アルコール入ってて、しかも途中から見たので怪しい記憶を頼りにしながら、感じたことをここのサイト見ながら買いてみようか。
描かれているのはマグダラのマリア、彼女と直接結びつく香油の壺はここには描かれていません。その代わりに、売春婦だった自らを悔い改める為に打つ鞭が描かれています。という説明をTVで見ながら、私の脳裏を横切るのはダ・ヴィンチ・コードで出てくるオプス・デイのシリス。或いは、薔薇の名前で、自らを苛む太っちょ修道士。なんか、毒されてるかなあ~、我ながら心配になる。
お風呂に入るのも忘れて、しばしTVに見入ってしまった。カラヴァッジオに学んだという光と闇のコントラストによる劇的効果ですが、う~ん確かに惹き付けられるものがあるかも?でもさあ、やっぱり私のテイストと違うんだなあ~。カラヴァッジオというと、同じく陰影の効果で有名なレンブラントの「夜警」とかも思い出してしまうが、あちらよりはこっちの方が好きなのは確か。
でも、私はこの絵の前で30分間たたずみことはないでしょう。見終わった後、またこの絵の前に戻り、4、5回もそれを繰り返すこともないし、会期中に3度も4度も見に行くことはないな。ピティ宮殿でラファエロの聖母の前では、無意識にしていたことができるか否か、それが私にとって好きな絵画か否かの基準なのかもしれない・・・・そんなこと酔っ払った頭でグルグル考えていたりした。
モローとラファエロではこれがあったし、ラファエロを観に行った時に、私と全く同じ行動をしている外国人の女性がいて、3・4度目に絵の前で出会った時にはお互いに思わずニヤリとして微笑んでしまったのが、鮮明に思い起こされる。一人で行った時のフィレンツエだったか?知り合いと一緒の時であったか・・・?
そういえば、香油の壺であるが、ものの本では「香油を塗布する」とは聖別することであり、それは即ち、王として祝聖することにほかならない、そうです。ここでいうのは、ユダヤの王”INRI”というとピンときてくれますね。マグダラのマリアがイエスをまさにユダヤの王にしたわけです。う~ん、そういう解釈もありだったりする。百科事典などでは、次のように書かれていたりするけどね。
マグダラのマリア Mary Magdaleneなんかマグダラのマリアって、難しい立場ですね。あっ、美術の世界では香油を塗るのはマグダラのマリアとされますが、マリアという名前はたくさんあり、絶対に同一人物かというとそれも断定はできないというのが真実らしいです。
新約聖書に語られるガラリア湖西岸マグダラの出身の聖女。イエス・キリストにより<七つの悪霊>を追い出してもらったという(<マルコによる福音書>16:9)。かつて遊女であったが、悔い改めイエスに献身的に仕えた。イエスの処刑、埋葬に立会い(<マタイによる福音書>27:56、<マルコによる福音書>15:47)、墓を訪ねて復活したイエスに接した(<マルコによる福音書16:1~8)。またイエスは復活後最初に彼女の前に現われた(<ヨハネによる福音書>20:11~18)。彼女はその後南フランスへ行き、布教と30年の穏修生活ののち没したという。美術作品では、彼女と同一視されるイエスの足に塗油した罪深い女の逸話(<ルカによる福音書>7:35~50)から、香油壺を持つ髪の長い女性として表される。また、福音書の諸場面ー磔刑、十字架降下などに登場し、伝説から天使を従え昇天する全身を髪でおおった女性(エジプトのマリアとの混同)として表現される。祝日は7月22日。
また、サント=ポーム近郊の山中に、今日でもマリアの巡礼地とされるところがある。彼女はこの地の庵で30年間に渡り、断食と悔悛の日々を送った。日に7回天使が飛来し、天井に運ばれた彼女は束の間の歓喜にひたることを許された。ある日、一人の隠者が天に昇っていく彼女を目撃する機会に恵まれ、マルセイユへその知らせを持ち帰ったとされる。
ダ・ヴィンチ・コード用語集
関連ブログ
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 国立西洋美術館
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「マグダラのマリア」 岡田温司 中公新書
お引っ越しご苦労様でした。大仕事でしたね。
マグダラのマリアつながり、ということでTBさせていただきました。
ところで、旧ブログからのTBは、削除したほうがよろしのでしょうか?私としては、TBが多い方が嬉しいので、残しておいて全く問題ありません。どうしましょうか?
新しい図像を大変楽しみにしております。
これからもよろしくお願いいたします。
それでTBの件ですが、問題がなければ、そのままにして頂いて宜しいでしょうか?TBを通じてブログに来られている方も多いですし、旧ブログから、こちらに来てもらえれば、私も嬉しいですので宜しくお願いします。