2011年06月19日

中世の哲学~読書メモ1

「中世の哲学」今道友信 岩波書店からの抜き書きメモ。
アウグスティヌスは、「キリスト教義論」の中で明瞭に基本的方法を述べている。すなわち、「聖書を扱うために法則がある」と述べて、「言語の知識が極めて大きな方法である」と言って、神学研究についてはヘブライ語とギリシア語の知識が、ラテン語を母国語とする人々にも必須であるとしている。

 しかし、それは決してすでに知られていることを伝えるだけ、すなわち神学的情報の伝達だけではなく、明らかに知られるべき事柄を発見していく側面が大切なものとして考えられるからである。

 神が無限であるならば、有限な文書の形をとっているところの聖書から、無限な神の教えを読み取る解釈を通じてこそ、未知の位相の発見ないし発明が可能になるはずである。そこに解釈すなわち思索、思索すなわち発見への道としてのアウグスティヌスの哲学の特色がある。 P41
有限から無限という発想自体に、新鮮な驚きを覚えますね。

実は私、原典に余計なモノを追加するような、この手のキリスト教の聖書や文献への注釈という行為自体に、違和感をずっと覚えていましたが、少し理解できたよう気がします。

ソールズベリーのヨハネスの書物「メタロギコン Metalogicon」で知られているシャルトルのベルナルドゥスの言葉がある。

シャルトルのベルナルドゥスの言ったことであるが、われわれは巨人の肩にたまたま座しているために、自分の背丈や体の高さでは及びもつかず、ただ見上げ、称えるばかりの巨人の大きさによって遠くのものを多く見る事ができる小人のようなものである。P43
美学とは、プラトンの文章によると、美そのものに至る精神の超越の完成として、美しい物体や肉体から美しい義務へ、美しい義務からさらに美しい諸々の学問へ、そしてそれぞれの領域で真理を証明するそれら美しい諸学問から最も美しい美そのものの認識を頂点とする哲学として最高の学である。

そして、美そのものは決してこの世の中にはないから、精神がそれを認識するためには、そのつど世界超越をしなくてはならない。それこそが本来、神と同質であるところの精神(プシュケー)が憧れる物象からの自己解放と離在として、このような世界から離脱することによって得られる浄化(カタルシス)に他ならず、究極的には死(タナトス)を介して神の一族になることであるから、プラトンの最高の学としての美学は、この世から離脱して美そのもであるところの「神との能う限りの一致」を理想とする。

それはまさしく、キリストの介在による救いの可能性のうえに成り立つ状態「神の友となること」を念願としてグレゴリオスの理性的神秘主義において一つの完成を見る人格の美学につながるものであった。P57
この部分は、神に由来する「理性」での認識を踏まえたうえで超越して、究極的に神と一致を目指す、という理解でいいのでしょうかね?

やはり、今度はシェジェールの「献堂記」を読まなきゃいけないな。あれはさすがに買えないから、どっか持ってる図書館探さなくっちゃっと。
芸術はいかにすぐれた作品であっても、その超越的指標にも拘わらず、自己に耳目を惹きつける魅力のゆえに、人間的実存にとっては惑溺への誘いでもありはしないか。今は失われたが、最初の著作が「美について」という美学論文であったアウグスティヌスは、芸術の持つこの二律背反を見逃すはずはなかった。

彼は教会の聖歌隊の歌唱に涙をそそいで感動したことを想起して、芸術における「快楽の危険と健全な経験との間に」動揺する自己を発見する。鋭敏なアウグスティヌスには芸術が二つの位相を持つことはあまりにも明らかであった。

その二つとはすなわち、大宇宙に散在する諸事象に非統一的に関わっていた人間の感覚をその一点に結集させ、意識をして作品の小宇宙に内在化させるところの一極への「自己集中」の快い魅力と、この小宇宙にまで自己を凝集させ先鋭化した人間の意識に対し、宇宙の外への突破を教えるかのごとき「超越指標」というこの二つである。

それゆえ彼は、感覚的な快楽への惑溺の危険と精神に敬虔の情を起こさせる効果とを比較考量して「いずれかと言えば、教会における唱詠の慣習と是認したいと思う」と注意深く言う。これはいわば、「感覚の集中による小宇宙への矮小化」の危険を介さなくては「宇宙の外なる超越者としての神への飛翔」ができないという芸術による世界離脱の不安定な冒険性をいみじくも洞察した言葉であろう。 P59
カストラートの歌声になら、涙してもおかしくないっしょ。

俗物的には「オペラ座の怪人」とかまた観たいなあ~。そういやあ~来月はジーザス・クライスト・スーパースターのチケット取ってあるな。楽しみ♪
エリウゲナ自らを最も豊かにし、かつ後世に最も大きく影響した訳業は、偽ディオニュシオス・アレオパギテス(Dionysios Areopagites)のラテン語改訳であった。

このギリシア語写本は、すでに827年にビザンティン帝国のミカエル皇帝からフランク王国のルイ敬虔王に贈られたことは、一般に認められているが、その写本がサン・ドニ(ディオニュシオスのフランス語訛り)修道院の院長ヒルドゥイヌスを喜ばせた。というのも一般にまだこの頃は、この文章の著者ディオニュシオスは「使徒行伝」第十七章三十四節に登場し、アテナイにおける聖パウロの説教にうたれてその弟子となったアレオパゴス(法廷)の裁判官ディオニュシオスと同一人物と考えられており、しかも特にガリア地方では、その人がフランスにまでも布教に来て、サン・ドニ修道院を建てたという話までもできていたからである。

