
どんなにおぼろげであっても日本の田舎の原風景的なこの色彩は、否定しがたい実在感があるんだよなあ~。でもね、それを小説として読んで面白いかというと、別。私的にはちっとも面白くない小説である。というか、坂東氏の描いたもので面白いと思った作品なんて一作もないんだけどね。
ただ、著者の作品を読むとスネに傷持つ人がこっそりとやましい過去を振り返るような独特の感覚を擬似的に体験できるので、ついついそれを無意識に求めてしまうようなところがあるのかもしれない?
私はこの本を読む時に、実家の本家があった新潟の長岡市を思い浮かべてしまう。冬になると雪囲いをし、中二階の屋根裏部屋的なものがあったり、何十畳かの広さのある部屋では、住職をも兼ねていた当時の時代を感じさせる寺の面影がある建物。父に連れられて夜行で本家に行った時の、雪国の空気と重い曇った空。そんなものを無性に連想させる坂東氏の作品なのだ。
夏には川で泳ぎ、寺の境内でセミを取る。いわゆる日本の夏も全てが結び付いてしまうのだ・・・。もっとも今住んでるとこでも夏には川で泳いだり、魚を取ったりしてたから、どこでも変わらないのかもしれないが。
本書を読んでいてもその思いはますます濃くなる一方である。村の夏祭りは、今でも地方に行けば行くほど、強烈な印象を残す。大都会の祭りは華やかであっても、深みがなかったりする。
やはり地方には、独特のパワーを覚える。土葬があり、その地域間での近親婚が続き、遺伝的障害があったりする家系が普通にあったりするのも小説の世界ではない。リアルな世界には、いくらでもあったりするのだ。どうしてもこの著者の作品は「楢山節考」ともオーバーラップしてしまうなあ。
本書は短編集です。どれもこれも泥沼に浸かってしまい、重くて『地域』という枠から抜け出すことができないようなそんな独特の重力下で人がはえずりまわって生きている、そんな姿が描かれています。基本的人権やら、個人の自由、そんな異国の言葉のような根無し草の概念などでは、立ち打ちできない人の生(性)が存在することを無理矢理認めさせてしまうような感じです。
かつての日本であって、今の日本では虚構としてしか存在しなくなった日本。そんな日本を後生大事に留めたい方にはいいかも? まあ、明るく楽しく刹那的に生きたい快楽主義者がもっともきらう小説でしょうね。三島由紀夫とかもこういうの大嫌いだろうなあ~。
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坂東氏の世界、そういう日本の湿っぽい闇を引きずる人々。三島も作品として嫌いでも、大切な物と思っていたはずです。皇室を宝と思っていたわけですし・・・
すみません、話がそれました。印南野きつねさんのおじいさんはきっと色々な意味で日本という風土が培ってきた歴史をご自分の体験を通してご存知でいらっしゃるでしょうね。そういえば、私が埼玉に引っ越してきたときに子供が夏休みにやる「テンジンコウ」というのがありました。翌年にはいつのまにか廃止になり、ずっと不思議だったのですが、高校生の時に歴史の教科書を読んで初めてその意味が分かった時には、衝撃を受けた覚えがあります。江戸時代の子供達が行っていた講で俗にいう『天神講』だったみたいです。その時ほど、日本の地方には、昔からの習俗が生きていることを強く感じたことはありませんでした。実に興味深いです。
三島氏だったら、こういったものを理解したうえであえて「ハレ」に転化して浄化しようとされたかもしれませんね。ふとそんなことを思いました。
神祭を読みました。
alice-roomさんの本のレビューは私のツボをくすぐるものがあり、これは!と感じる本はかなり気にしてます。
貧乏暇なしなので、時間を見つけては図書館で借りてます。
坂東さんのはこれしか読んでいませんが、独特の世界を体験できました。ささやかながら、記事のお礼を言いたくて亀レスいたしました。
知り合いに長岡近くの土地に住む人がおり、そのエピソードを読んだことも、この本に惹かれた理由の一つです。
なかなかコメントできませんが、興味ある記事は読んでいます。
これからも、独特のレビューを期待します。