去年の記事ですが、一言。変わらないですねぇ~、ここでいうキリスト教関係者ってカソリックかな?プロテスタントかな?カソリックなんでしょうね、やはり。
強固な信仰心を持っている信者は、真実と異なる(99%確実に?)映画ごときに信仰が揺らぐとは思えないんですが・・・・。逆にそれで揺らいだりする信者は、所詮ミーハーな存在でしかないと思うんですけどね。火星人が攻めてきた映画を作ったからといって、それが社会に影響するとは思わないし。
それともキリスト教は唯一絶対の教えだと、未だに思っているのでしょうか?(思想・信仰の自由でそれ自体は、当人の問題ですが) 世界中にたくさんの宗教があり、人の数だけある以上、自分と異なる考えをする人を許容する寛容さこそが、いつの時代でも大切だと思うのですが・・・・。
「最後の誘惑」等々、この手の問題はなんども生じるが、なくならないんですね。民主主義や自由主義を標榜している国々でも、その根幹には価値の多様性があるはずなのにね。まあ、大量殺戮兵器を有すると言って、証拠も無しに他国を侵略し、しかもその国の国民の為と称しながら、その国民から非難されている某国ではしかたないか。
と言っても、その国を支持しなければならない日本の国民としては、辛いところです。悲願の常任理事国入りの為には、血を流すという姿勢を無理矢理にでも示さなければならない状況だし。そうでなければ、これまで湯水のように使ってきたODAや湾岸戦争時へ失出は無駄な投資になってしまうし・・・・。
話はそれたが、現在の日本においても歴然としてタブーは存在するから、あまり非難できないんだよね。いい悪いではなく、皇室に関することはありとあらゆる点で禁忌であり、それに触れようとする愚か者は、洒落ではなくスポイルされるもんね。怖い&怖い。
難しいもんです。人が人として、自由に発言し、価値観の違う人の意見を寛容さを持って受け入れるということは。それができれば、争いごとはなくなるのでしょう。もっとも、それは別な観点から言えば、競争を通して進化を促進する生き物としては、マイナスであり、停滞と呼ぶべきものかもしれませんが・・・。