2005年02月27日

日曜美術館 ベネツィア・ビエンナーレ OTAKU館 

現代美術で有名なベネツィア・ビエンナーレで注目を浴びているOTAKU館を特集してました。やっているのは知ってたけど、まさかNHKでやるとは・・・。時代が変わったもんです。でも、現代美術なの???(藁)。

「萌え~」の説明までしてますよ、英語で。また、それを読んで理解したような言葉を吐く、外国人もちょっと待てよ!っていいたいかも(笑)。

おまけに「やおい」の説明してるし・・・。山無し、落ち無し、意味無し(オイオイ、真顔で言ってますよ、この方達)。さらに&さらに、ビッグサイトのコミケを映したり、インタビューまでやるか、NHKも自棄になってますなあ~。まだ、番組はリアルタイムでやってるけど、恐ろしい・・・。

OTAKUの個室だって・・・・、こんなもんじゃすまないと思うんですが。おっと、引きこもりだって。こないだの「ローゼン・メイデン」のジュン君の立場は・・・・。まあ、いいんだけど。
この人達はこれで儲けてる感じですね。商売のネタにしているカンジがアリアリ。

さあ~て、どうなるのかな?まだ、TVやってるし。おっ、抱き枕も出てる。


おたく:人格=空間=都市  東京都写真美術館
(上記からの転載)
近代様式の移植にともなって「いかもの」として抑圧され続けてきた偶像や聖像が、八百万の神々のように立ち現れ、流通し、 コミックマーケットや秋葉原が″聖地″として巡礼される。喪われて久しいとされる都市的な祝祭空間と壮大なポトラッチが、そこには脈々と生きている。 おたく趣味は漫画、アニメ、ゲームなど、メディア横断的な特徴を持っており、また日本の現代文化としては例外的に海外に越境し得ている。 これはおたく趣味が、特有の自意識とセクシュアリティをベースにしていることと関係している。これまで、国家や民族、 宗教やイデオロギーなどをベースにした文化圏は多々あったが、人格をベースにしたものはなかった。この、都市をも変える新たなる構造としての「人格」の浮上は、 環境の情報化と密接に絡んでおり、資本とはまた違ったパターンで、容易に旧来の境界を越境し、場を形成する。日本館に「おたく館」という代替館名を掲げたゆえんである。 <おたく>を、商品や作品としてではなく、その人格を起点とした横断的観念として、展示を通して提示するものである。

理屈はいくらでも付けられる。あたかも「盗人にも三分の理」のように・・・。外から眺めているよりは、何事も自分で体験すればといいたい。むしろ、そういったものを全て商品として、消化・吸収し、貨幣に変換させていく資本主義のダイナミズムと時代背景の方が、より興味深い。その過程においては、むしろ「人格」は希薄化され、均質化し、ステレオタイプ的に記号として処理された存在でしかないと思うのですが・・・。

あ~なんかしょうもない文章書いてるな。ミイラ取りがミイラになりそう。何が言いたいかというと、こういった文化論はくだらないし、文化論の為の文化論で何も生み出さないと思うってこと。批評家なんて、不要。必要なのは行動家なのである!剣はペンよりも強しってコレは違うか(苦笑)。
posted by alice-room at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 【芸術】 | 更新情報をチェックする
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