2006年11月20日

「中世修道院の世界」M.‐H. ヴィケール 八坂書房

監訳に朝倉文市氏の名前があり、中世の修道院に関する資料ということで読んでみた本。亡き法王ヨハネ・パウロ二世が亡くなられる際まで読んでいた「キリストにならいて」という本があったそうだが、ここでは「キリスト」ではなくて『使徒にならいて』というのがポイント!

キリストにならうことこそがキリスト者として生きるべき生活とした時、使徒がキリストにならう以上、直接使徒にならうことは、即ちキリストにならうことであるとするのがその背景としてあるそうです。

個人的な資産を放棄して進んで世俗と離れて暮らす修道士に、俗人でありつつも自らがなすべきことを行うことでキリストの聖性にあずかることが可能とする聖堂参事会員。

腐敗し切って、およそ使徒的な生活とは無縁な既存聖職者達が異端に批判され、なすすべもない状況下。財産を持たず、寄進のみに拠ってたつ全く新しい動きとしての托鉢修道会の誕生とその意義について説明している。

私としては聖堂参事会についてのところが一番勉強になったかな?シャルトル大聖堂など数々の巨大なゴシック建築を生み出した背景になくてはならない存在であり、名称はよく聞くもののいまいちピンとこなかったので、そういう意味では良かったけど、正直言ってあまり面白い本とは言えない。amazonでは名著と書かれているが、本当にそうなのかな?それほどのもんではないと思うんですが・・・。

私のような一般人には、退屈な読み物でした。キリスト教の神学者とかだったら、意味がある議論かもしれませんが、『使徒にならう』という意味付けが時代によってどのように変化し、いかに受け止められ、解釈されてきたのかって言われてもねぇ~。そうそう、本書を読む前に修道院制について基本的な知識がないと何言っているのか全くわからないかもしれません。いきなりでは、読めない本ですのでご注意を。

【目次】
序章 使徒の生活

第1章 修道士
 一キリスト教徒の典型としての使徒
 二初代キリスト教教会へのノスタルジー
 三修道士の使徒的規律遵守

第2章 聖堂参事会員
 一ウルバヌス二世から見た教会史
 二聖堂参事会員の起源は使徒に由来するものではない
 三聖堂参事会員の使徒的刷新
 四聖堂参事会員の独自の方針

第3章 托鉢修道会士(ドミニコ会士)
 一「使徒的」という言葉の新たな意味
 二使徒的巡回の発見
 三修道院において巡回の理想が安定する
 四使徒の模倣、使徒的修道会の形態

付録 メッス司教クロデガングによる司教座聖堂参事会会則
中世修道院の世界―使徒の模倣者たち(amazonリンク)

関連ブログ
「キリストにならいて」トマス・ア ケンピス 岩波書店
「修道院」今野 國雄  岩波書店
「修道院」朝倉文市 講談社
posted by alice-room at 19:27| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 宗教A】 | 更新情報をチェックする
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