こちらを読んだ時の抜き書きメモ。(P213以降)
「ドゥルイデス」とは、所謂「ドルイド」僧のことね。
ガリアのどこでも、いくらかその地位を認められ、尊重されているのは、二種の階層の人達だけである。一般庶民はほとんど奴隷と同然にみなされている。
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先の二つの階層というのは、一つはドゥルイデスであり、もう一つは騎士である。
ドゥルイデスは神々の礼拝に立会い、公私の犠牲式を司祭し、宗教問題に関して教示を与える。ドゥルイデスのもとに、たくさんの若者が教えを受けにやってくる。そして彼等はガリア人の間で非常に尊敬されている。
というのも、公私を問わず、ほとんどあらゆる紛争に決着をつけるのが彼らである。もし何か罪が犯されたら、殺傷沙汰が起こったら、もし遺産相続や土地の境界をめぐって悶着が起こったら、これに判決を下し補償や罰則を指示するのも彼らである。
個人にせよ、部族全体にせよ、ドゥルイデスの下した判決に従わない者は、誰でも犠牲式に立ち会うことを禁じられる。これはガリア人にとって、何よりも一番重い罰である。
このように立会いを禁じられた人は、不敬な罪人とみなされ、誰からも除け者扱いにされ、彼らが近づいて話しかけようとしても、人々は接触により身を汚されはしないかと恐れて、逃げてしまう。彼らがたとい原告として出廷しても、その主張を認められず、いかなる名誉も他人と一緒に分け合えないのである。
ドゥルイデス全体に一人の主張がいて、ドゥルイデスの間で最高の権威をもっている。この首長が死ぬと、もし残りの者の中の誰かが、威信の点で群を抜いておれば、その者が後を継ぎ、もしいく人かが同等な権利を主張すれば、ドゥルイデス全員の投票で首長が選ばれる。
時には、武力に訴えてすら、首長の地位を争う場合がある。
ドゥルイデスは、毎年定まった日に、全ガリアの中心と考えられているカルヌテス族の領土に集まり、聖なる場所で法廷を開く。
このとき、もめごとを抱えている人が、あちこりより皆集まって、ドゥルイデスの判決や審判を仰ぐのである。
ドゥルイデスの教義はまずブリタンニアで発見され、そしてそこからガリアに移入されたと考えられている。それで今日でも、この教義をいっそう深く研究しようと志す者は、大抵ブリタンニアに渡って、修業を積むのである。
ドゥルイデスは、一般に戦争と縁の無い生涯を送ることになっている。そして税も他の人のように納めていない。兵役義務の免除など、いっさいの義務から解放されている。こうした素晴らしい特権に魅せられ、多くの若者が、自発的にあるいは両親や親戚の人達に送られて、学校にやってくる。
そこで、修業者らは、膨大な教義の詩を暗唱するといわれている。それで中には、二十年間も学校に居残るものがいる。
彼等は教義を文字に書き留めることは、宗規で禁じられていると考えている(もっとも、これ以外の場合には、大抵どんな目的にもたとえば公私の記録のようなものには、ギリシア文字を使う)。
このような習慣が成立した背後には、二つの理由があると思われる。つまり、一つはドゥルイデスの教義が世間に広く知れ渡ることを欲しなかったためであり、もう一つは修業者が文字に頼って、それだけ記憶に熱中しなくなることを恐れたためである。事実、文字に依存して暗唱や記憶を怠るという例は、よく見られるのである。
ドゥルイデスがまず第一に、人を説得したいと思っていることは、魂はけっして滅びず、死後一つの肉体から他の肉体へ移るという教えである。この信念こそ、ガリア人をして死の恐怖を忘れさせ、武勇へと駆り立てる最大の要因と考えている。
これ以外にも、たとえば天体やその運行について、世界やその広さにつき、万物の本性につき、不滅の神々の威力や権能について、彼等は考察し、若い修業者に教えこむのである
赤字のカルテヌス族の領土内の聖地とは、シャルトル大聖堂の建つ場所のこと。
Chartresの地名は、そのまんま「カルテヌス」に由来しており、聖なる泉が湧き出すサンクチャアリ(聖域)の上に教会が建てられたのは、その聖地の持つ権威をまんまキリスト教がパクったもの。
日本でも地方に見られる、国津神を従える天津神を祀った古くから続く神社等と同じですね。
ブリタニアに渡って修業する、という部分は、後の時代で更にその伝統が広がっていったことが「聖者と学僧の島」という本からも学びましたが、その発端に関わることもこの「ガリア戦記」に書かれていたのですね。何度か読んでいても、このメモを作成するまで気付かなかったなあ~!
