ボティッチェリ。マニファティカの聖母、こういうのも描いていたんですね。ヴィーナスの誕生とかプリマヴェーラとかのイメージが強過ぎて、ちょっと新鮮。ラファエロには、負けるけどボティッチェリの聖母もなかなか素敵ですね。ルネサンス期に描かれた作品には異教の香りがが色濃く出ているという話はしばしば聞いていましたが、この本でも書かれています。ヴィーナスは地母神信仰そのままの系譜だし、ヴィーナスが生まれたのはそもそも、男根から出た精液(白い泡で表現される)からであり、およそキリスト教的ではない主題だよね。その後、別のところでも触れたけど、ボティッチェリはフィレンツエに神権政治をもたらし、メディチ家を追い出した僧侶サヴォナローラに感化され、一昔前の禁欲主義的な時代に戻っていく。サヴォナローラが異端とされ、亡くなった後も彼は変わろうとはせず、最後には寂しくひっそりと亡くなっている。その作家の作品が現在、ルーブルでモナ・リザに次いでたくさんの人を集めているのは、時代のなせる業か、世間の評価がいかに移ろい易いかを感じさせる。

ヒエロニムス・ボス。プラド美術館で私がもっとも行って良かった!見て良かった!と思えた作品「快楽の園」。この作品は、これまでも、そしてこれからもマネできないし、似たようなものも生み出す事はできないでしょう。言葉は悪いが、モダン・アートと呼ばれるものを見てモダンな感じがしたことは私は今まで一度もない。むしろ、陳腐で最悪な類いのクラシカルなものをその中で見出すことが多い。それに比して、この作品がいかに斬新であることか・・・、描かれているのは当時において、そのイメージが喧伝されていたものではあるが、それをあの形として固定し、この世の中に生み出した想像力(且つ、創造力)。一つ一つをつぶさに見ていかざるを得ないでしょう。サイバーパンクのSF電脳世界でも、これ以上の自由さは持ち得ていないのでは?所詮、人は人であるという枠からは出れないものだが、既にイメージの世界においてその枠を出た彼岸に存在しているかのようだ。未だに、あの作品を見た衝撃は忘れられない!! 本の内容からは、離れてしまったが異端への恐怖(地獄行き)を覚えずにはいられない作品。
余談だが、面白いことが書かれているのでメモ。魔女の計量器があるそうです。魔女はほうきにまたがって空を飛ぶくらいだから、体は軽いに違いない。魔女であるか否かの判定の一手段に用いられたのが体重を量ることだったそうです。魔女の嫌疑をかけられた人はまず身長計で背丈を、次いでてんびん秤で体重を計り、身長に比して体重が著しく軽ければ魔女と見做され、火あぶりにされる。う~む、こういう方法もあったんだ、意外なところで新しい発見!