2012年05月26日

「パトロンたちのルネサンス」松本 典昭 日本放送出版協会

7月から久しぶりに出かけるイタリア旅行に備えて、お勉強の為の読書。

フィレンツェは3回目か4回目だね。

「利息をとってはいけない」というキリスト教的価値観に対し、有名どころでは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」があるが(学生時代にサークルで読んだなあ~)、中世まではユダヤ人とかキリスト教徒以外しか出来なかった職業としての銀行業がまさにこのルネサンスを生み出す背景だったりするしね。

利子とって儲けたお金に対する贖罪的行為と経済発展に伴い、社会的な地位向上を果たした新興市民勢力の自尊心の発露としての、パトロネージュ。

その辺は本書を読む前から知識として知ってはいましたが、本書を読んで改めてパトロン達が金を出すだけではなく、口を出し、私が持っていた「才能のある人への善意からなる奉仕」といったイメージとは全然異なる事を知りました!

というか、パトロン達は純粋に施主であり、注文主であり、金で職人に対し、請負契約を結んでいる、そのまんまであることを理解しました。だからこそ、建築物については、肝心要の設計自体をパトロンがして、細部の仕上げや実施に際する実務部分をいわゆる後世の芸術家達にさせていたりする事例があったりするんですね。

絵画であれば、色彩やその材料、画面構成、個々の人物のポーズに至るまで何から何までも注文主が指示して、画家(=職人)に描かせる。そりゃ、才能も自負もあるダ・ヴィンチ等は指示通りに描かないことでしょう。よくよく得心がいきます。

その一方でどんなに指示があっても、それを後々の世まで名品として残すには、それを描いた画家の力量があっての話であり、あの時代の限定された作品にだけそれが可能であったのは、また、特筆すべき現象だったのも事実でしょう。

私の大・大・大好きなラファエロもフィレンツェにはたった5年ほどしか滞在してなかったんですね。お金をもっとくれるローマに長くいたそうですが、私の好きな作品は、べたですが、ピッティ宮殿にあるアレです。

延々と作品の前に一人で見ていても許される、今回も人がいないといいなあ~。
日本で、ごちゃごちゃと人混みにまみれて見てもイマイチ嬉しくないもんね。現地でみるのが一番!!

そうそう、建築物や絵画の価値をそれにかかった費用の金額を評価尺度にしてしまうのも凄い!
拝金主義・物質主義的精神もここにきわまれり。

バカ高い値段で、豪勢な箱物施設を作った社保庁の方々とメンタリティー的には共通するものがありそうです(笑)。

もっとも、彼等は自分達の才覚と努力で稼いだ金を私的目的の為に公共物建設にあてていますので、どっかの国民から掠め取った資金を自分達のモノと思い込んで使い込んだお役人様とは一緒にされたくないかもしれませんが・・・・。

ただ、後に私物化された君主国家となりさがると、さしものフィレンツェも市民への増税で得た資金をローマで教皇として戦争資金などに流用しちゃったりするんですが・・・。そういった話なども説明されていて、なかなか勉強になります。

人(芸術家を含めて、一般人も)は自由を求めるものの、経済的な裏付け無しの自由なんて、この世には無いもんね。って教訓を得られたりします。本書を読むと・・・私だけかも知れませんが。

自給自足であろうと、年金生活であろうと、生きていけるってことこそが経済的な裏付けですからね。

今週も(そして来週も)不本意ながら、納得の決していかない仕事を淡々とこなす自分とも重なったりする。寝不足だよ・・・・もう~ふはあ~。
【目次】
序章 奇跡の都市、フィレンツェという舞台
第1章 大聖堂の影のもと
第2章 威信を競い合った同職組合
第3章 金持ち商人たちの礼拝堂
第4章 「祖国の父」コジモ・デ・メディチ
第5章 メディチ家の「黄金時代」
第6章 「黄金時代」のパトロン群像
第7章 炎の共和国
終章 フィレンツェ共和国の最期
パトロンたちのルネサンス―フィレンツェ美術の舞台裏 (NHKブックス)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「フィレンツェ・美の謎空間」宮下孝晴 日本放送出版協会
「フィレンツェ幻書行」ロバート ヘレンガ 扶桑社
何かがある?謎の空洞と文字 ルネサンスの絵
裸のモナ・リザが陳列される
posted by alice-room at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 美術】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック