2011年06月11日

「ホームレス博士」水月昭道 光文社

確かこの著者の本は何冊か読んだことがあるような気がします。

知り合いで何人か大学院に進んだ人もいますし、私自身も院に行ったけど、途中で修士を取る価値を見出せず、中退して就職した口なので、読む前から内容については想像がついていても、やはり手に取ってしまいますね。

そして読了後に感じるのは、いつも同じような感想です。

進学したくても進学できない人がたくさんいる中で、大学卒業後、わざわざ自主的に自分の趣味(!)で働きもせず勉強していて、それで就職先無いから、なんとかしろと言われてもねぇ~。

世界中の人が職を求めて競争しあうこのご時勢に、採用する企業があるとは思えません。

だって私が就職後、経済の大学院に行く時でさえ、文系の大学院なんていったら、学者になるか、シンクタンクぐらいしか行くところなく、もう堅気の人生諦めますか?って感じでしたもの。

当然、学者なんて、コネか本当にごく一握りの優秀な人材以外は無理ですしね。まあ、実際、うちの院も変な人しかいなかかったけど・・・(まあ、『変ゼミ』みたいなもんだね。笑)。

自分の進路を決めるに辺り、将来どうなるか知らなかったなんていうのは、完全に自分の責任ですし、誰を批判できるのか?

そんな論理が通ると思っちゃったりしているのが、現実を直視せず、モデルや理論だけで説明つけば良いとしちゃうところも正直痛いかと。でも、著者さん、実社会で働いたこともあり、分かったうえであえてそういうこと文章に書いてお金にしちゃう辺りは、まあ、確信犯的な気もしますね。

逆に商売上手ってね。(私の考えがうがち過ぎ?)

でも、博士号はせいぜい学問の世界(それより実際は狭い世界)での評価でしかなく、それが日本社会全体で評価されるレベルでないのは自明でしょ。研究自体が金銭的価値、経済的価値があれば、黙っていても企業か食指を動かすでしょうが、そういう価値は無いってことでしょう。

言ってしまえば、個人的趣味の延長線上ぐらいの意味しかないってことじゃない?
自分がいくら社会的・文化的、その他なんらかの価値があると言っても、世間の評価とは別でしょう。

ただ、勘違いして欲しくはないのですが、金にならなてくも本当に価値ある研究ってのはあるでしょうし、10年も20年も経って初めて価値が見出される研究もあるでしょう。それはそれとして、大切だとは思います。

研究したければ予算を取る為、どんなことでもしなければでしょうし、同時に自分の生活費を稼ぐ為に雇用も探さなければならないでしょう。それが出来ないのを、自分以外の責任にするのはいかがなものかと。

友人で日本では専門でやっていけず、海外で講師してる奴もいたし、国内でちゃんと准教授以上になってるものもいましたが、みんな大変な中、自力で活路を開くしかないと思いますよ。

そもそも今の日本に、これほどの数の大学自体が必要か、まして院生以上も必要か、甚だ怪しい限りです。そんな勉強してる? もう10年以上前だから、現在は分かりませんが、うちもそこそこの国立の大学院でしたが、正直院生のレベルは低かったですよ~。

修士論文も書けば、卒業させてやると言われて、速攻で辞める準備に入った私が言うのもなんですけどね。私の場合、近代経済学の基本だけ体系的に勉強したいと思ったので入学しましたが、M1で卒業に必要な単位は取り終え、修士論文出すだけでしたが、大学院に失望して中退し、そのままベンチャーに飛び込んだからなあ~。

博士号を持っている人間が無為に人生を浪費し、希望も職もないまま、社会の中で消えていく。
それは社会的に損失だし、そもそも個人の責任ではなく、そういう社会システムを既得権益等を持つ者達が仕組んだものだというのが本書の主張なのですが・・・・?
(私はそう受け取りました)

その博士号自体に意味がそもそもなく、社会の損失自体に値しないというのもあると思う。例えば、博士号を取る過程で身に付けた知識や経験というものが、経済社会的に評価するだけの価値があると思うのが間違っていると思うのですが・・・。

ロジカルに分析し、判断し、新しいアイデアにつなげていく。PDCAサイクル的なのは、別に大学院いかなくても普通にビジネスやっていれば、当然身に付けていてしかるべきだしね。

それを実際の業務(仕事)で実施し、それで成果を挙げている人と、学校出て初めて、それを応用してこれから成果を挙げられるかも(?)しれない人のどちらを評価します?

