逆にいうと、お手軽に教皇に関する雑学的知識が増えるっていうのがウリかなあ~。但し、ズバリいうと書かれているのは、表面的過ぎて深みがない。本書を読んで初めて知ったことは、女教皇ヨハンナに関することぐらいでしょうか。
勿論、バチカンでは公式には存在せず、歴史のかなたで噂だけ広まっている女教皇のことはいくらか聞いたことがありましたが、これには引用ながらもきちんと載っていました。これは大変興味深かったです。
それ以外の黒死病やボルジア家の毒殺等々は、本書の何十倍も濃い内容の本を何冊か既に読んで知っている話ばかりでかなり退屈だった。ただ、もし、そういうのを読んでなくて初めて読む分には、とっても分かり易いかもしれない。一時間半もあれば、読了してしまう。そのレベルである。
【女教皇ヨハンナ】本文より抜粋最後の男性の確認の話は、よく聞く話ではあるば、バチカン宝物館には二度くらい行ったけど、こんな椅子あったかな? 残念ながら、記憶力のない私には覚えがなかったりする。でも、まあなんかありそうな話ではある。
九世紀に女教皇ヨハンナがいたという言い伝えがある。修道士マルティン・ポラヌスが1265年に書いた教皇の年代記には次のような記載がある。
レオののち、マインツ生まれのヨハネス・アングリクスが教皇座に二年七ヶ月四日あったののちに、ローマで逝去し、教皇座は一ヶ月間空位となった。このヨハネスは女性だったと噂されており、愛人に連れられて男装してアテネに行っていた。その地で学問のある分野の第一人者になり、対等に渡り合える人がいないくらいになった。その後、ローマで文学を教え、学生や聴講生にとっては大変な権威者になった。市内での彼女の生活態度や学識の評判が高まり、人々によって教皇に選ばれた。ところが、教皇の座にあった間に、愛人の子を身篭ってしまった。正確な出産予定日を無視し、サン・ピエトロ寺院からサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ寺院へ向かう行列をした。その途中、コロッセウムとサン・クレメンンテ寺院の間の狭い通りで子供を産み落としてしまった。彼女は死に、亡骸はその場に埋められたという。その後、教皇の行列がその場を避けるのは、このことを忌み嫌ったためだといわれている。また、女性であったこと、このとんでもない失態とから、彼女の名前は教皇の年表には載せられていない。
ヨハンナは怒った群衆によって、石打ちの刑にされた、あるいは手足を引きちぎられたか、ローマの町を引きずりまわされたともいう。14世紀の詩人ペトラルカはこれは最悪の天啓で、彼女が死んだのちに血の雨が三日間降り六枚羽の強靭な歯のイナゴがフランスに現れたと、おどろおどろしいことを書き連ねている。勿論、イナゴは一匹ではなく、飛蝗(ひこう)の大群だ。女教皇は忌むべきことなのだと。
ヨハンナが子供を産み落として死んだことになっている場所は、古代ローマ
の遺跡のフォロ・ロマーノの東端にある競技場コロッセウムと、今は白いアーチの瀟洒なサン・クレメンテ寺院との間である。
バチカン宝物館にある赤い大理石のできた教皇用の椅子。座席の部分が割れていて楕円系の穴が開いている。中世の時代、枢機卿の互選、コンクラーベで選ばれた次期教皇はその椅子に座り、男性であることが確認され、その場にいた一同が「我らが教皇は男である」とラテン語で唱えてから、正式に即位することになったという。
【目次】
1 神の代理人たちの病いと死
2 教皇庁に渦巻く暗殺疑惑
3 女教皇ヨハンナ伝説
4 マラリアは「ローマの友だち」
5 黒死病の黙示録
6 コロンブスの年の輸血
7 教皇になった医者
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