2011年08月07日

「ヘンタイの哲学」キム ミョンガン 日本文芸社

まあ、著者さん、良く分からない学校の講師さんやってると経歴からしても、なんちゃってレベルの本です。

特殊な性癖というか、世間一般に異常とみなされているものは、決して特別なものではないんだよ~ともっともらしく、それっぽい根拠もどきを列挙しているだけで、本当に学究的に理論立てて説明しているような本ではありません。

正直期待外れ。の程度の内容、ごめん、10代で知ってたよ。
すべてについて、内容が薄くて底が浅い。

いろいろと特殊な性癖や性欲についても、大衆雑誌の記事以上のものはなく、単なる列挙で終わってませんか? そもそも引用先がサブカル雑誌とは情けなさ過ぎて、涙が出る。
もっとも、本書で採り上げられたサブカル雑誌、ほとんど知ってるし、読んだこともあるのだけれど・・・。個々に書名書くと、友人が減りそうだから止めときますが・・・(苦笑)。

つ~か、「責苦の庭」ぐらい読んだらいかがでしょう?いくらなんでも、教養水準を疑います?
マルキド・サドもサドの革新性は、当時の社会通念では受け入れられない性癖ではなく、全ての社会秩序、既成概念への懐疑と、それからの近代的自我である個人による超越、真の一個人たるまさに何者にも束縛されないラディカルな『自由』の表現としての意義があるのですが・・・。

残念ながら、著者にはその辺、全く理解されていないようですね。
責め絵の伊藤晴雨の誤解について書かれていますが、ご自身の誤解・無理解には気付いておられない様子。

本書に何の価値も見出せないなあ~。

衆道とか、なんか全てにおいて列挙して、適当な大衆雑誌やサブカル雑誌と絡め、たまにもっともらしい歴史上の豆知識レベルで補完されても、ポカンとする以外ないでしょう。

つ~か、学究の徒としてなら、もうちょい、きちんとした文献を漁るべきだし、或いは体験に基づくものでもいいのですが、それなら、もうちょっと経験積んでからおいで、というところです。

不勉強さがにじみ出ていて、読んでいてイライラしちゃいました。古典中の古典『愛の技法』(ローマ帝国時代のアレ)とか、房中術の本でも読んだ方がなんぼかマシです。

タイトルの「哲学」に至っては、おこがましくて恥知らずの何者でもないかと。
【目次】
第1章 ヒトの性欲をハダカにする―ヘンタイこそ、ヒトのヒトたるゆえんである
第2章 “極上の快感”はヘンタイにあり―性欲の異常と正常を分ける基準って何だ?
第3章 ヒトの性ほど奥深いものはない―エクスタシーを得るにもルールとマナーがいる
第4章 ホントはこんなプレイを愉しみたい―ヒトの身体はどこでも“快感の源”である
第5章 めくるめくアブノーマルの世界―タブーなき性の多様性がヒトの証
第6章 がんばれ!性の求道者たち―ヘンタイこそ生きるエネルギーだ!
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「カーマ・スートラ」ヴァーツヤーヤナ(著)、大場正史(訳) 角川文庫
「ローマ・愛の技法」マイケル グラント,マリア・テレサ メレッラ 書籍情報社
「江戸の性談」氏家 幹人 講談社
「食人国旅行記」澁澤龍彦 河出書房新社
「性風土記 」藤林 貞雄 岩崎美術社
「房中秘記」土屋英明 徳間書店
「色道禁秘抄」福田和彦 ベストセラーズ
「恋は肉色」菜摘 ひかる 光文社
「風俗の歴史 6」フックス 光文社
「色街を呑む!」勝谷誠彦 祥伝社
「AV女優 (2)」永沢 光雄 文芸春秋
「図録 性の日本史」笹間 良彦 雄山閣出版
「遊女の文化史」佐伯 順子 中央公論社
「訴えられた遊女ネアイラ」デブラ ハメル 草思社
「赤線物語」清水 一行 角川書店
「責苦の庭」オクターヴ・ミルボー 国書刊行会
ラベル:書評 性愛
posted by alice-room at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 未分類B】 | 更新情報をチェックする
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