可能性はあっても不確定要素が増える分だけ、期待値は下がりますよね。博士号取得後、採用するなら、そういった管理職クラスと比較をせざるを得ないのは、日本の人事評価上、止むを得ないでしょう。

まして、現在、転職市場で高学歴、資格持ち、職歴も十分な人材が転がっている中で、まともに就職できなくなることを承知で大学院に行き、そこでやっていけないから、普通に就職しようとした人物をあえて採用するだけのリスクを冒す企業って、本当にごく少数でしょう。

新卒の若いのがいくらでもいるんですから・・・。

かくいう私も転職先が見つからずにだいぶ苦労していた人ですが、まあ、今はなんとか職があるだけマシですかね。その代わり試験に追われていますが・・・損保、生保、証券2種取ったので、今月は情報処理、8月は証券1種、その後は内部管理責任者試験か。入社1年以内に取りあえず全部取ってしまいたい。あ~めんどい。フランス語やANDROIDの勉強したい・・・。

よく言われる事ですが、周りのせいにするよりもまずは自分が変わるしかないでしょう。自分が専門で勉強したいから、それで食べていきたい・・・・ミュージシャンを夢見る若者ではないのですから、現実を直視しましょうね。

だって、工場とかで自分の専門職と思い、何十年もやってきたことが、会社側の都合で突如その仕事がなくなり、何十年にも渡って蓄積したノウハウがゼロになってしまう人だってたくさんいる時代ですよ。たかだか、学校で数年勉強した程度でどんだけの専門?(苦笑)

短期間でそれなりに出来る人なら、どんなとこでもやっていけますよ。たぶん・・・。

挑戦するのは良い事だと思いますが、駄目なら、その責任も自分でしっかりと負うべきでしょう。私だって会社作って失敗した後、働きながら、会社設立時に借りた金を払い終えましたからね。当然のことです。

生きている限り、再起はできるしょうし、やりたい事がある以上、努力して考え、実行していくしかないんですから。

まあ、メーカー、小売、ソフトウェア、金融とそれなりに業種を巡りましたが、なんとか経験を生かしていきたいですね。どこでも一生懸命やると、それなりに身に付く事はありますし、決して無駄にならないのは本当ですね。(もっとも直接的に生きてくる訳ではなく、形を変えて別な場合に生きてきます)

人材の流動性確保、本書の中でもありましたが、実際は難しいですよね。
この点、同一労働、同一賃金が合理的だと考えるので基本、私も賛成ですが、今の日本では、正社員の首切りが自由に行えるようになるだけなんでしょうね。

新卒が就職決まらないであぶれている中、定年を60歳から65歳に延ばすように企業に働きかけてる政府。年金支給を遅らせるから・・・というミエミエの懐事情で、年寄りの給料を払うために、本来、もらえるはずの給料を削られていく若者達。

子供手当てや授業料の無料化よりも、雇用の確保、補助金頼みのその場しのぎではなく、経済の活性化以外の正統手法はないと思うんだけどね。それなのに浜岡原発停止で、定期点検の原発が次々と停止。

稼動再開のメド立たず、関西でも節電呼びかけ、工場の稼働率を落とさせると・・・。それが経済、ひいては税収にどれほど影響を与えるか、市民運動家出身の民主党の政治家皆様にはご想像がつかないと!

衆愚政治もここに極まれり。
民主党に投票した人は自業自得ですが(私入れてないし)、自民党も何もしない、できないのは悲しい限り。

批判だけで何もしていない私も傍観者気取って、(非消極的)共犯だね。少しでも経済が良くなるように、自分のできることを頑張りますか?

お仕事を頑張ることと、あとは消費活動にいそしみますか。さて、飲みに行くか(笑顔)。
【目次】
第1部 派遣村・ブラック企業化する大学院
第2部 希望を捨て、「しぶとく」生きるには
対談 大学院に行く意味を考える(鈴木謙介×水月昭道)
ホームレス博士 派遣村・ブラック企業化する大学院 (光文社新書)(amazonリンク)

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posted by alice-room at 13:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 【書評 未分類B】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。

以前、『ハーメルンの笛吹き男』の本のことでこちらのサイトにコメントしたことがあります。

今の学生は、学部でもちゃんと勉強したいと思っても、就職活動のため、なかなか取り組めないようで、昔の、大学に入っても学校にも行かないで好きなことをやっていても卒業して何とかなった時代の学生は、恵まれていたのか罰当たりなのか。

日本にもワークシェアリングのような労働形態が普及すれば、単なる日銭稼ぎのバイトではなく仕事をしながら学問も続けられるようになるかもしれません。
Posted by pulin at 2011年06月17日 08:31
こんにちは、pulinさん。

勉強に当てられるべき時間が就職活動の為に費やされてしまい、本末転倒してしまっているのは、本当におかしいですね。

ゼミは別として、文系ならカリキュラムによりますが、たぶん2年で卒業単位を取れるような気もしますので(私自身は2年でほとんど取り終えたので)、自由に勉強らしい勉強ができる貴重な時間でだと思いますし・・・。

ただ、いつの時代もやってる人はやってますし、やらない人はやらないというのもありますね。

もっと楽に入られた先輩達は、能力・意欲の双方で後に入ってきた人と比較されて未だに苦しんでいるような・・・。人間万事塞翁が馬って奴でしょうか?

多様な就業形態があっていいし、労働意欲のある人には、能力に応じて、相応の賃金が支払われればいいのでしょうが、いつの時代も、どこの世界も規制による適性代価以上の超過利得が得られるように、人は現状を守ろうとしますからねぇ~。

困難だとは思うのですが、より望ましい方向へ少しでも向かうようにやっていくしかないんでしょうね。おそらく・・・。
Posted by alice-room at 2011年06月19日 14:22
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