さすがにエリウゲナはこのガリアの使徒と聖パウロの高弟とを区別してはいたが、この有名な文章は後者の真作であると信じていた。彼は最初ヒルドゥイヌスの翻訳を読み、次いで自ら精密な翻訳を企てたが、その正確度は時の教皇ニコラウスの秘書官でギリシア語学者アナスタシウスを驚嘆させたほどであった。この翻訳が後のラテン的中世に与えた影響は計り知れないほど大きく、それはサン・ヴィクトールのフーゴー、ロバート・グロステスト、アルベツトゥス・マグヌス、アクィナスらが、このエリウゲナの訳に注釈を施している点からだけでも想像がつくであろう。

今となっては誰の手になるものか知る由もないこの一群の思弁神学的文献は、もともとは紀元500年前後に成立したもので、シリアの修道院に属する神秘思想の学者によって書かれたものであろう。その内容はキリスト教と新プラトン主義のみとごな統一であったから、思索的なエリウゲナを刺激するところは大きかった。そしてこれを機縁にして創り上げられた「自然の区分について」こそ、エリウゲナをしてこの時代に比類なき大思想家という名を恣にさせるものなのである。 P196
でもって、この人によるラテン語翻訳をシェジェールさんが読んで、感動しちゃって、ゴシック建築を生み出していくって訳です。
サン・ドニ修道院の人々は、自分たちの修道院にゆかりの保護聖人たるサン・ドニすなわちラテン名でサンクトゥス・ディオニュシオスはあの「使徒行伝」に登場するディオニュシオス・アレオパギテスであると信じ、その人がまたアテナイの司教であるという記録を大切に伝えていた。

ところが、ある日アベラールが尊者ベーダの「使徒行伝」の註解を読んでいると、ここにゆかりの聖者は実はディオニュシオスという名のコリントの司教であるということが書かれているのを見出す。アベラールがそれを修友に示したのは、意地悪からではなかった。学者としては、、ベーダのような著名な著作家の書いていることを放置するわけにはいかない。

しかし、ここの僧達は修道院長イルデュアンがこの問題についてギリシアに遊学して調べてきたから間違いはないと主張し、ベーダを尊重するアベラールが保護聖人がディオニュシオス・アレオパギテスであろうと他のディオニュシオスであろうといずれ神に嘉された聖者である以上、大差はなかろうと言ったのを咎め、これはフランス王国を侮辱するものあるとなし、王に訴えて彼を処罰しようと試みた。・・・・ P286
ラベル:中世 哲学
posted by alice-room at 23:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 【備忘録C】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おお、舌鋒の鋭さが災いして暗殺されたとか言われているアイルランドのエリウゲナですか! 本邦著者によるこのような労作があるとは寡聞にして知りませんでした。参考になりました。ありがとうございます。偽ディオニュシオスの訳業のあたえた影響については、たしかに書かれてあるとおりだと思います。

ちなみにヒッポのアウグスティヌスの芸術についての警句ですが、初期教会の教父たちにとって、神を讃えることばよりその背後の音楽の旋律の心地よさに心奪われることは、罪を犯したこととおんなじだ、という強い罪悪感があったみたいですよ(聖クリュソストモスも似たような警句を書き残しています)。また、ゴシック期の教会音楽はなぜ眠たくなるものが多いのか(笑)、については同時代の世俗歌曲にくらべれば、教会音楽には制約ごとが多くて自由に作らせてもらえなかったという事情があり、この発想ももとをたどればアウグスティヌスに辿りつくのではないかと思ってます。教会音楽にも不協和音とかがふつうに使用されるようになるのは、後期ルネサンスから初期バロックにかけてからだと思います(モンテヴェルディとか)。
Posted by Curragh at 2011年06月26日 12:03
さすがCurraghさん、お詳しい!
実はその辺、本書を読むまでほとんど知らず、名前を聞いただけだったので、私自身、大変勉強になりました。

なんでもそうなんでしょうが、技術にしろ、学問にしろ、一つ一つ先達の苦労や成果を踏まえて、初めて次につながっていくことを痛感させられます。

また、いつの時代でも理性的で自ら信じるところを主張する人物はいたんだなあ~と心底、感心します。

あの時代、本当に命を張ってのことだったはずですし、日和見がいつの時代も多数であろうとも、信念を持ち続けた人がいたのは、頭が下がります。

ただ、生き難い人生を送っていたんだろうでしょうね。だからこそ、それに付き従う人々もいたのでしょうし・・・。


音楽を含めた芸術のこと、情報有り難うございます。クリュニー修道院などの豪奢な生活なども含めて、いろいろな意味で紙一重ですもんね。

さまざまな美しさ、快さを超越したところに行く前の手前で終わってしまっては、本質に辿り着けずに、かえって道を踏み外す危険の方が大きいですし、制御が難しいところです。

私個人は、どっぷりと道を踏み外す事、確実ですが・・・(苦笑)。

13世紀の合理的な精神が欠け落ちて、モノや感情しか捉えられなくなった感じがします。この辺はエミール・マール氏の本に書かれていた内容の受け売りですが・・・。

でも、本書、面白かったです。機会がございましたら、どうぞ。
コメント有り難うございました。
Posted by alice-room at 2011年06月27日 22:16
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