
【ネタばれ有り。未読者注意!】
まず、最近はあまり見なくなった擬古調の文体や単語の使い方に興味を惹かれました。
いささか耽美系のノリではありますが、そこまではいかず、良い意味で抑えた文体で淡々と散文調に語られるのは結構好きです。
野阿梓氏の作品を当初思い浮かべました。
最初、新鮮で且つ若干の違和感を覚えた文体も、いつのまにか慣れ、読んでいくうちに全く違和感がなくなり、しっくりと作品中に没頭していました。
設定は SF or ファンタジーではありますが、人が人形を産む奇怪な世界を確固としたその世界観の中で不自然さなく表現し、しっかりと作品世界を構築していています。
実際、ほとんど抵抗感なく作品世界に没入できます。
閉塞した限定的空間・限定した濃密な人間関係が心理描写巧みに描かれ、同時にその世界とのつながりも描き出せれます。
観念的というようも、情緒的ながら、物語のプロットは、相当作り込まれています。
作中の『今』を描きながら、作品世界での『過去』からの時系列的なつながりも重層的に織り交ぜ、歴史をうま~く作品世界に生かしています。
虚構を描きながらも、そこに断片的に語られる歴史には、実際のものを生かすことで細部のリアリティ感を増し、作品世界全体の完成度も高いものになっています。
人形を描いた作品は、いろいろありますが、本作品も十分に評価されて良い作品かと思います。
どうしても人形というと「ローゼン・メイデン」を思い浮かべますが、確かにその意味でのゴシック・ロリータでもあるものの、より厳しい感じの作品です。
では、以下ネタばれ有りで。
「思考は現実化する」ではないけれど、脳が強烈にイメージした結果が、実際に肉体に影響を及ぼす話はよくありますが、相手の思念とその受け手との共犯作業により、自らの肉体に物理的損壊を与え、結果として肉体全体を変容させ、生身の人が人形になる・・・・そんな発想は、なかなかSFとはいえ、難しいでしょう。
否、発想は簡単ですが、それをあえて小説でやるってのは、また別な想いが無いと難しいと思います。つ~か私だったら、常識的発想から逃れられず、陳腐に陥る恐れから、書けないだろうなあ~と思ってしまいます。
それを書き切る力量を著者はお持ちかと。
ミステリーよろしくその後もどんどん人がいなくなっていくし、暴かれた人の過去、暴かれた場所の過去、阿暴かれた人形の過去と実に興味深いです。
最初から、最後までしっかりと水準を落とさずに書き切る力も素晴らしいと思います。
まあ、人形好きにはありがちだけど・・・いささか通常人の感性的にはグロいところが出てきますけどね。
絶対的無機物が、人の姿をしているのだし、それを愛するというのは、自己投影、自己否定諸々、屈性せずにはいられないものがあるでしょうしね。
と幼少の頃、ずっと熊のぬいぐるみと一緒に過ごしてた私がいうのもなんですが・・・(苦笑)。
人をはりつけて飾る、人形を展示する、美しいものを愛でる感性と表現は、別にしてある程度、私的には受け入れられるものの、作中で違和感を感じた点もあり。
圧倒的な美と存在にひれ伏す、人形の僕と化す召使いですが・・・・
安易な今風の言葉遣いで、いっきに醒めてしまった点もありました。
「めすぶた」とかいう表現は、漫画の見過ぎかと?
一つ間違うと、うわべだけ耽美主義にはまって、それ系の書物を読んだ人が書いた作品かと思ってしまいます。正直いくらなんでも、この単語が出た時点でいっきに作品の水準が低下したと思いました。
とうか著者のお里が知れる・・・と申しましょうか?非常に残念感でいっぱいでした(涙)。
時々、疑問や不満に思う点はあるものの、別な作品も是非読んでみたいと思いました。
今はまだ期待しております。
そうそう、作品について。
いつしか人が生身の人ではなく、人形を生むようになってしまった近未来。
そんな時代に奇蹟として、生身の肉体を持って生まれた子供は、人類の将来を託す貴重な存在として、俗界から隔離されたピレネー山脈のとある修道院に集められ、保護されたいた。
そこにいるのは、3人の少女とそれを取り巻く修道女達。
閉ざされた世界で均衡しつつも物語は進行し、いつしか外部から混入した存在によってその均衡は崩される。
世界とその場所に関わる歴史が暴かれ、更に世界はその延長線上へと向かっていく。
以上。
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