【ローマ=藤原善晴】カトリック教会のタルチジオ・ベルトネ枢機卿(ジェノバ大司教)がこのほど、世界的ベストセラーとなっている長編ミステリー小説「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著)について、「事実無根な事が含まれた恥ずべき本」と痛烈に批判、ローマ法王庁の見解かと話題を集めている。
イタリアのラジオ、新聞を通じて語ったもの。
この小説は、「キリスト聖杯伝説」を巡る謎解きを中心に展開する。同枢機卿は、キリストとマグダラのマリアの間に子供がいたとしている部分などを特に問題視。「作り話なのに、読んだ人が本当の話だと誤解する危険がある」とかみついた。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が入院していた、ローマ市内のカトリック系総合病院内の書店でも売っていたとして「残念なことだ」と述べた。
このニュースは、 Tukasa-gumiさんからもらったコメントで初めて知りました。ヴァチカン関係者からの、ダ・ヴィンチ・コードに対する発言はこれが初めてではないかな?本来は無視する事でやり過ごしたいところでしょうが、ここまで世界的な話題になると、そういうわけでもいかなくなってきたのしょうね、おそらく。昔だったら、即、禁書図書館行き!ダン・ブラウン氏も破門ってとこでしょう。もっともブラウン氏は、こうやって話題になることでまた本の売上があがり、喜ぶだけでしょうが…。
これと同じニュースですが、日本語に訳して要約すると、ずいぶん違っているような・・・。
バチカン枢機卿:小説「ダ・ヴィンチ」はうそだらけ
キリスト教会史に疑問を投げ掛け、世界的ベストセラーとなった歴史ミステリー小説「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著、邦訳は角川書店刊)について、バチカンのベルトーネ枢機卿は16日までに、イタリアの新聞やラジオを通じ「うそだらけの本。買うな、読むなと言いたい」と非難した。確かに、オプス・デイにそんな犯罪者がいるとは思いませんが、スペインのフランコ軍事政権との係わりはどうなんでしょうか?どなたか詳しい方の話や著書でも分かれば、勉強したいところですね。某百科事典には、かなりきわどい表現で書かれていましたけどね…。
小説は「キリスト聖杯伝説」をめぐる謎解きなどが主題。枢機卿は「史実を曲げている」「1800年代の反教会パンフレットのような本」とこき下ろし、「学生の間で、読まないと流行に遅れるという風潮がある」と、同書による若者の教会離れを懸念した。
「ダ・ヴィンチ・コード」は、キリストは結婚し、後継者は女性のはずだったが、後世の教会が男性優位に教義を書き換えたという説を軸に展開。教会を守るために殺人まで犯すカトリック系団体の信者が登場するが、枢機卿は小説の内容に反論しこの団体を擁護した。(ローマ共同)
世界は謎に満ちているから、楽しいんですね。おそらく。
「レンヌ=ル=シャトーの謎」は、本当にミステリ好き心を疼かせる本でした。謎を追いかけるのは、本当に懐が痛みます(笑)
こちらを知り、これからは一閲覧者として楽しませて頂きます。
その方たちは、神と契約し結婚しているのです。
ですから、神が結婚していてはいけないのです。
神が結婚していたら、自分たち(神父様、修道女)の立場はどうなるのか?と思うのです。
信仰心の揺らぎなどというものではなく、耐え難いことなのです。
でも、ほんと、謎を追うのは大変ですね。一つ間違うと道楽者になってしまいます・・・苦笑。作家さんだったら、経費で落せるのに。
私のブログは趣味に走って、好き勝手なこと書いておりますが、なにか面白いと思われるようなところがあったら、嬉しいです。人生は楽しまないと!が信条だったりします。
宗教を話題にした本は、読む側も書く側も書かれた側も扱いが難しいですね。映画化されるとの話しもあり、今後の教会側の動きが気になります。
現ローマ法王の後継者と目される枢機卿の発言でしたから、重みがあるでしょうね。
あと、なによりも世界に与える影響が大きいことですし、やはり関心がありますね。単純に好奇心的な側面もあるんですけど…。
ただ、私個人の感覚でしかありませんが、自ら選んだ道は、周囲の事に一切影響されるものではないと思うのです。まして、神という存在に対しての絶対の信念がある方なら、たかだか一小説がどんなことを述べようが、それに対して反応する必要もないと感じたんです。結婚は神を信じる代償でしないわけではないでしょうし、私自身が結婚にそれほどの価値を認めていないせいかもしれませんね。すみません、これは今風の考え方の故でしょうか?
信者でもない私が言うのは失礼だと思いますが、私が想定する崇高な信念をもった方(キリスト教に限らず、仏教、イスラム教でもかまいませんが)なら、それは根本的な問題でないと愚考します。
勿論、小説の虚偽が名誉を傷つけるので裁判とかいうのは正当な権利ですし、当然ですが、一方で民主主義が絶対的なものを否定し、価値相対主義に立つ以上、違った価値観を認めるのも当然でもあります。いろんな立場の人が共存する以上、寛容と忍耐に基づく他者の理解が大切だと思うのです。
見当違いの事を申し上げていたら、すみません。ただ、私は聖職者の方をもっと世俗から離れた崇高な存在だと考えたい傾向がありますので感じ方が異なるかもしれません。
ただ、あのダ・ヴィンチ・コードは小説にしろ、いささか問題がありますけどね。事実という表現で、虚偽を平然と出版しているのは、道徳的に問題があるようには思います。取り扱いが難しいことではありますが。
一神教だから他の宗教が許せず戦う宗教戦争。そんな戦争が世界で起きています。そういう聖職者を、世俗から離れた崇高な存在とは、言いたくありません。もちろん、マザーテレサのようなすばらしい方もたくさんいますけれど。
そういう人々をしっかりと見極めて、尊敬していきたいですね!