしょうが、じっくりと見れないのは残念ですねぇ~。
でも、見たいものは世界中にたくさんありますし、時間制限のない物もありますもんね。見たりない分は他のところで埋め合わせをしてもいいかもしれません。
素敵なものってたくさんありますもんね!(笑顔)