

宇治は無常を意味する「憂し」に通ずるともいわれ、藤原一族の栄華の舞台となる一方、 この宇治の地は失意に打ちひしがれた人々をも受け入れてきました。宇治民武卿と呼ばれた藤原忠文もその一人で、 天慶2年(940)に参議となり、翌年征夷大将軍として関東の平将門の乱の平定に向いましたが、 到着以前に将門は討たれ、事件は解決していました。 大納言藤原実頼によって恩賞の対象から外された忠文は実頼を深く恨み、 死後もその一族にとりついて祟ったといわれています。末多武利神社は、 この忠文の霊を鎮魂する祠といわれています。何気にちっちゃな祠があるなあ~と思っていたら、こんなものがありました。私的には平等院よりも、この祟るまで恨んだ元・征夷大将軍の方がすごく興味あります。
一方で浄土への往生を願う平等院のすぐ近くに一族を祟るものを鎮魂する祠。両方ともに、往生には必要な存在だったに違いありません。
しかし、征夷大将軍になるんだから、討伐軍のトップだし、それなりに大物のはずなのにこんな小さな祠だったりする。しかし、それが未だに存続していることの方が驚異か?
京都や奈良のいいところは、誰も注目しないような崩れかけた廃寺やこういった小さな祠に非常に歴史があって歴史的にも意義があるものが、散見される点。
何かの資料でこの点についてはもっと調べてみたいなあ~。なんかワクワクしますね!