まさに、このドルイド僧達の記述ではないけど、文字に頼って記憶されていないが故に有機的に結び付けられなかったことを改めて実感しました。
文字に書かれていない、という点について。
実は、本書を読むまで勝手に一切を記録残していないものと勘違いしていました私。
文字文化が無かったとか・・・、意図的に残さないようにしていたのですね。
裁判時の尺度であるならば、法として成文化されることで逆に悪用されたり、判決の権威が下がったり、あるいは、相対的にドルイド僧達の社会的地位の低下につながることを恐れたのかもしれませんね。
どっかのお役所や大企業が、独自のローカルルールで勝手なことやっているかのように。
昔の「行政指導」とかみたいに・・・(笑)。
未だに「お作法」とかいうなよなあ~。嫌な業界文化だ。
あと全てを記憶する・・・・コーランの学校とかも確かそうでしたよね。キリスト教ではあまり聞かないようですが・・・、仏教とかは経典あるもんね。確か教義の解釈も書籍あるし・・・。
もう一つの階層は騎士である。騎士はもし戦争が勃発し、奉仕を要求されたら―カエサルが到着するまで、ガリアでは各部族が、お互いに侵略したり、侵略をはね返したりするため、ほとんど毎年のように、戦争を行っていた―全員が戦争に参加する。確かヨーロッパのお祭りで今でもありますよね。大きな人形を作って、火をつける奴。表面的にはキリスト教的なお化粧を施されていても、明らかに土着の宗教儀式(ケルト系の伝統)の残滓とおぼしきもの。
その際、騎士は各人の家柄や財力が優れば優れるほど、いっそうたくさんの武装奴隷や従者に取り囲まれて出陣する。こうした従者こそ、騎士が知っているかぎりで自己の声望と権力を示すただ一つの標章である。
ガリア人は一般に、宗教上の儀式、典礼を遵奉するにあたって、おそろしく熱心である。そのため、不治の難病で苦しんでいる人とか戦場に赴く人や危険にさらされている人などは神前への生贄として、人間を捧げる。時には、自らの生命も犠牲にすると誓うのである。
彼等はこの犠牲式を執行するため、ドゥルイデスを使う。
彼等は一人の人間の命を救うには、もう一人の人間の生命を与えないかぎり、不死の神々の神意を宥めることはできないと考えている。
このような人身御供は国家的な制度としても認められている。ある部族は枝編細工で非常に大きな人形を拵え、その四肢の中に生きた人間をいっぱいつめ、これに火をつける。人間は炎に包まれて息を絶つのである。
泥棒とか強盗とか、その他の罪で逮捕された人々を殺せば、不滅の神々がいっそう喜ぶと信じている。けれでもこうした罪人の数が足らなかったら、罪の無い人をも無理矢理殺してしまうのである。
神々の中でもっとも崇められているのは、メルクリウスである。この神の像は非常に多い。彼等はこの神があらゆる技術の発明者で、これが道を守り旅人を案内し、これが金儲けや商売に最大の加護を与えてくれると信じている。
この次には、アポロンとマルス、ユピテルとミネルウァを崇拝する。これらの神々の属性については、ガリア人も他の民族と同じ考えを抱いている。
つまり、アポロンは病魔を追い払い、ミネルウァは工作と手芸の手ほどきを授け、ユピテルは添乗の支配権を握り、マルスは戦争をつかさどると考えている。
彼らが開戦を決意したとき、戦利品の奉納を誓うのは、たいていこのマルス神に対してである。彼らが勝利を収めたとき、捕らえた動物を生贄に捧げ、その他の品物は一ヶ所に集めておく。
神聖な場所に建てられたこのような戦利品の塚は、多くの部族国家でみることができる。そして神聖な掟を無視し、あつかましくも分捕り品を家に隠しておいたり、塚においてある物を取って帰ったりするような不届き者は、めったにいない。こうした罪には、拷問とともに、もっとも重い罰が定められている。
ガリア人は、自分らは全て、父なる神ディスの子孫であると吹聴し、このことはドゥルイデスにより語り継がれているという。それゆえに、彼等はすべての時間的経過を、日の数ではなく、夜の数で計算する。
誕生日や朔日や元日も、昼が夜のあとにつづくという原則にもとづいて祝われる。
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これもガリア戦記に載ってました。
いろんな意味で勉強になる本です。
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「聖者と学僧の島」トマス カヒル 青土社
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