トマスによる福音書の感想自体は、リンク先は
こちらを参照。
ナグ・ハマディ文書に含まれていたコーデックスの一部がオクシリコン・パピルスのアグラファと一致。
例)「木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私を見出すであろう。」
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コーデックス:パピルス古写本
オクシリンコス・パピルス(OP):エジプトのオクシリンコスで発見されていた数多くのギリシア語パピルス
アグラファ:「書かれざる言葉」の意。専門語としては「新約聖書にかかれていないイエスの言葉」、「未知のイエスの言葉」の意に用いられる
カートナージ(cartonnnarge): 各写本のカバーを補強するためにその裏側に張られている厚紙表装。これには日付のついた手紙や領収書などの反故紙が用いられており、写本作成の年代決定上重要なもの。
トマス福音書はマニ教徒間に流布していてギリシア教父からはマニ教徒による偽作として批判されたが、これは正しくない。元々、存在していたトマス福音書をグノーシス主義のマニ教が採用したということらしい。
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マニ教:
三世紀中葉、マニによってペルシアで創始され、マニの殉教後、後継者たちによる布教活動によって西方では既に四世紀にシリア・小アジア・北アフリカさらにはローマ帝国西方のほぼ全域で最盛期を迎えた。
他方、東方ではペルシアからシルクロードに沿って中国に伝播、七、八世紀には中国の皇帝にまで迎えられてかなりの隆盛を誇ったが、その後、歴代の皇帝によって弾圧され、ネストリウス派のキリスト教(景教)、仏教、さらには道教と習合しつつ、農民一揆のイデオロギーとして生き延びるが、十四、五世紀にはマニ教としての同一性を失っている。
マニ教の教義:
宇宙は光と闇、善と悪、これら二領域の闘争の場であるが、終局的には光の使者が闇の悪魔に勝利する。 人間は光の本質を内に宿しつつも、闇に由来する物質に疎外されてその本質を忘却し、肉欲の虜となっているが、光の使者の「福音」により自らの本質を覚知し、物質への抗いとして禁欲に生きれば、終末の時に光の領域へと救出されるであろう。
【想定されるトマス福音書のシリア語原本(仮説)】
1)シリア語トマス福音書原本(場所:エデッサ)→OPを含むギリシア語トマス福音書(オクシリンコス)
2)シリア語トマス福音書原本(場所:エデッサ)→ギリシア語トマス福音書(場所:?)→コプト語トマス福音書(場所:ナグ・ハマディ)
【エデッサにおけるキリスト教受容の伝説】
~3世紀にシリアで成立した「アッダイの教え」による~
エデッサ王アブガル五世の廷臣の一人がイエスの奇蹟的医療事業を目撃してその旨を王に伝えると、持病の痛風を患う王はイエスの往診を乞う書状をつかわしたが、この世での生涯の終わりが近いことを意識していたイエスは、自分の死後弟子の一人を代わりに派遣することを約した。
かくしてユダ・トマスによって遣わされた使徒アッダイ(十二使徒の一人「タダイ」)がエデッサに到着し、病を癒された王はイエスを信じ、廷臣をはじめとして市民の大多数がキリスト教に帰依したという。
また、王の書状を携えてパレスチナを再訪した書記は画筆もよくしたので、イエスと会見した際にイエスの肖像画をも描きあげて詳細なイエス言行録とともにエデッサに持ち帰った。
マンディリヨン、聖骸布へつながる(小説:聖骸布血盟)
【正統的教会とユダヤ人キリスト教】
ペテロはヘロデによる迫害・投獄から救出後、エルサレム教会の指導権をイエスの弟ヤコブに譲渡して別の所へ向かう。
ペトロの権威のもとに形成された正統的教会(初期カトリシズム)と並んで「傍系」に属する「ユダヤ人キリスト教」が存在した。
ユダヤ人キリスト教徒は自らの伝承を「ペテロ」の名によってではなく、イエスの「ヤコブ」の名によって権威付けていた。このヤコブ伝承がユダヤ人キリスト教の「外典」を介してトマス福音書をはじめとするグノーシス諸文書にも部分的に認められる。
この対立がしばしば歴史的事実として採り上げられている。
【二資料仮説・・・共観福音書問題】
マタイとルカは主としてイエスの業についてはマルコ福音書を、主としてイエスの言葉についてはQ(マタイとルカが共通して用いたイエスの伝承。―――「資料」を意味するドイツ語Quelleの頭文字をとってQとよぶ)をそれぞれ資料とし、これらの二資料にマタイの場合はマタイに特殊な資料(マタイ特殊資料)、ルカの場合はルカ特殊資料を併用して各々が「福音書」を著した。
第二に重要な事柄は福音書の「編集史」的研究の成果である。即ち、福音書記者はイエスに関する伝承資料(マタイとルカの場合は主としてマルコ福音書とQ)を没個性的に収集して「福音書」を著したのではなく、これらの資料に、記者に固有な思想的視点と社会的立場から編集の手を加え、各々に独自なイエス・キリスト像を描き出した、ということである。従って、われわれは現在、各福音書本文の中において福音書記者が資料から採用した部分(伝承句)と、それに編集の手を加えた部分(編集句)とを、比較的容易に区別することができるのである。
グノーシス主義の立場:
人間の本来的自己と、宇宙を否定的に越えた究極的存在(至高者)とが、本質的に同一であるという「認識」(ギシリア語の「グノーシス」)を救済とみなす宗教思想
無制限に「聖文書」を拡大するグノーシス派←正統的教会では、「聖書」諸文書の数を限定する必要に迫られた。
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グノーシス派の場合、啓示内容(伝承)の伝え手は彼(または彼女)が啓示者によってその資質が認められ、選ばれれた者であるならば、十二使徒やパウロに限定されはせず、原則的には、彼(彼女)は無制限に拡大されたのである。だからこそ、秘教の伝え手はグノーシス諸派の創始者でもありえたのである。
(具体例)
グノーシス派の場合、人間の「救わるべき」本質は女性と表現されていた。ここから当時正統的教会にあって「娼婦」とみなされていたマグダラのマリアにペテロを批判的に超える最高の地位が与えられ(「トマス福音書」「ピリポ福音書」など)、イエスから直接彼女に、しかも秘かに啓示された内容を伝える福音書(「ピスティス・ソフィア」)、あるいは彼女の名による福音書(「マリア福音書」)が著される。また、啓示の超越性と直接性を確保する為に、グノーシス派の福音書はしばしば、その内容が地上のイエスによってではなく、復活のキリストによって啓示されたという文学形式によって伝えられている(「ピスティス・ソフィア」「ヨハネのアポクリュフォン」など)。
posted by alice-room at 23:19| 埼玉 ☀|
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【備忘録A】
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