あの地震で壁画が破壊され、世界中の人々が衝撃を受けた事件は、未だに記憶に新しい。私は行ってみたこともない場所なのに、是非地震の前に行きたかった・・・・と切に思ったのは言うまでもない。ちなみに、この思いはイラク戦争前にソポタミア美術の博物館に行きたかった!というのに共通する思いでした。
と言いつつも、映画「スティグマータ」とかを見たりするまでは、シエナ同様の中世イタリア都市という程度の認識しかなかったりする。聖フランチェスコの名前も聞いたことある聖人の一人に過ぎなかった(この程度なんですよ、実際)。
その後、薔薇の名前やダ・ヴィンチ・コードの影響でいろいろ調べるうちに、キリスト教史で初めて聖痕の現われた聖人であり、清貧を説いた非常に、存在感のある人物であることが分かったきたのでした。そんな時に、たまたま見つけたのがこの本。
何よりも画像が大きく、とっても見易いのがいいです。本来、壁画なんだからとっても大きいのを本にするだけで、見難くなるのに、変にレイアウトに凝ったりせず、ありのまま見せようとしてくれているのはすっごくイイ! また、壁画の各場面に付けられている説明がシンプルながら、1.2行とかの過度の簡潔ではなく、初めて見る人でもすぐに内容が分かるように説明されていて、なかなか嬉しかったりする。値段はそれなりにするけど、これだけ画像が多ければ、ヨシといえるくらいの値段です約二千円。
で、興味深い内容の壁画が多々あるので少々紹介を。まずは「火の証」。十字軍の兵士とともにエジプトに渡った聖フランチェスコがスルタンの前で福音を語る機会を得、スルタンの司祭達と火の中に入ることを提案するが、司祭達は逃げ去り、一人で入ろうとする申し出も拒絶されて、土産を持たされて丁重に送り返される話が描かれている。この辺りのことは、薔薇の名前の映画でも触れられていましたね。笑いを巡る話題の中で。そうえいば、探偵役の僧侶は、フランチェスコ会の修道士という設定でした。う~む、まさに清貧とユーモアですね。
あと有名な「小鳥への説教」。羽毛や翼をもらい、綺麗な空気と食べ物に恵まれているのだから、おもえたちは創造主を讃えなければならないと説教する場面。
「聖痕をうける聖フランチェスコ」。断食をしたり、祈りを捧げていた時、十字架称賛の祝日(9月14日)の朝、祈っていると点から六つの輝く翼を持ったセラフィムが舞い降りてくるのが見えた。しかも翼の間に十字架にかけられた男が見えたがこの時、聖フランチェスコは「苦痛の共感の剣」で貫通されたように感じた。こしてキリストと同じ十字架の釘の傷を両手足に、そして槍による傷を右腕に受け、胸の傷からはしばしば血が流れ出して僧服を汚したという。
「聖痕の検証」。聖フランチェスコの死を聞きつけた人々のうち、ジラロモという教養ある騎士が疑いを抱き、自らの手で傷を触ってみる。これにより、彼は聖フランチェスコの聖痕の熱心な証人になった。
他にも、火の車とか興味深いのがたくさんあるのですが、やはり聖痕関係が多いね。こんなに多いとは・・・・。あ~、きっとこれからは聖痕についての資料を読み漁りそう・・・、もうキリがないなあ~困った&困った。といいながら、また、本を探しに行くんでしょうね。結構、幸せだったりする私。これも聖フランチェスコの恩恵かな?(ニヤリ)
あっ、これらの絵はジョットが描いたと言われています。諸説あるようですが、若かりし頃のジョットがメインで描いていて、その他、「サンタ・チェチリアの画家」と呼ばれる人が描いているそうです。さて、ここで私がふと思ったのはチェチェリアってあの、チェチリアかな?だったら、その画家の事ももっと&もっと知りたいですね。ウフィッツィ美術館にあるらしいのですが、この画家の作品、私のもっているウフィッツィ美術館の画集では出てこないんですよ(英語の1980年、日本語の1986年ともにイタリアで出版されたもの)。どっかに情報ないかな?さっきもネットでvirtual uffiziを見ていたんですが、見つからなかった・・・(涙)。
で、他の壁画も凄いんですが、それはまた後日。
世界の宗教建築 アッシジのサン・フランチェスコ修道院聖堂
修道会概要 創立者
アッシジ
続き
2005年02月22日
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今日の記事をぽつぽつたどっていたら、聖フランチェスコが出てきましたので,思わず。。。というのも先日メシアンのオペラ、アッシジの聖フランチェスコを観た時のことを書いたのですが、そのときヘルマン ヘッセの本を買ったのです。
(ホールのエントランスの本屋が来ていて、聖フランチェスコ関連本ばかり売っていました。)記事を書いたので、今もう一度読み直して見ていました。ジョットのトリに説教している図が好きです。