2011年06月25日

中世の哲学~読書メモ2

「中世の哲学」今道友信 岩波書店からの抜き書きメモ。
中世の哲学~読書メモ1の続き。
 宝石は、中世の修道院において貴重な祈祷書の革表紙を飾る材料であり、また修道生活の中心ともなるミサ聖祭における貴重な祭具である聖杯を飾るためにも使われた。

 それは世俗で装身具に使われる材と同種のものでありながら、日々の修学と祈祷の際に、その美によって精神を神に集中させる為に自然の輝きを人工で固定したものであった。

 そのような「宝石は輝く太陽の光が地中に差し込んで結晶したものである」という美しい詩のような言葉は、ボナヴェントゥラのものと伝えられている。 P419
シェジェールの意図と通ずるものを感じますね。
 ボナヴェントゥラはその主著「命題集註解」において、
「神は世界を創造した。(中略)世界を構成する一切の存在者は形を持っている。ところで形を持っているものはすべてある秩序をなしていることであるから、美を持っていることになる。なぜならば、美は秩序において成立するからである」
と言っているが、このことからも明らかなように、彼は一切の存在者に創造者が種に従って形を与えたのであると考えている。

 従って彼が美を考える際に媒介としたものは、直接神の手になるところの存在者、すなわち自然的存在者であり、直接考察の対象となった美は自然美であった。それは、美を直接神との関係において見ることに他ならない。

 それゆえに、自然美の原因としての秩序ないし形相は、神の知性の光の中で照らし出された創造の原型であると言う事ができる。つまり、人間が自然美を意識するということは、本来的にはこの光の地平に参与してこの原型を認識することに他ならない。

 ボナヴェントゥラによれば、美を経験するとは光の源である神に向かって接近することである。「霊的実体において、美は第二の相をとる」と彼が前述の新しく発見された断章の中で述べているのは、右のような意味であって、美は明らかに理性の働き全体において浮き出されてくる存在の輝きに他ならない。

 それゆえ美は他の諸々の価値と異なって、いずれかただ一つの原因と相関的なのではなくて、存在者の存在を可能にするすべての原因の全体的放射に対応するものである。従って、自然美は事物を介して人間の知性において神が光として自己を語る仕方の一つであり、その意味においてはスコトゥス・エリウゲナの言葉を借りれば、「神顕(テオファニア)」に他ならない。 P420-421
新プラトン主義の系譜ということいいのかな?
神への飛翔って奴の捉え方ですね。ふむふむ。
 1250年以前と以後、すなわち13世紀半ばを境としてゴシック式大聖堂の建築上、3つの際立った相違が認められることに注意を払わねばなるまい。

 1つは13世紀後半以後、教会のヴィットロー(ステンドグラス)を透かす光量を多くして聖堂内の明るさが増していることであり、2番目に、同じく13世紀後半以後、聖堂の正面は三門制を厳守し、三葉飾窓を持つようになり、3番目に、絵画や彫刻において創造主としての父なる神に代わって、子なる神キリストが最も多く登場してくる。

 この3点とも、ボナヴェントゥラの神顕としての光の美学が造形芸術に具体化されたものと見ることができる。その証拠としては、「マルコ伝福音書」に関する説教の中で、彼が神の象徴としての光が教会の内部を満たせば満たすほど聖堂の美しさが増すことを暗示していることが挙げられる。

 さらに教会建築における三門制は三位一体の象徴であると見ることができるから、「この世の被造物はそこにおいて作者である三位一体が理解される書物のごとし」であると言ったボナヴェントラの影響をそこに見なければならないとボビング説も肯わなければならないし、自然の中で経験できる最高の神顕は「自然のうちの至美なるもの、すなわち人間」と、神そのものとの一致としてのキリストであるから、芸術の最高の課題としてキリストが教会建築の中心に位置づけられるのも当然であろう。

 そもそも建築としての教会を天国の象徴として見ようとする傾向は、中世に始まる。それゆえに、神学的、形而上学的理論の物象化としての芸術活動は、中世において甚だ盛んであった。

 従って、当時の芸術一般は明らかに知性の所産としての哲学の受肉と見ることもでき、ダンテの「神曲」がトマス・アクィナスの秩序の哲学の詩的開花と言われると同様に、パリのノートル・ダム寺院は、ボナヴェントラ美学の造形的結晶であるとされる。 P421-422
シャルトルとは、光量が違うんだよねぇ~。パリのノートル・ダムも嫌いではないが、その辺の建築を支える思想的背景の差異は、ここから来るののだろうか??? 

もう少し色んな本で、調べてみたいところですね。原書はちょっと無理っぽいから、まずは翻訳本でも探して読んでみますか。

また勉強したい項目が増える一方です(笑顔)。
ラベル:中世 哲学
posted by alice-room at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 【備忘録C】 | 更新情報をチェックする
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