2011年07月31日

「楊貴妃」村山吉広 中央公論社

まあ、標準的な歴史の本といった感じのものです。楊貴妃そのものよりも、楊貴妃というキーワードによって特定される時代、政治社会を歴史的に淡々と記述したものになります。

そういう点でいうと面白みには欠けるかと。
悪くはないですが、あえて読むほどの価値はないかもしれません。

本書で知ったこと。
梨園、梨園の御曹司、などと言われる『梨園』ですが、玄宗皇帝が芸術新興の為に作り出した制度がその由来だったんですね。な~る。

楊貴妃は生き残り日本に漂着したという伝説等について抜き書きメモ:
言い伝えによると、揚子江の河口を出たのち、楊貴妃はうつろ舟でこの里の唐土口という海岸に流れつき、まもなく死去したので、里人たちがこの高台に埋葬してやった。玄宗皇帝は夢でそのことを知り、追善のために陳安という将軍を日本に送り、釈迦と弥蛇の二尊像と十三重の宝塔とを造らせたのだという。
楊貴妃は熱田神宮の明神の化身で、馬嵬で死んだ後、熱田の杜に帰ってきたという説がある。昔は社殿の後ろに五輪塔があり、それが楊貴妃の墳墓だったとのことである。
何故熱田神宮の化身が楊貴妃だったのか、室町時代の学者清原宣賢の「長恨歌抄」という講義録に次のようにある。
一説ニ此の蓬莱ト云フハ、日本ノ尾張ノ熱田明神ヲ尋ネ行クト云フ義アリ。玄宗ノ日本ヲ攻メテ敗ラントスルホドニ、熱田明神ノ美女ト成リテ玄宗ノ心ヲ迷ハスト云フ。ソノ証拠ニハ此ノ社ニ「春叩門」ト云フアリ。春ノコロ、戸ボソヲ叩ク故ニ其ノ門ノ額ヲカクノゴトク云フ。是レ一説ナリ。
京都東山の泉湧寺。楊貴妃観音堂に楊貴妃観音が安置されている。
この観音像は唐の玄宗が楊貴妃を追慕して作らせた似像の観音像で、湛海律師という僧が宋に渡って修行したのち、帰国に当たって請来したものだと伝えられる。
【目次】
第1章 玄宗とその時代
第2章 玉環から楊太真へ
第3章 楊貴妃の栄華
第4章 天下大乱
第5章 玄宗蜀幸
第6章 長恨歌の世界
第7章 余聞・遺事
第8章 楊貴妃と文学
楊貴妃―大唐帝国の栄華と暗転 (中公新書)(amazonリンク)

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posted by alice-room at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 歴史B】 | 更新情報をチェックする
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